特集

2024/04/05

先日、東京駅付近にある、KITTE丸の内の「インターメディアテク(IMT)」に遊びに行ってみました。
IMTは、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働で運営している展示室です。
骨格標本や剥製などがおしゃれに展示されていて、無料で見学できるので、東京駅にご用事のある方は、ぜひ足を運んでみてください。

 インターメディアテク

さて、IMTのミュージアムショップには、東京大学が提供する書籍やおみやげ品など、興味深いものがたくさん置かれています。
その中の一つに、東京大学地震研究所が東京カートグラフィック社と共同製作した、世界震源地図を立体に組み立てられるペーパークラフトの地球儀が売っていました。

 世界震源地図(英)とペンタグローブのデータを更新

この地球儀の上では、震源地が大小の赤い丸で示されています。
ためしに日本を見てみると、丸で埋め尽くされて真っ赤っかで、輪郭が見えなくなっているほどでした。
同様に赤い丸が密集している他の地域を指で辿ってみると、たしかに、大地震や火山噴火のニュースでその名を見聞きしたことがある地域ばかり。
赤い丸は海や陸の上で線状に繋がっており、プレート境界の存在をひしひしと感じました。

とてもおしゃれなグッズで、大変勉強になりましたが、少し恐ろしい気持ちにもなってきました。
どうしよう! 
我々は、赤い丸の上で暮らしている……!?

日本では、今年の初めにも大きな地震があったばかりです。
大きな地震がある度に、「もっと早く具体的な発生地や規模が予見できて、全ての被害を防げたらいいのになぁ」と考えてしまいます。
他の多くのみなさんも同じように考えていらっしゃったのでしょうか、東大TVの視聴数のランキングのページでは、今年に入ってから急に、ある動画が浮上してくるようになりました。

 東大TV 人気の講義のページ

それが、今回ご紹介する、纐纈 一起(こうけつ かずき)先生「東京大学公開講座:予測できる未来と、予測できない未来『地震の予測はなぜ難しいのか?』」(2019年)です。
これは、今まさに日本中で注目を浴びているテーマと言えるでしょう。

日本が地震国と呼ばれる理由

まずは、地震が起きるメカニズム、日本で地震が多い理由などを、分かりやすく説明してくださいます。
4つのプレートの境目が大集合しており、世界中の地震の約10%が日本で起きているそうです。

地震の基礎知識

私たちは、揺れを感じると「地震が来た!」と表現していますが、研究者たちの間では、そのような地面の震え(揺れ)のことを「地震動」と呼び分けているそうです。

(私も、これからは、揺れを感じたら「地震動を感じる!」と言った方がいいのかもしれません。)

したがって、よくニュースなどで報じられる「マグニチュード」は、先生方が使う意味での「地震」の規模を表す指標で、「震度」は、我々が感じる「地震動」の揺れの強さを表す指標、ということになります。

また、地震発生の前日や数時間前に「地震が来るぞ!」と分かることを「予知」と言い、「今後100年以内に、◯◯%の確率で大地震が来る」といった想定をすることを「長期評価」と言うそうです。

地震の研究は難しい

地震そのものは自然現象であるため、未然に防ぐことができません。

また、その規模を弱小化させることもできません。

そこで、少しでも「防災」をして被害を小さくするために、自然現象の発生の予測すること——これが、社会から強く求められている研究の成果となります。

しかしながら、地震研究は、その現象の特徴から、大変難しいとのこと。

  1. 規模が大きすぎて実験(再現)ができない:大規模な地震を観察するため、「それでは、今から数百キロに渡る広大な地域を揺らして、何が起きるか観察してみましょう」といったことは不可能で、その規模を実験室や実験施設に収めることも、もちろんできないでしょう。
  1. 再現できないので過去のデータを分析するしかないが大地震は長期的スパンで起きる:例えば、気象の分野では数分おきに大気の動きや温度などの観測データが取れますが、大地震は「安政の大地震(1850年代)」「関東大震災(1923年)」「東日本大震災(2011年)」といった間隔で起きるため、観測史上で頻繁にデータを蓄積することができません。
  1. 地震の発生源を直接観測することが難しい:地中深く、地殻・岩盤の内部に入り込んで何が起きているか直接観測することは、とても難しいでしょう。

先生は、これらの難しさを「地震の科学の三重苦」と呼んでいます。

予測に誤差が生じる

そのため、現在のところ、過去に起きた地震のデータによってある程度の予測ができても、ただちに(世間が求めるような)精度の高い予知ができるわけではありません。

実際、東日本大震災では、調査による長期評価において「あの地域である程度の規模の地震が起きる」という可能性が発表されていましたが、予測されていた2つの「領域」よりも4つ多く、6つの「領域」が同時に活動して、(ある意味で想定外の)大きな規模となってしまったそうです。

  • 予測の手法(調査や計算)
  • 世界でなされている地震研究に関する議論
  • 現在の地震予測の精度

などの詳細については、ぜひ講義動画をご覧ください。

先生のユーモラスなトークで、あっという間の46分間ですが、同時に、研究者たちが持つ、人々の「命」に対する使命感も強く感じられました。

東京大学公開講座:予測できる未来と、予測できない未来「地震の予測はなぜ難しいのか?」纐纈 一起

おわりに

東日本大震災以後、「全国地震動予測地図」では、「全国どこでも強い揺れに見舞われる可能性」という表現が導入されているそうです。

つまり、確実に安心安全な場所があるとは断言できず、私たちは、どこにいても油断せず備えていくべきなのでしょう。

1月、能登半島地震発生直後にニュース番組を見ていたら、東京大学の地震研究所の方が現地で観測装置を設置している映像が流れ、「少しでもこういった地震を研究して、防災に役立てたい」という旨のことをおっしゃっていました。
この講義を見て、改めて「研究者の方々は、日々、そのテーマに立ち向かっていらっしゃるのだなぁ」と感じました。
防災する私たちと、研究者のみなさんと——赤い丸の上に生きる者として、みんなで一緒に協力しながら、少しでも進歩してゆけたら素晴らしいですね!

今回ご紹介したこの講義は、2019年に行われた「東京大学公開講座:予測できる未来と、予測できない未来」シリーズの一つです。
他にも、様々な分野の「未来」を語る講義が収録されているので、ぜひご覧になって、ワクワクしてください!

今回紹介した講義:東京大学公開講座:予測できる未来と、予測できない未来(2019年)

また、東大TVでは、この講義の他にも、地震に関連するテーマを扱った講義が掲載されています。
ウェブサイトのHOME画面から、「地震」「災害」「防災」といったキーワードで検索してみてください。
ためになる動画に出会えること、請け合いです。

<文/加藤なほ>

2024/03/22

みなさんは、「ダーク・ツーリズム」ということばを聞いたことがあるでしょうか?

ダーク・ツーリズムとは、「災害・苦難・死など、悲惨な歴史の舞台を観光の対象とすること」です。

たとえば、多くのユダヤ人が収容されたアウシュヴィッツ強制収容所は、世界でもっとも知られたダーク・ツーリズムの対象のひとつです。

そのほかにも、奴隷市や監獄、災害の遺構など、「負の歴史」を伝えている観光地が、世界中にあります

日本でも、広島・長崎は、原爆が落とされた街として、多くの観光客に戦争の記憶を伝えています。

また、東日本大震災以降は、日本でもダーク・ツーリズムへの注目が高まり、近年は震災遺構でも展示が整えられ、観光地になる場所が増えてきています。

『観光として、暗い歴史の舞台をめぐる。』

そんなダーク・ツーリズムを通して、私たちはなにを学ぶことができるのでしょうか?

複数の視点を通して歴史の複雑さを教えるダーク・ツーリズムについて考える講義動画を紹介します。

単純に切り分けられない歴史

今回紹介するのは、ハーバード大学で歴史学を教えるアンドルー・ゴードン先生による講義「日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から」です。講義は日本語で開講されています。

UTokyo Online Education 日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から Copyright 2019年, アンドルー・ゴードン

ゴードン先生がダーク・ツーリズムに注目するようになったのは、2015年のユネスコ世界遺産登録の議論がきっかけだといいます。

当時、世界遺産の登録候補になっていたのは、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」でした。福岡、長崎など九州を中心に8県の炭鉱、造船所、鉄工所など23施設が世界文化遺産の候補に申請されました。

しかし、その承認に韓国政府が「待った」をかけました

候補になっている産業革命遺構の多くは、戦時期に徴用された朝鮮半島の人々が強制的に働かされた場でもあるからです。

韓国政府は、日本は戦時中におこなった朝鮮半島からの強制労働を認めるべきだと主張します。

一方、日本は、朝鮮半島からの強制労働がなかった明治期だけを世界文化遺産の登録対象にするという立場をとります。

UTokyo Online Education 日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から Copyright 2019年, アンドルー・ゴードン

さらに、戦時中の徴用労働制度は朝鮮半島からだけではなく日本人も対象であり、また(強制的であったが)違法ではなかったとして、世界遺産の登録は問題ないと主張しました。

しかし、ゴードン先生は、この日本側の主張にはいくつか問題点があるといいます。

まず徴用労働制度をめぐる「強制性」ということばが狭義に解釈されすぎています。強制的かどうかは複数の視点に立って慎重に考えるべき事柄です。

また、同じ土地に根差した歴史のなかで、明治という時代だけを抜き出すことも不自然です。

しかし、ゴードン先生がもっとも問題だというのは、「明るい明治」と「暗い昭和」という単純な区分けです。

産業革命遺産の歴史は、日本の急速な近代工業化に貢献したという明るい面を取り上げられることが多いですが、実際には残虐な強制労働という暗い面も持ち合わせています。日本型経営の成立も、経営者側の一方的な改革ではなく、労働者の抵抗と闘争によるものでもありました。

産業革命遺産には、明るい面と暗い面が複雑に入り混じっているのです。

複雑な歴史を伝えるダーク・ツーリズム

複雑な視点を伝えるダーク・ツーリズムの実例として、ゴードン先生は栃木の「足尾銅山」をあげます。

UTokyo Online Education 日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から Copyright 2019年, アンドルー・ゴードン

足尾銅山では、歴史の教科書にも書いてあるとおり、銅山の開発によって排出された有害物質が周辺の環境に大きな悪影響をもたらしました。

足尾銅山周辺の施設をめぐると、渡良瀬川の上流と下流で、銅山の歴史をそれぞれ別の視点からみることができるといいます。

銅山の上流では、経営者である古河鉱業の視点、下流では公害の被害者の視点からの記述、展示がまとまっているからです。また、労働に従事させられた中国人労働者や朝鮮人労働者の記念碑も残っています。

また、複数の視点を取り入れた展示の好例として、ゴードン先生は、九州の石炭鉱山である三井田川と三井三池の博物館をあげています。

それぞれ、鉱山の歴史を俯瞰的に振り返りながら、働いていた労働者の視点に立つ資料も展示されており、来館者の声を発信することで、多様な立場を見えやすくしています。

ダーク・ツーリズムのこれから

ゴードン先生は、これからの研究課題として、次の問いを掲げています。

それは、「複数の視点を取り入れる展示と語り方を可能にする条件とは何か」ということです。

UTokyo Online Education 日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から Copyright 2019年, アンドルー・ゴードン

条件の一つとしては、国家や企業のような大規模の組織よりも、地元の組織がベースとなるほうがよさそうだということが挙げられそうです。ただし、地元の視点は一枚岩ではなく、複数の視点を取り入れる保証もありません。

丁寧にまとめられた学術書のようなものであれば、複数の視点を多面的に伝えることができますが、学術書では読者が限られることが多く、たくさんの人には届けられません。

「観光」という幅広い人がおこなう営みだからこそ、ダーク・ツーリズムにはひとつの立場にとどまらないものの見方を提供する貴重な機会になっていく可能性があります。

アンドルー・ゴードン「日本の「ダーク・ツーリズム」:グローバル、国、市民の視点から」ー東京カレッジ講演会

東京カレッジ講演会

今回紹介した講義は、「東京カレッジ」という東京大学の組織が実施しているイベントで開講されたものです。

東京カレッジは、東京大学と海外の研究者や研究機関を結ぶインターフェースとして、2019 年に設立されました。

国内外の研究者と分野横断的な共同研究を行い、その成果が講義やシンポジウムによって共有されています。

この記事が掲載されている東京大学のウェブサイト、東大TVでも、東京カレッジ講演会の動画が数多く公開されています。

海外の先生による英語の講義も多いですが、興味のあるかたはぜひチャレンジしてみてください。

東京カレッジ講演会の動画一覧→https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/course_11992/

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

2024/03/13

「想像力」とはなんでしょうか?

いきなりそう問いかけられても、いまいちピンとこないと思います。

「想像力」という言葉は、実にいろいろな場面で使われています。例えば社会の中で、学校の先生が生徒に対し、「他人に対する想像力を持ちなさい」と言っている場面が思い浮かぶでしょう。また、芸術においても「想像力」は欠かせないでしょうし、文学を営む上でも、人間の本性について哲学的に考察する上でも、科学者が世界の真理に思いを馳せる上でも、「想像力」はその根幹に関わってくる力のように思われます。

しかし、そこで使われている「想像力」とは本質的には一体何を意味しているのでしょうか?「想像力」という言葉は、あまりにもたくさんの場面で使われるために、何を指しているのかがはっきりとしません。

平石 貴樹先生 2010年東京大学公開講座「想像力」

こうした「想像力とは何か」という問いに対し、今回の講義を担当した、アメリカ文学専門の平石貴樹先生は、ある一人の人物を紹介します。

それが、エドガー・アラン・ポーです。

ポーは19世紀前半のアメリカで活躍した小説家、詩人ですが、その活動は多岐に及びます。世界初の推理小説と言われる『モルグ街の殺人』を書いたことで知っている方もいるでしょうし、日本の代表的な推理小説家である江戸川乱歩の名前の由来であることでも有名ですね。それだけでなく、世界初の暗号小説とも言われる『黄金虫』を書いたことや、その詩作品によって評価された人物でもあり、科学的洞察に基づいた宇宙論である『ユリイカ』という作品でも知られています。

こうして並べてみると、その活躍はとても幅広く、そのためあまりにとりとめがないものに思われます。しかし、平石先生によると、それは「想像力」という一つの言葉によって集約されるというのです。

それは一体どういうことなのでしょうか?

ロマン主義運動のなかで

ポーが生きていた時代は、18世紀から19世紀にかけて行われていたロマン主義運動の只中でした。近代社会が到来し、「神」から「人間」へと世界観の中心が移行していく中で、人々はキリスト教的な世界観を打破し、どのようにして人間の主体性を確立していくのかという問題に立ち向かっていくこととなりました。

神という絶対的な基盤を失くした状態で、人間としての尊厳や道徳、あるいは世界や宇宙の謎、永遠の美などの超越的なものへと主体的に迫っていくこと。これがロマン主義運動を牽引した人々のモチベーションでした。

そのときに人々が重要視したのが、人間の「想像力」という能力だったのです。

人間には、神のような絶対的なものに依拠しなくても、「想像力」という力があり、想像力によって真理を解き明かすことができるはずだという信頼や信念が人々を駆り立てた、それがロマン主義の時代だったのです。

そうした時代の潮流にあって、ロマン主義の詩人たちは「想像力」を発揮した詩作によって、世界の真理を明らかにしようとしていました。ポーも、そのうちの一人です。

しかし、そうしたロマン主義の詩人たちの試みは、そううまくはいかなかったのです。当時、詩人たちが想像力によって世界を解き明かそうとしている一方で、それと歩調を同じくするようにして、近代科学者たちも科学の基盤を打ち立てようと尽力していたからです。

ここで、本講義のタイトルともなっている3つの能力が登場します。「分析力・洞察力・想像力」です。近代科学者たちは、自然科学が得意とする分析力=論理的な想像力を活用し、科学的手法によって世界や宇宙の神秘を解き明かそうとします。一方で、洞察力=直感的な想像力にしか頼ることのできない詩人たちは、科学が着実な進歩を生み出していく中で、どうしても劣勢に甘んじることとなりました。

ポーは『科学に寄せるソネット(Sonnet—To Science)』の中で、「科学の現実性が詩人の夢想を打ち破る」と嘆いていたようです。 

このように、当時の詩的想像力と科学的想像力は、同じ目標を共有していたにも関わらず批判し合うという、競合関係にあったのです。

しかし、ここで新たな疑問が浮かび上がります。

先ほど述べたような分析力と洞察力は、本当に真っ向から対立するものなのでしょうか。推理小説を書くことのできたポーは、分析的な、論理的な能力も当然持ち合わせているのではないでしょう。では、詩人であり推理小説家であるポーは、分析力、洞察力、そして想像力という3つの力に、どのような視座を生み出したのでしょうか。

ここからは具体的なポーの作品を通じて、ポーの想像力の捉え方を考察していきます。

モルグ街の殺人

1841年、ポーが32歳のときに発表した作品が『モルグ街の殺人』です。『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説としても知られ、作中で探偵役として活躍するオーギュスト・デュパンは、続く『マリー・ロジェの謎』『盗まれた手紙』においても登場し、知性と推理力を兼ね備えた名探偵像を人々に植え付けました。今ではお馴染みである、同じキャラクターが別作品で連続して登場する「シリーズ物」というスタイルも、これが世界で初めてだったそうです。

ここでは事件の真相には立ち入りませんが(衝撃の結末は、ぜひ本編を読んでいただきたいです。びっくりすると思います)、密室殺人という類型、そして合理的なロジックに基づいて証拠を解釈し、新事実を見つけ出す探偵のあり方は、その後の推理小説へと引き継がれていくこととなります。

しかし、ここで平石先生が強調するのは、『モルグ街の殺人』は推理小説として書かれたわけではない、ということです。これはどういうことでしょうか?

当然のことながら、『モルグ街の殺人』が発表された当時、推理小説というジャンルは存在しませんでした。ですから、現代の推理小説に慣れ親しんだ我々から見ると、『モルグ街の殺人』は推理小説として洗練されているとはあまり言えず、実際のところ、名探偵デュパンの奇妙な生活模様についてのエピソードに多くのページが割かれています。

では、ポーはなぜこのような作品を作ったのでしょう?

平石先生は、ポーがやりたかったことはデュパンという魅力的な人物をスケッチすることだったのだと言います。

デュパンは、「真に想像力の豊かなものは必ずや分析的であるということがやがて証明されるだろう」という台詞にも現れているように、分析的な想像力を持ち合わせた人物の理想像として描かれています。

ポーは、人間の想像力の性質や可能性を究明する一環として、『モルグ街の殺人』を書いたのです。『モルグ街の殺人』における「殺人事件の解決」は、想像力の基盤として分析的、合理的な思考が欠かせないということを明らかにするために描かれたにすぎないと、平石先生は言うのです。

現代の我々の視点から見ると、分析的思考によって事件の真相に辿り着こうとするデュパンは、まるで科学的な合理性を代表する人物のようにも映りますが、ポーにとってのデュパンは、科学でさえ太刀打ちできないような壮大な謎の領域、隠された真実に到達するための「想像力」の持ち主だったのです。隠された真実とは、宇宙の謎、幻想の美といった深遠な不可思議のことですが、殺人事件とは、それらの世俗的な例でしかなかったのです。

このように、ロジックと詩的想像力の間にある密接な関係性を、ポーはむしろ当然のものとして捉えていたのです。

では次に、そうしたポーの想像力が前面に押し出されている作品である『ユリイカ』を見ていきましょう。

ユリイカ

『ユリイカ』は1848年、ポーの最晩年に書かれた作品です。タイトルは、アルキメデスが金の純度の測り方を思いついたときに叫んだ言葉としても有名な古代ギリシア語の言葉です。

この作品は宇宙の起源とその現状について、極めて論理的に分析・記述したものですが、ポー自身はこれを散文詩だと言いました。一般的な感覚からすると科学論文のようにも思えますが、、これまでの議論を踏まえれば彼がそう呼んだのにも納得するのではないでしょうか。想像力を行使して宇宙の神秘を解き明かすという、ロマン主義の詩人が目標としてきたテーマに大胆に取り組んでいるわけですから、それはポーにとって「詩」以外の何物でもないでしょう。

内容を軽く紹介します。

ポーは宇宙を、神が作り出したある単一の物質から爆発的に放射拡散していったものとして捉え、現在はその拡散が終わり、爆発の反作用によって収束している段階にあるのだと考えました。ニュートンの発見した万有引力の法則は、宇宙が縮んで戻ろうとする力のことであり、収縮の結果、やがて宇宙は元の一つの物質に戻っていくものだとされます。

この爆発と収縮の運動は長い時間をかけて何度も繰り返され、これは神の心臓の鼓動と対応しているのだといいます。心臓の鼓動は人間のものでもあり、宇宙が最終的に一つに収束するとき、人間は薄れゆく意識のなかで自らが神と同一であったことを発見するだろうとポーは主張するのです。

現代の宇宙論を知っている我々からすれば荒唐無稽な理論にも思えますが、詩的想像力によって宇宙の謎を解き明かす、人間と神を同格の存在として扱おうとするなど、当時のロマン主義的な情熱を最大限に発揮するべく作られた大理論であることは、これまでの議論から理解できるかと思います。

『ユリイカ』において、ポーは当時の最先端の宇宙論を取り入れていました。ケプラーやニュートン、ラプラスなど、最新の科学的知見を参照しながら、その上で彼らの議論の及ばない遥か先を見通して、結果的にこのような誤った主張をしたのです。

『ユリイカ』の主張は、現在の科学的知見に基づけば概ね間違ったものだと評価されます。しかし、ある一点からの爆発と拡散によって宇宙が形作られるというモデルは、我々がそう知っているように、ビッグバン理論を思わせるものです。

現代における『ユリイカ』の評価はさまざまに別れているとのことです。しかし、当時明らかだった知見をもとに、想像力を最大限に発揮して一つの理論にまとめあげたというのは、「多大な分析力の賜物であり、20世紀の天文学を予見したとまでは言えないものの、深い思索の結実として十分に評価できるのではないか」と平石先生は評価を下しています。

想像力とは何か?

平石 貴樹先生 2010年東京大学公開講座「想像力」

最後に、話をポーの想像力論に戻したいと思います。

『ユリイカ』の中で書かれていた次の2つの文章は、ポーの想像力観についての重要な示唆を与えています。

科学の最も重要な進歩は、一見したところ直感と思しい飛躍によってなされるのである。

直感は帰納ないし演繹の方法に由来するのだがそのプロセスがはっきりしないために我々の意識化を逃れ、理性をすり抜け、どう表現したらいいかわからない、そのような確信なのである。

ここで、冒頭で話題にした「分析力・洞察力・想像力」の3つの能力の議論に立ち帰ります。冒頭では、分析力すなわち論理的に考える能力と、洞察力すなわち直感的な想像力の2つを対立的に捉え、それが科学者と詩人のそれぞれが別々に拠り所とする能力のように説明しました。

しかし、ポーが行ってきた仕事を振り返ると、どうやらこの2つの能力は、「想像力」という大きな力の関係性の中で、密接に結びついているようなのです。

「モルグ街の殺人」において、ポーは名探偵デュパンを、夜の闇の中で黙考したり、図書館を徘徊したりするなどの、詩人的なメタファーを併せ持つ人物として描きました。ポーの中では、科学者的性格を持つ探偵と詩人は、想像力を用いて隠された真実へと辿り着こうとするという点で、ほとんど同じものだったのです。

想像力とは、洞察力と分析力の2つの能力が合わさって初めてその効果を発揮するのです。

平石先生は「分析力が飛行機の地上滑走だとすると、そのまま空へ向かって離陸していく力が直感だ」という比喩を用いて説明していますが、直感という瞬間的なひらめきと、その土台としての合理的な分析力の、2つの力が手を結ぶことによって、想像力は花開くのです。

詩や小説など、文学作品を創作する営みは、世界のとある側面を発見したいという直感、すなわちインスピレーションから始まって、それを分析力によって緻密に組み上げていく想像的な営みなのだと、平石先生は結論づけました。

ここで、平石先生は文学に関してしか説明していませんでしたが、科学の側にも同様のことが言えるのではないかと筆者は思います。

例えば、世界的数学者である岡潔さんが数学を情緒的な営みだと考えたように、文学的想像力と科学的想像力は決して2つに分けられるようなものではないのでしょう。どちらの学問においても、世界の真理を解き明かすという目的を共有しています。であれば、その営みは、かつてポーが考えたような論理と直感の密接な関係としての想像力を巧みに用いることによって、果たされるのではないでしょうか。

安田講堂で開催される「東京大学公開講座」

東京大学では、昭和28年以来、公開講座を開催してきました。(公式サイト

現在は年2回、春と秋に本郷校舎の安田講堂で開催し、毎回、たくさんの方が参加されています。なお、高校生の受講は無料です。

東大TVでは、過去の公開講座の模様を公開しています。

東京大学公開講座:東大TV Youtube再生リスト

<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>

2024/02/14

地球以外の星には生命体がいるのか?

誰しも一度は頭に浮かんだことのあるこの問い。ですがその答えはまだ明らかになっていません。
この問いに答えが見つかる日はくるのでしょうか?
そして、いまこの問いのために、どのような取り組みがなされているのでしょうか?

「地球以外の星には生命体がいるのか」という問いを考えるには、まず「生命の起源の謎」を考える必要があります。

しかし生命の起源というテーマはあまりに難しいため、研究者はなかなか手を出すことができません。
(成果が出しにくく研究者としてのキャリアパスが描けないからです。)
そのため、生命発生のプロセスに正面から取り組む研究者は、世界的に見ても極めて少数です。

そんな中で、今回講義動画を紹介する戸谷友則先生は、宇宙論の研究をしながら、生命の起源についても探究されています。
戸谷友則先生の講義動画を視聴して、生命の起源や宇宙の生命体について考えてみませんか?

分野を横断した生命の起源の研究

生命の起源とは、つまり「非生命が生命に変わるプロセス」のことです。
この問題が難しいのは、それが物理・化学の世界と生物の世界にまたがっているからです。

戸谷先生は、研究分野として物理系と生物系は隔絶しているといいます。
生命の起源はその隔絶した分野の境界領域にあります。

生命に関しては数多くの難問があり、これまで、数多くの物理学者たちが、生命の謎に挑んできました。
(たとえば、量子力学で有名なシュレディンガーは『生命とはなにか』という著作を残しています。)
しかし、それでもなお、生命の起源にはまとまった結論が出ていないのです。

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則

すべての生物は、ひとつの生命から生まれた

そもそも、生命とは一体なんなのでしょうか?

NASAアストロバイオロジー研究所は、生命を“self-sustaining chemical system capable of Darwinian evolution”(ダーウィン進化することができる、自立して持続可能な化学的システム)と定義しています。

自己複製して進化することができるのは、生命の重要な条件です。
生命は複製しながら進化していくため、いま地球上にいる多様な生物たちも、もとを辿れば共通の個体に行きついていきます。

それでは、生命のもとを遡りきるとどうなるのでしょうか?

戸谷先生は、いま地球上にいる全ての生命体は、たったひとつの共通祖先「LUCA(last universal common ancestor)」から進化してきたと考えられるといいます。

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則

それはつまり、地球上で非生命から生命の誕生が1回しか起こっていないということです。
少なくとも、それが複数回起きたことを示唆する観測的な事実はありません。

非生命から生命が誕生する確率は

「地球以外の星には生命体がいるのか」

この問いに取り組むにあたっては、長い宇宙の歴史の中で「非生命から生命が誕生する確率がどれくらいか」ということを考える必要があります。
つまり、非生命から生命が誕生するという現象が頻繁に起こるのであれば、地球外生命体がいる可能性が高いし、ほとんど発生しないようであれば、その可能性は低くなるということです。

地球45億年の歴史のなかで、非生命から生命が生まれたのは最初の8億年以内と考えられています。
それは、地球の歴史のなかではかなり初期のほうであるため、その後の地球においても、生命が発生する確率は高い(期待値1以上:平均して1回以上起こる)のではないかと思えてきます。

しかし、早急に結論を出すわけにはいきません。
たまたま生命が早く誕生しただけ(1回だけの現象がたまたま初期に起こった)の可能性もあるし、原始地球の環境が生命の発生により適していたから(それ以降はそのようなことが起きる確率がぐっと下がる)かもしれないからです。

さらに、「人間原理」という考え方もあります。
人間原理では「宇宙(地球)が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測できないから」というように考えます。

生命が誕生してから、人間ほどの知能を持つ生命体が生まれるまで、35億年以上もかかっています。
太陽の光度の上昇により、あと10億年もすると生命は地球に住めなくなるとも想定されているため、もし、たとえば地球ができてから45億年経った今、初めて最初の生命が誕生していたとしたら、人間ほどの知的生命体が生まれる前に、地球から生命は滅亡することになっていたでしょう。

つまり、私たちが「どうして地球の歴史の最初の時期に生命が生まれたんだろう」などと疑問に思うことすらなかったわけです。
そのような疑問を持つ私たち知的生命体が地球に存在するためには、地球の初期に生命が生まれていなければいけません。

一方で、初期に生まれて以降、1回も生命が誕生していないという事実に注目すると、むしろ生命の発生確率は低いのではないかと考えられます

先ほどの人間原理の考え方を用いると、どれだけ生命の発生確率が低かったとしても、0でさえなければ、地球に生命が生まれたこととは矛盾しません。私たち知的生命体は、必然的に自分の惑星に生命が存在することを見いだすからです。
地球のような惑星における生命の発生確率については、期待値1ぐらいに高い可能性もあるし、ほとんど期待値0に近いくらい低い可能性もあります。
(ただし1よりはるかに大きいと、「地球で生命の発生は1回だけ」という観測結果と矛盾します。)

このように歴史の視点から、いくつかの要素に着目して「非生命から生命が誕生する確率がどれくらいか」ということを考えてみましたが、なかなかまとまった答えを出すことはできません。

RNAから生命が生まれた

歴史の視点からの考察では、「地球以外の星には生命体がいるのか」という問いに一定の信頼性ある答えを出すことはできませんでした。

それでは、生物側から考察してみるとどうでしょうか?

まず、生命の起源はどのようなかたちで生まれたのかというのが、ひとつの取り組むべき問題になります。

生命を構成する重要な要素は、タンパク質DNAです。
タンパク質はDNAの遺伝情報に基づいて製造されます。つまり、タンパク質がつくられる前にDNAがなくてはいけません。
一方、そのDNAの複製にはタンパク質の酵素が必要です。つまりDNAがつくられる前にもタンパク質がなくてはいけません。
タマゴが先かニワトリが先かというような話で、タンパク質とDNA、どちらが最初にできたのかには結論が出せません。

戸谷先生は、ひとつの回答として、DNAとタンパク質の橋渡しをするRNAが最初に生まれたのではないかといいます。

生命の起源について最も有力な仮説のひとつに、RNAワールド仮説というものがあります。
それは、自己複製可能な活性を持つRNAがまず誕生し、そのあと、DNA-タンパク質ワールドに進化していったとする説です。

RNAは、いくつかの生体化学反応の触媒になります。つまり、タンパク質の酵素と同じような役割を果たしているのです。
自身が酵素になれるのであれば、タンパク質がなくとも複製を行うことが可能だと考えられます。

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則

自己複製能力をもつRNAの長さ

ただし、RNAワールド仮説は、最初のRNAがどのように生まれたのかという問いには答えてくれません。

注目すべきは、自己複製に近い活性をもつRNAがどのようにつくられるかということです。

RNAは、ヌクレオチドという基本的な単位がつながり、長くなってできたものです。
「試験管内進化」という手法で、自己複製に近い活性をもつRNAが実験的につくられています。
その長さはおおよそヌクレオチド100~200個分(100~200nt)です。
このようにヌクレオチドがうまくつながっていき一定の長さを超えれば、できたRNAがそのまま自己複製し、生物へと進化していくかもしれません。

それでは、完全な自己複製能力をもつRNAの最小の長さは、どのくらいでしょうか。

専門家によると、25nt以下の長さのRNAは特に活性を示さないといいます。
しかし、40~60nt以上の長さにまでなれば、自己複製能力をもつRNAができる可能性があります。(Szostak ’93; Robertson+’12):

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則

なかなかできない自己複製が可能なRNA

自己複製能力をもつRNAの長さが分かったうえで考える必要があるのは、どうすれば長鎖のRNAが合成されるかです。

ひとつ、ヌクレオチドがランダムな化学反応で連なって、自己複製能力をもつ長さまで達する可能性があります。

ただし、RNAが長鎖になるほど、それが自然に発生する確率は急激に低くなっていきます。
戸谷先生はその確率を「猿がでたらめにタイプしてシェークスピアの小説ができる確率」、「竜巻がジャンク置き場を通過してジャンボジェット機ができる確率」と例えます。

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則


想像するだけでも非常に低い確率です。

実際に数字で確認してみましょう。

生命誕生に必要なRNAの長さがどれくらいであれば、生命になりうる活性を持つRNAがランダムな化学反応でひとつ生まれるのかを考えます。
(「生物活性をもつRNAの最小の長さ」と「その長さで活性をもつ(=特定の情報配列)RNAがランダムな化学反応でひとつ生まれるために必要な星の数」を考えます。)

ひとつの星で考えた場合、そこで生まれる活性をもつRNAは、確率的に21ntの長さにとどまります。
しかし、先ほど確認したように、自己複製が可能なRNAは、実際には少なくとも40nt以上の長さが必要だと考えられます。
任意のひとつの星でRNAが40nt以上の長さに達することはなさそうです。
それはつまり、ひとつの星をランダムに持ち出しても、そこで簡単に生命は生まれそうにないということです。

それでは、範囲を拡大させ、ひとつの銀河を考えてみるとどうでしょうか?

ひとつの銀河には10の11乗個の星があります。そこで生まれる活性をもつRNAは、確率的に27ntの長さです。
かなり範囲を拡大させたにもかかわらず、40nt以上の長さにはまだ遠く及んでいません。
ヌクレオチドの連鎖は長鎖になるほどより難しくなっていきます。

それでは、観測可能な宇宙にまで広げてみるとどうでしょうか?

観測可能な宇宙とは、宇宙誕生から現在までの138億光年で光が到達可能な距離、つまり、地球を中心とした半径138億年の宇宙領域です。
そこには、銀河系のような銀河がおよそ1000億個含まれています。星の数にして10の22乗個です。
果てしなく膨大で想像することも難しいでしょう。
ですが、観測可能な宇宙で生まれる活性を持つもつRNAは、確率的に31ntの長さです。

ここまで範囲を広げても、まだなお、自己複製が可能だと考えられる40nt以上の長さに届いていないのです。

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則


私たちが観測可能な宇宙で生命が生まれる確率は、ほとんど0だということになります。

インフレーション宇宙論

それはつまり、地球以外の星には生命体がいないということなのでしょうか?

しかし、戸谷先生は、宇宙は「観測可能な地平線」を超えて大きく広がっているといいます。

そこで持ち出されるのが、「インフレーション宇宙論」という理論です。
この理論では、宇宙は超初期に光速を超える速さで指数関数的に膨張したと考えます。

UTokyo Online Education 2020 戸谷友則


宇宙はすさまじい速さで膨らんだため、光速では届かない範囲にまで広がっています。

宇宙の観測結果からみると、インフレーションでできた真の宇宙の大きさは、観測可能な宇宙と比べて、少なくとも10の26乗倍(体積にして10の100乗倍)ほど広がっていると思われ、そこに含まれる星の数は10の100乗個にのぼります。(観測可能な宇宙では10の22乗個でした。)
また、より宇宙が広がり、多くの星が含まれている可能性も十分にあります。

40ntの活性を持つRNAが生まれるには、10の39乗個の星が必要だと考えられます。
真の宇宙には、それを大きく超える数の星が存在します。
真の宇宙の大きさを想定すれば、生命を宿す星は数多くあると考えられるのです。

地球外生命体には出会えない?

戸谷先生は、インフレーション宇宙の大きさを考えると、生命はランダムな化学反応で多数発生していてもおかしくないと述べます。

しかし、観測可能な宇宙で生命体が生まれる可能性はとても低そうだということがわかりました。
戸谷先生は、地球外生命体を見つけられることはないだろうといいます。
宇宙にロマンをもつ方には、残念な話かもしれません。

ただし、地球の生命と同じ起源をもつ生命体がみつかる可能性はあります。
微生物が隕石に乗って、惑星や恒星の間を移動することもあると考えられるからです。
もしくは、未知のプロセスがあり、ランダムな化学反応より遥かに高い効率で生命が発生している可能性もあります。
この場合、生命が発生する確率は、これまで確認してきたものよりもかなり高いものになります。

ただし、戸谷先生はこの可能性に否定的な態度をとっています。

なぜなら、私たちが地球外生命体を発見できたとすれば、地球のような惑星の大半に生命がいることになるからです。
つまり、生命発生の期待値がほぼ1ということになります。
(これは、1より遥かに大きいと地球で生命が一度しか発生していないことと矛盾します。)
これまで見てきたように、生命発生の期待値には、ほぼ無限の振れ幅があります。
そこで期待値がちょうど1ほどになる必然的な理由は、まったくありません。

もし仮にランダムな化学反応より効率的なプロセスで生命が発生していたとしても、私たちが見つけられる範囲にほかの生命体がいる可能性は、決して高くはないのです。

「高校生と大学生のための金曜講座」で学ぶ

今回紹介したのは、戸谷友則先生による講義『宇宙における生命:命の星はいくつあるのか?』でした。

講義は「高校生と大学生のための金曜講座」というオムニバス講座で開講されたものです。
「高校生と大学生のための金曜特別講座」とは、東京大学が高校生と大学生を対象に2002年より公開している講座のことです。

(ウェブサイトはこちら

ここでは、東京大学のさまざまな分野の先生方が、学問研究の魅力を分かりやすく伝えています。

東大TVでは、過去に開催された金曜講座の動画を数多く公開しています。
対象となっている高校生や大学生はもちろん、大人の方にも視聴いただける、分かりやすい講義になっています。

たとえば、紹介した戸谷先生と同じ2020年度に開講されたのは次の講義です。

「離散力学系の不思議な構造」ウィロックス ラルフ先生

「超すごい顕微鏡で生きた細胞を視る」岡田 康志先生

「くすりと社会」桝田 祥子先生

「新型コロナウイルス感染症対策から考える行政権力の問題」國分 功一郎先生

「認知モードの言語間比較」渡邊 淳也先生

「地域活性化を考える:産業立地の視点から」鎌倉 夏来先生

「新型コロナウイルス感染症:東大の基礎研究から生まれた治療薬の種」井上 純一郎先生

「光と物質の新たな出会い:光科学の最前線への招待」五神 真先生

きっとみなさんの興味のある分野の講義動画もあるはずです。
ぜひサイトを眺めて、いろいろな動画を探してみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

2024/02/06

「哲学」に関心があるけど、なにから始めたらよいか分からない…

そんな人は、まず「ギリシア哲学」に触れてみるよう、勧められることが多いかもしれません。

しかし、ギリシア哲学といえば、プラトンやアリストテレスなど、登場するのは何千年も前の思想家ばかり。あまりに時代を遡っているため、そこから学べることなどもうないような気さえしてしまいます。

一体どうして、それほどギリシアの哲学を知る必要があるのでしょうか?

それは、哲学というものがまさにギリシアで生まれたものだからです。

それどころか、科学的な思考や人間を中心とした自然観など、現代文明(西洋文明)の基盤となっているものも、ギリシアに由来しています。

とりわけ西洋では、教養の一番の基礎として、いまでもプラトンなどのギリシア哲学が根強く支持されています。

また日本でも、明治大正期、西洋文明を受容する過程で、ギリシア哲学の著作が幅広く読まれていました。

現代の日本もギリシア哲学の影響から逃れているわけではなく、現状の制度や価値観などの元をたどると、ギリシアに行きつくことが往々にしてあります。

私たちの考えや社会のおおもとにあるギリシアの思想を知り、いま生きる世界についてよりよく理解してみませんか?

ギリシア哲学の4つの時期

今回紹介するのは、古代ギリシア哲学の専門家、納富信留先生による講義動画です。

納富先生はギリシア哲学の大家で、過去には国際プラトン学会の会長も務められていました。

講義は高校生と大学生を対象としたもので、専門的で難解な話はほとんどなく、初学者でも十分に理解できる内容になっています。

講義ではまず、「ギリシア哲学とは何か?」ということが語られます。

一口にギリシア哲学といっても、それは非常に長いスパンで展開された哲学の総称です。

その長さは、なんと11世紀もの期間に渡っているといいます。(日本だと現代から平安時代にまで遡ってしまいます!)

そのような長きに及んでいるため、ギリシア哲学は一枚岩ではありません。納富先生は、ギリシア哲学を全部で4つの時期に区分しています。

1つめの「初期ギリシア哲学」は、紀元前6世紀はじめ(前585年のタレスの日蝕予測)から紀元前5世紀後半にかけての哲学です。

イオニア・イタリア地方を中心に、宇宙論や存在論について語られます。タレスやアナクシメネス、ヘラクレイトスなどによる万物の根源をめぐる議論や、ピュタゴラスによる数学がこの時期に興っています。

2つめの「古典期ギリシア哲学」は、紀元前5世紀半ばから紀元前4世紀後半です。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、ギリシア哲学の代表者たちが集う、黄金期ともいえるような時代です。一般に「ギリシア哲学」といって想像されるのはこの時代の思想でしょう。アテナイを中心に、倫理学、論理学などが発展しました。

3つめの「ヘレニズム哲学」は、紀元前4世紀から紀元前1世紀です。

アリストテレスの弟子、アレクサンドロス大王が東方遠征を行って以後、領域が拡張されたギリシアにおける哲学です。エピクロス派、ストア派などが、人間の生きる意味を探究しました。

最後の「古代後期哲学」は、紀元前1世紀から紀元後6世紀前半に渡ります。

すでに哲学の中心はギリシアではなくローマ帝国へと移っており、新プラトン主義などが展開されました。

ローマなのに、なぜ「ギリシア哲学」なのかと感じる人もいるかもしれません。

しかし納富先生は、ローマ帝国は、文化的にギリシアの延長にあったといいます。ギリシア語で著作が記されることも多く、たとえば五賢帝のひとり、マルクスアウレリウスは日記をギリシア語で記していました。

納富先生は、ギリシア哲学を以下の4つの特徴で定義します。

①時期:紀元前6世紀初めから紀元後6世紀前半

②地域:地中海東部から西ヨーロッパの地域
(ギリシアのポリス世界からヘレニズム世界を経てローマ帝国まで)

③言語:古代ギリシア語およびラテン語

④性質:キリスト教以外の哲学

ここで注目したいのは、④の「キリスト教以外の哲学」という性質です。

じっさい、古代後期哲学以後は、異端扱いされたギリシア哲学が廃れ、キリスト教社会へと移行していきます。(529年にユスティニアヌス帝による異教徒学校閉鎖令が敷かれました。)

一度ギリシア哲学をベースとする文化(法律、政治制度、自然科学などを含む)は宗教の影に隠れるようになりますが、のちにルネサンスなどを経て、再び西洋文明の基盤となっていきます。

西洋文明の基盤となるギリシア哲学

冒頭でも紹介したように、それぞれの時代に面白く有用な他の哲学がありながら、それでもなおギリシア哲学は、西洋文明において特別な地位を占めています。

それは、哲学という営みがギリシア哲学から始まったからであり、さらにはギリシア哲学が西洋文明そのものの基盤にもなっているからです。(イギリスの哲学者、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは(1861-1947)は、「西洋哲学の伝統はプラトンの脚注にすぎない」とまで述べています。)

しかし、政治制度や自然科学など、現代の重要な要素の元となる一方で、哲学者のカール・ポパーが「プラトンの『哲人統治論』はナチズム、スターリニズムの原型だ」と述べるなど、その功罪も指摘されています。

ギリシア哲学は、良くも悪くも現代社会に多大な影響を及ぼしているのです。

ギリシア哲学の「アゴーン」と「コイノーニアー」

それでは、そのようなギリシア哲学を成立させている特徴とは一体なんなのでしょうか?

納富先生は、「アゴーン」「コイノーニアー」のふたつの要素を挙げます。

「アゴーン」とは、おおまかに「競争」のことを意味します。

古代ギリシアには、オリンピックで知られるように、名誉をかけて人々が競い合う文化がありました。また、競争は体力の面にとどまらず、コンクールでは悲劇や喜劇に優劣をつけていました。

ここで特に注目したいのが、言論による競争、すなわち論争です。

ギリシアには、先行者を徹底して批判的に吟味する精神があり、人々は他者と主張を交わしながら、より良いものを求めていました。(民主政はそのひとつの表れだといえます。)

たとえばアリストテレスは、「親しい人より真理をまず尊重する」と述べています。

このような、他者と言葉を競わせながら真理を探究する態度が、ギリシア哲学の根幹にあるといえます。

一方、「コイノーニアー」が意味するのは、「共同」です。

人々は意見を競わせますが、それは個々人で完結しているのではありません。多くは人との対話によって成立します。

論争を繰り広げながらも、決して敵対するのではなく、共にひとつの答えにたどり着こうとする共同の精神がありました。

たとえば、プラトンが設立した学校・アカデメイアは、まさに言論の自由と共同の生によって、真理の探究が目指された場だといえるでしょう。

ギリシア哲学の批判的な思考とは

それでは、共同でなされるギリシア哲学の批判的な思考とは、どのようなものなのでしょうか?

講義では、いくつかの例をもって紹介されています。

ひとつは、初期ギリシア哲学の「万物の根源」をめぐる論争です。

この時期、「万物の根源(=アルケー)は何か?」という問いが立てられ、幾人かの思想家がそれに応答しました。

タレスはまず、この問いに対して「万物の根源は水だ」と答えました。

するとアナクシメネスは「空気」、ヘラクレイトスは「火」と、それぞれの答えを提示します。

アナクシマンドロスは「無限」、ピュタゴラスは「数」と、答えが次第に抽象的になっていきます。

これらの主張は、現代の視点から見ると、間違いだと一蹴できてしまうものかもしれません。

しかしここで注目すべきなのは、主張される中身それ自体よりも、各人がそれぞれの根拠をもって自説を主張しながら、それを競わせる形で共有の知を作っていった態度のほうです。

他者の主張をそのまま鵜呑みにするのではなく、それを踏まえて新たに説を展開していったことで、議論が深まっていったことが重要なのです。

この態度は、現代の科学の土台となっているといえます。

そして、ギリシア哲学の代表人物であるソクラテスは、この批判的な思考を体現した人物でした。

ソクラテスは、アテナイの街で出会う人に「正義についてどう思いますか?「勇気とはなんだと思いますか?」と問いかけ、対話を行います。

相手の間違いを指摘することになるので、結果としてソクラテスは数多くの批判を行うことになりました。(そしてよく知られているように、ソクラテスは周りの人から目をつけられて処刑されてしまいます。)

しかし、この対話の目的は、相手を批判することではなく、相手とともに物事を探究して、互いの「魂をできるだけ善く」していくことにあります。

批判的思考は、現代にも通ずる哲学の中核であり、物事を突き詰めて考える際の基本となる考え方です。

「哲学」を学ぶ

講義では最後に、「哲学」を学ぶとはどういうことか、納富先生によって語られます。

講義全体の中でも特に実践的なことが語られるこのパートは、ぜひみなさんご自身で視聴してもらいたいのですが、特に印象的なのは「学問が成立したのは哲学から」という主張です。

だからこそ納富先生は、大学に入学したら、ぜひ一度哲学に触れてみてほしいといいます。

学生は、それぞれ専門的な学問分野を探究していくことになりますが、その根幹には全て哲学があります。

また、働き始めてからも、人は哲学的な営みとは無縁ではいられません。

ぜひみなさんもぜひ、この講義動画を視聴するところから、哲学と触れ合ってみてください。

今回紹介したのは、「高校生と大学生のための金曜特別講座」で2022年に開講された「古代ギリシア哲学を学ぶ意義」という講義でした。

「高校生と大学生のための金曜特別講座」とは、東京大学が高校生と大学生を対象に2002年より公開している講座のことです。

(サイトはこちら

東大TVでは、過去に開催された金曜講座の動画を含む、東京大学の公開講座や講演会の動画を数多く公開しています。

そして、哲学に関する講義動画も数多くあります。

真理を探究することと「騙す」ことの関係を考える講義

新型コロナウイルス感染症対策から行政権力について考える講義

〈衰退する社会〉における社会倫理を考える講義

抽象的な議論だけでなく、現実の問題を捉えて論を展開する講義も数多くあります。

ぜひ今回の講義の動画にあわせて、ほかの動画も確認してみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

2024/01/25

「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」

川端康成の小説『雪国』は、この有名な一文から始まります。

それでは、この文章を英語に訳すとどのようになるでしょうか?

翻訳家のエドワード・ジョージ・サイデンステッカーは、文章を次のように英訳しています。

“The train came out of the long tunnel into the snow country.”

英文は、日本語にはなかった「train」が出てきたりと、元の文章とまったく違ったものになっています

もはや「意訳」とさえ言えないような翻訳ですが、どうしてこのような大幅な文章の変更がなされたのでしょうか?

そこには、日本語と英語の「認知モード」の違いがかかわってきます。

「認知モード」とは、事態を言い表すときに好まれる視点の取り方のことです。

どのような視点で出来事を認知しているかは、言語によって異なっているのです。

翻訳をしていると、素直に訳しているのに不自然な文章になり、かえって伝わりにくくなることがあると思います。

「認知モード」の違いは、それを引き起こす重要な原因のひとつです。

このポイントをおさえることで、外国語を学習する際にも、言語間の違いを効果的に意識することができるようになるかもしれません。

IモードとDモード

今回紹介するのは、言語学が専門の渡邊淳也先生による講義です。

さて、講義では、まず言語ごとの認知モードの違いについて説明されます。

認知モードには、「Iモード」「Dモード」というふたつの区別が提唱されているといいます。

Iモードは、認知主体が対象や環境とのインタラクションを通じて認知像を形成する認知モード、

Dモードは、認知主体としての私たちが、何らかの対象とインタラクトしながら対象を捉えていること(認知像を形成していること)を忘れて、認知の場の外に出て(displaced)、認知像を客観的事実として眺めているという認知モードのことです。

この説明だけでは、少し分かりにくいかもしれません。

講義では、それぞれの認知モードが図で示されています。

図のように、Iモードは、事態の認知の場に、認知主体が入っています

認知の主体が、対象とのインタラクションのプロセスに組み込まれた視点のままで、事態を描写するのが、この認知モードです。

Iモードはある意味で、認知主体の本来の視点のまま、事態を描写しているといえます。

Dモードは、事態の認知の場から、認知主体が離れています

認知の主体は本来、対象とのインタラクションを行う認知の場の内部にいますが、ここでは疑似的に主体がその場の外側に立っています。

主体が実際に立っている場からではなく、その外側から事態を観察しているような認知の仕方が、このDモードです。

授業では、日本語はIモードを、英語はDモードを反映する言語の典型として紹介されます。

認知モードの違いは、実際の文章にどのようにあらわれるのでしょうか?

授業では、以下の例文を使って説明されます。

日本語文:
扉を開けると、見知らぬ女性が窓ぎわに立っていた。

この文章を英語に直訳すると、たとえば次のようになります。

英訳例:
When I opened the door, a strange woman was standing by the window.

この文章は「間違い」ではありませんが、英文として不自然なものになっています。

より自然な文章は、たとえば次のようなものです。

自然な英訳例①:
When I opened the door, I saw a strange woman was standing by the window.

自然な英訳例②:
When I opened the door  to find a strange woman was standing by the window.

元の英文が不自然になるのは、前後の文章がうまくつながっていないからです。

見知らぬ女性が窓ぎわに立っていたのは、扉を開けたそのタイミングにかぎりません。女性は扉を開ける前から、たしかにそこにいたはずです。

「扉を開けたとき」に起きたことは、正確に述べられるなら、「見知らぬ女性が立っていた」ことではなく、「見知らぬ女性が立っているのを私が見た」ことになります。

英語の場合、扉を開けたときに起きている事態を、客観的に述べる必要があります。そのためには “I saw” や ”to find” といったつなぎの文章が必要です。

逆に日本語で「扉を開けると、見知らぬ女性が窓ぎわに立っているのを私は見た」というような文章にするのは不自然です。日本語は認知主体が知覚したことをそのまま描写することが多いため、本来自ら見ることのできない「私」が文章に登場することはあまりないのだといえます。

注意が必要なのは、これは「論理的」、「非論理的」というような違いではないということです。日本語と英語で違うのは、あくまで事態をえがく際の視点の取り方です。

講義では、Iモード寄りの日本語と、Dモード寄りの英語の中間の認知モードを取る言語として、フランス語が挙げられています。

講義では、日本語と英語、フランス語それぞれの言語の文章における認知モードのあらわれ方について紹介されます。(その比較は、次の章で紹介します。)

このように数ある言語は、完全なIモードと完全なDモードの間のどこかに位置するかたちで、事態を描写しているのです。

IモードとDモードを区別する特徴

それでは、Iモードの言語とDモードの言語では、それぞれどのような文法的な違いがあらわれるのでしょうか?

講義では、両者の違いを区別する特徴が、計23個、3つのグループに分けて示されています。

①:身体的インタラクションにかかわる諸特徴

「人称代名詞」「主観述語」「オノマノペ」「移動表現」「間接受身」「与格か間接目的語か」「難易中動態構文」「過去時物語中の現在時」

②:R/T型認知か、tr/lm型認知か

「主題か主語か」「かきまぜ(scrambling)」「代名詞省略」「語順」「R/Tかtr/lmか」「be言語かhave言語か」「『する』と『なる』」「非人称構文」「虚辞」

③:メタ認知性と有界性

「終わり志向性」「アスペクト」「動詞vs衛星枠づけ」「冠詞の有無」「話法」「従位性の度合い」

講義では、①の「身体的インタラクションにかかわる諸特徴」を中心に、これらの特徴における日本語と英語とフランス語の違いがどのようなものであるかが語られます。

この記事でこれらの全てを示すのは難しいため、以降の章では、一部を抜粋して紹介します。

諸特徴についてより詳しく知りたい人は、ぜひ講義動画を視聴してみてください。

人称代名詞

日本語と英語の違いとして比較的簡単に思い付くのは、人称代名詞の違いではないでしょうか?

英語では、主体を指す人称が(主語においては)“I”の1種類しかないのに対して、日本語では「わたし、ぼく、おれ」のように、無数のバリエーションがあります。

この人称は主体の性質に依存しているだけでなく、対話の相手や状況によっても使い分けられることがあります。

主体の置かれた状況に左右されているという点で、日本語の人称の変化はきわめてIモード的であると考えられることができます。

一方、ひとつの決まった人称を使う英語は、発話者と主体に距離があることを示しており、Dモード的です。

フランス語は、英語と同じく人称が一定ですが、一般的な人称代名詞のほかに、Iモード的な性格をもつ人称代名詞 “on” があります。

この “on” は、文意に応じてあらゆる人を指すことができる人称です。講義で紹介された例文を紹介します。

仏文:
En Tunisie, on parle arabe et français.

日本語訳:
チュニジアでは(みんなが)アラビア語とフランス語を話す。

仏文:
On a  rendez-vous devant la gare de Montparnasse à 17h.

日本語訳:
(わたしたちは)17時にモンパルナス駅前で待ち合わせよう。

仏文:
Qu’est-ce qu’on a appris aujourd’hui?

日本語訳:
(きみは)今日は何を習ったの?

“on” は、発話状況や発話内容に関与的な人を自在に指しています。

状況に依存しているという点で、この “on” の使われ方はIモード的であると考えられます。

さらに、上の日本語訳を確認すると、(括弧で示したように)それぞれ “on” にあたる部分を省略するほうが自然な日本語になることが分かるはずです。

日本語では意識されない主語が、主語を省略できないフランス語では “on” によって形式的にあらわされていると考えることもできます。

主語か主題か

言語には「主語」と「主題」というものがあり、そのどちらが頻出するかによって、Iモード的であるかDモード的であるか区別することができます。

英語を学ぶ際に必ず意識することになる主語に対して、主題はあまりなじみのない概念かもしれません。

主題とは、その文が何について述べているか示すもので、情報の出発点となります。

主題は発話者にとって身近なもの、多くは既知のもの(旧情報)がおかれます。

日本語においては、「…は」で示されるものが、主題をあらわしていると解釈できます。

「…は」と「…が」を併用した文章では、(基本的に)「…は」が主題であり、「…が」が主語です。

日本語文:
象は鼻が長い。

上記の文章では「象」が主題であり、「鼻」が主語です。

「よく知られた『象』という対象において、その『鼻』は長い」のだと説明する文章になっています。

主題と主語という観点で日本語と英語を比べると、日本語は主題優先英語は主語優先の言語です。

日本語の主題優先の傾向があらわれた例として、「うなぎ文」という有名な文章があります。

日本語文:
(昼食に何を食べるかというと)ぼくはうなぎだ。

これを英文に訳す際には、“I am an eel.” とすることはもちろんできず、“I’ll take an eel.” のように、“take” (食べる)を入れた文章にしないといけません。

同様に、日本語においても「ぼくがうなぎだ。」というような文章は不自然です。それは、「…が」という助詞が自然と主語であることを示してしまうからです。

IモードとDモードの中間にあるフランス語は、基本的に主語優先の言語ですが、話し言葉では主題優先になります。

仏文①主語卓越型:
Je prends une anguille.

仏文②主題卓越型:
Moi, c’est une anguille.

①の文章は、英文と同じように、“Je”(わたし)を主語として、“prends”(食べる)を使って事態を描写しています。

一方、②の文章は、まず “Moi”(ぼく)を主題として文頭に置き、そのあと “c’est une anguille”(うなぎだ)と続けています。

話し言葉のフランス語には、うなぎ文の類例ともみられる事例があり、それはステレオタイプ的な分類(「猫派、犬派」、「コーヒー党、紅茶党」)を示しています。

仏文:
Avec Pierre, on ne va jamais au restaurant italien. Parce que Pierre n’est pas du tout pizza, il est plutôt couscous. Alors on va au restaurant marocain.

日本語訳:
ピエールといっしょには、イタリア料理店には絶対行かない。ピエールはぜんぜんピッツァ派ではなく、むしろクスクス派だからだ。だからモロッコ料理店に行く。

これもまた別種の主題卓越型の文であるといえます。

「高校生と大学生のための金曜特別講座」で学ぶ

今回紹介したのは、「高校生と大学生のための金曜特別講座」で開講された「認知モードの言語間比較」という講義でした。

「高校生と大学生のための金曜特別講座」とは、東京大学が高校生と大学生を対象に2002年より公開している講座のことです。

(サイトはこちら

ここでは、東京大学のさまざまな分野の先生方が、学問研究の魅力を分かりやすく伝えています。

納富信留先生による、古代ギリシア哲学の講義
高校生と大学生のための金曜特別講座「古代ギリシア哲学を学ぶ意義」納富信留

市橋伯一先生による、合成生物学の講義
2021年度夏学期:高校生と大学生のための金曜特別講座 分子から声明をつくる合成生物学

宇野重規先生による、民主主義についての講義
宇野重規「民主主義とは何か:歴史から考える」ー高校生と大学生のための金曜特別講座

など、分野も文理問わずさまざまです。

東大TVでは、過去に開催された金曜講座の動画を数多く公開しています。

対象となっている高校生や大学生はもちろん、大人の方にも視聴いただける、分かりやすい講義になっています。

ぜひ今回の講義の動画を視聴するのにあわせて、ほかの動画もチェックしてみてください。

<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>

2024/01/18

みなさん、こんにちは。
UTokyo OE(UTokyo Online Education)スタッフです。

UTokyo OE(Online Education)が提供するウェブサイト「UTokyo OCW」「東大TV」では、東京大学で公開された講義やイベントの動画・講義資料などを、数多く公開しています。

見たい動画を探す際には、ウェブサイトのトップから、興味のある学問分野や講師の名前によって検索することができます。

「そうは言われても、あまりに多くの動画があってどれから見たらいいか分からないよ!」という方にオススメの、コラム記事のコーナーがあります。

コラム記事は、東京大学の現役学生サポーター・卒業生・スタッフなどが持ち回りで執筆しており、講義動画の概要を紹介したり、執筆者が講義動画を見た感想・自身の体験談などを綴っています。

執筆するトピックは、執筆者の専攻・得意分野に基づいている場合もあれば、ご本人の純粋な興味関心・驚き・感動などから選んでいる場合も。

東京大学を、より身近に感じていただくことができる内容となっております。

「UTokyo OCW」の「だいふくちゃん通信」では、2021年から、学生サポーターの協力を得る現在のスタイルを取り入れました。

約2年間で既に100本程度の記事を公開し、SNSなどで好評をいただいております。

そして、この度、「東大TV」の方でも、同じ執筆チームによるコラムの連載を始めることになりました。

題して、「ぴぴりのイチ推し!」です。

これらのコラムを

・見る動画を選ぶ際の導入として
・ひとつの読み物として
・動画を視聴する際のヒントとして

みなさまの日々の学習にご活用いただけましたら、執筆者一同、大変うれしく思います。

UTokyo OCW「だいふくちゃん通信」

「UTokyo OCW」には、「だいふくちゃん」というマスコットキャラクターがいます。
とても可愛らしい姿に、スタッフたちからも溺愛されております。
お見知り置きを。

〇お名前:だいふくちゃん

〇お誕生日:2月9日

〇役職:広報部長

〇ストーリー:立派なふくろうになるべく、いろいろなことを勉強中。OCWめがねを拾ったことをきっかけにUTokyo OCWと出会い、その面白さにはまってしまいUTokyo OCWのスタッフのお部屋へやってきた。

スタッフも、へぇ、そうなんだ……と忘れている情報が多かったですが、改めて記憶に刻みたいと思います。

さて、我らが広報部長のお名前を冠した「だいふくちゃん通信」と、そのアクセス方法を紹介します。

「UTokyo OCW」では、東京大学が開講する正規講義(所属する学生が履修して単位をもらう通常の授業)を取り扱っています。
実際に学生・大学院生が受講している授業をご覧になりたい方、ぜひご活用ください。

まずは、「UTokyo OCW」にアクセスしましょう。

そして、画面上部のメニュー「だいふくちゃん通信/特集」からプルダウンして、「だいふくちゃん通信」を選択してください。
記事一覧が表示されます。

とはいえ、「記事もたくさんあってどれから読んだらいいか分からない!」という方は、ぜひ、こちらのページを。

【2022年度を振り返る!】だいふくちゃん通信ライターが紹介する人気記事(2023/08/23)

【2023年最も読まれた記事はどれ!?】2023年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング(2023/12/26)

学生ライターさんが、2022年、2023年にたくさん読まれた人気記事をランキング形式にまとめ、おすすめコメントとともに紹介してくれました!

東大TV「ぴぴりのイチ推し!」

東大TV」にも、「ぴぴり」というマスコットキャラクターがいます。

ゆるキャラの王道を行くだいふくちゃんのフォルムとは、また違ったおもむき。そして、既存の生き物とも違う独創的な姿(学生サポーターさんから「鳥?」と言われていましたが、空想上の生き物のようです。)

こちらも、負けず劣らず可愛がられています。

〇お名前:ぴぴり|Pipili(公募によって決まりました

〇発見日:2016年6月1日

だいふくちゃんは「お誕生日」が判明していますが、ぴぴりは「発見された日」とのことで……それぞれにいろんなドラマがありそうですね。

東大TV」で扱っているのは、東京大学で開催されるオープンキャンパス・公開講座・著名な方をゲストに迎えた講演会など、多彩な内容です。
YouTubeチャンネルとしては、登録者数11万人を超える大人気コンテンツとなっております。

こころなしか、ぴぴりの顔が誇らしげに見えます。

だいふくちゃんも、お友だちの晴れ舞台なので、よろこんでお手伝いしました。

さて、こんなに人気があり、多様で豊かなコンテンツを持つサイトですから、さらに多くのみなさんに知ってもらいたいと考え、(「UTokyo OCW」と同様に)講義やイベントをピックアップして、コラム形式で紹介することになりました。

ぴぴりが、頭のてっぺんのアンテナからみなさんに発信する、「ぴぴりのイチ推し!」です。

東大TV」にアクセスの上、「特集」からアクセスしてください。

もちろん、ぴぴりちゃんは心の中では全ての講義を「推し」ていますよ!
しかし、なにぶんたくさんのコンテンツがありますので、みなさんの動画視聴のきっかけのひとつとして参考にしていただけるよう、どんどん連載していきたいと思います。

これからも応援をよろしくお願いします!

コラムの更新情報は、公式Twitter・Facebookでも配信しています。

Twitter

Facebook

記事を読んでお気に召していただけましたら、ぜひ、感想などを付けて拡散してください。
みなさまのご声援が、学生ライターの励みとなっています。

そして、Twitterでは、だいふくちゃんとぴぴりがお仕事したり遊んだりしている姿も、ときどき登場しますよ!

2人がイラストになって登場する栞(しおり)もご好評をいただいており、引き続き、東京大学本郷キャンパスの「コミュニケーションセンター」(東京大学本郷キャンパス赤門から入ってすぐ横です)・生協・図書館などで配布中です。

  • 横断検索サイトだから、「横断歩道」を渡っております。
  • 4枚集めると、「あの有名な横断歩道」にそっくりな横断歩道が完成します。

ぜひ、入手してください!

大変好評で、すでに30,000枚近く配布されているのですが、在庫が無い場合もございます。あらかじめご了承ください。(みなさんがしおりに出会えることを祈っています。)

それでは、引き続き、UTokyo OEをお楽しみくださいませ。

<文/加藤 なほ>

2023/05/22

いつも東大TVウェブサイトをご利用くださりありがとうございます。
東大TVウェブサイトは、2023年5月22日にリニューアルいたしました。

リニューアルにより、URLが以下の通り変更となりました。
旧:https://todai.tv/
新:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/

*旧URLにアクセスされた場合は、自動的に新URLに転送(リダイレクト)されます。

お気に入り登録などされていた方は、お手数をおかけしますが、新URLでの再登録等をお願いいたします。

リニューアルの詳細

リニューアル後の東大TVは、大学総合教育研究センターが運営する UTokyo OCW のサイトと仕様が共通となりました。

トップページからは、任意のキーワードでコンテンツを検索できます。

おすすめキーワードもご活用ください。

条件を指定してコンテンツを検索するには、「動画を探す」メニューを使用します。

イベント一覧から探す」では、イベント名からコンテンツを探すことができます。

最近開催されたものから順番にイベントが一覧で表示されますので、気になるイベントを探してみてください。
絞り込み」のボタンから、条件を絞り込むこともできます。

分野から探す」では、動画を分野別に表示することができます。

タグから探す」では、動画に付けられたタグから探すことができます。
こちらは「中高生向け」の動画などを探すのにとても便利です。

講師から探す」では、講師の先生のお名前を入力して検索するか、一覧リストから選択して検索することができます。

(ご登壇された先生が非常に多いため、気になる先生がいらっしゃる場合はお名前を入力して検索していただくのがおすすめです。)

人気の動画」では、「アクセス数が多い動画」と「最近人気の動画」が表示されますので、「何か見てみようかな」という方はぜひこちらからアクセスしてみてください。

また、これまでになかった機能として、「マイリスト」機能が登場しました!

Googleアカウントを使用して、お気に入りのコンテンツを登録することができます。
(東京大学の教職員の方は、UTokyo Accountを使用してログインすることもできます。)

各動画の右上に、「マイリストに追加」というボタンがあります。

マイリストへのログイン画面が表示されますので、画面の指示に従ってGoogleアカウントでログインしてください。
(東大TVが利用者の方のGoogleアカウントの情報を取得・保存することはありません。)

気になったコンテンツをマイリストに登録しておけば、後からゆっくり見ることができますので、どうぞご活用ください!

横断検索サイト「UTokyo Online Education」のご紹介

また、東大TVのコンテンツだけでなく、大学総合教育研究センターが運営するUTokyo OCWUTokyo MOOCのコンテンツを一括で横断検索することができるポータルサイトもオープンいたしました!

UTokyo Online Education

東大TVで気になった先生のお名前をUTokyo Online Educationで検索すると、先生の正規講義の講義資料や講義映像なども見られるかもしれません。

気になる分野やキーワードで検索すると、東大TV・UTokyo OCW、UTokyo MOOCの全てのコンテンツから検索することができますので、これまで以上にたくさんの魅力的なコンテンツに出会えるようになります!

ぜひUTokyo Online Educationにもアクセスしてみてください。

今後も東大TVをはじめ、大学総合教育研究センターが発信するオンライン教育コンテンツをどうぞよろしくお願いいたします。

2022/07/04

コロナ禍で普及したオンライン交流。
モニター越しに幾度もやりとりをしているのに、実際には会ったことがないという人も大勢いるのではないでしょうか?

対面でのコミュニケーションが日常に戻りつつある今、リアルな会話を新鮮に感じることがあるかもしれません。

オンライン交流のように、目的を持って集まることばかりではない、オフラインでの“はじめまして”の際に、こんな動画はいかがでしょうか。


「ブレストより雑談からアイデアが生まれる」ーー2021年度 東大×知の巨人たちの雑談


東大の教授たちのクロストークシリーズ。
この回のテーマは、主タイトルにもなっている「雑談」です。
オンライン会議の浸透により、アジェンダ付きの話はできるのに雑談はできない人が増えている? 
頭が良すぎる人は大体のことは自分で考えているため、人と喋ってもプラスにならないと思っている?
目的を持たない「雑談」の可能性とは? オフラインで会話を始めるヒントがここにあるかもしれません。


酒井邦嘉「脳はどのように言葉を生み出すか」ーー2015年度 高校生のための東京大学オープンキャンパス


人間を他の動物と分ける要素は、道具・火・言葉の使用だと言われますが、これらの要素はすべて、人間の脳に「言語」の本能が備わっていることに関係します。
コミュニケーションに大きな意味を持つ「言語」とはどのように組み立てられるのでしょう。
そして、脳はどのように言葉を生み出し、その構造をどのように組み立てるのでしょうか。
講演者の研究は、文を理解している時の脳の活動の様子をMRIで測ることで、脳内の「文法の中枢」を明らかにしました。人間は、複数の脳の領域を使い、それぞれの領域が互いにやり取りする中で複雑な文を組み立てることができるのです。
誰もが日常的に使う言葉というテーマを、物理学・生物学・心理学・言語学を横断しながら研究を続ける講演者が考察します。


小島毅「語りと騙り」ーー2011年度 東京大学公開講座「だます」


「ひと語る、ゆえにひとあり。」人はなぜ語るのか。
「語る」ことは、他者への説明であると同時に、自分自身を納得させる行為です。
一つであるはずの事実を、ある受け手のために語る時、それは語り手の視点で”真実”として語られます。そこで、当人が意図したか否かにかかわらず「語り」は加工されます。
そして、それは別の読み手を意識して語る人間の側から見れば、事実が「騙り」であるとされ、批判の対象となってしまう。
つまりは人間社会で「語る」ことは、同時に相手を「騙る」ことが含まれるのではないでしょうか。
そして、その観点から言えば、「騙り」は必ずしも悪とは言えないのかもしれません。
お互いが騙り騙られることで、人間は生きていく。中国思想史家ならではの視点で、「かたり」について考察します。


野中舞子「“役に立つ”心理職とは?[日本語字幕]」ーー2020年度 高校生のための東京大学オープンキャンパス

全く同じ場面・同じ状況であっても、ひとによって考え方が異なります。
「こんな場面、あなたならどうする?」という問いかけから、考え方と気持ちの関係を俯瞰し意識をむけてみると、考え・気持ち・身体・行動が相互に影響し合っていることに気がつきます。
もしストレスを受ける場面にであった時、自分なりのストレス対処法を持っていない人も多いのではないでしょうか?
考えを変えてみたら、身体を大切にしたら、好きな行動をしてみたら、などと言われても簡単ではありません。
誰かに相談したくても、どんな人に相談したらこの悩みは解決するのでしょうか? 
迷ってしまった時は、心理援助職の研究や業務の内容を知ることで、ストレス対処法の探し方や相談相手の見つけ方など、迷い方が見つかるかもしれません。


森田直美「ステレオタイプ的思考が会話に与える影響」ーー2020年度 東大院生・若手教員によるミニレクチャプログラム


女性か男性か、黒人か白人かなど、二項対立化して人を分類する時に生まれやすい、紋切り型の先入観。無意識の中に潜むステレオタイプ的な認知の癖は、時に医師にすら誤った判断をさせてしまうことがあります。
医療通訳をテーマに社会医学を研究する講演者が、実際の医療現場で起きた事例を取り上げながら、誰もが抱えている固定観念に、自分自身でどう気づくか、そのヒントを紹介します。


4分間でみる「東大における英語での学び」ーー2018年度


グローバルリーダーの育成に取り組む東京大学では、語学の授業にとどまらず、多くの教養科目や専門科目も英語で提供され、「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」授業が行われています。
これらの授業には、世界中から集まった留学生も参加しており、日本の学生は彼らとともに学ぶなかで、英語でのコミュニケーション能力を、実践的な形で身につけます。
こちらの動画では、その概要を約4分の動画にまとめて紹介しています。


このほかにも、東大TVにはコミュニケーションを議題にした動画がたくさんあります!
みなさんも興味のある分野やイベント、キーワードからサイトを検索して、自分だけのおすすめ動画を探してみてください!

2022/01/18

皆さんは「アメリカ」を知っていますか? 
一口にアメリカと言ってもその切り口は様々です。
例えば、今もメディアやインターネット上で注目を集めている大統領選ひとつを取ってみても、様々なことが見えてくるようです。

今回の特集では、はじめにそうした大統領選にまつわる動画や、対外的な経済政策についての動画、多言語・多人種が生み出す文化や国民的作家についての動画を取り上げます。
それぞれ異なる視点から捉えた動画ではありますが、並べて見てみると互いに関連しあう問題が徐々に浮かび上がってきます。

そして後半では、アメリカのみに焦点を当てるのではなく、日米関係を扱っている動画を2本セレクトしました。
アメリカという他国をつぶさに見ることで、翻ってどんな日本の姿が浮かび上がってくるのでしょうか。
トランプ政権からバイデン政権への移行期のこの今、アメリカという国について、日本という国について、考えてみる機会としてご活用いただければ幸いです。


オバマを大統領にした男:マーシャル・ガンツによる「市民の力で社会を変える」――特別講演「Global Leadership Program 公開セミナー」
ganz_600.jpg

──バラク・オバマ。
ドナルド・トランプ氏の前任を務めた第44代目アメリカ大統領は、合衆国史上初の有色人種の大統領でした。

さて、皆さんは覚えていらっしゃいますでしょうか? 
彼が大統領選時のスピーチに「Yes We Can」や「CHANGE」といったフレーズを効果的に利用していたことを。
彼の選挙運動はまるで社会現象のように取り沙汰され、アメリカだけでなく世界中に伝播してゆきました。
しかし実際のところ、大統領選が始まった当初は、彼は泡沫候補にすぎなかったのです。
そんな彼が、どのようにして下馬評を覆し、大統領になることができたのでしょうか。

「パブリック・ナラティブ」と「コミュニティ・オルガナイジング」というキーワードを元に、オバマ元大統領の立役者マーシャル・ガンツ氏らが社会改革の手法について討議します。


久保文明「政治への不満が爆発するとき-トランプ現象を事例として」――2017年度公開講座「爆発」


後に紹介する動画とも関連しますが、「人種の坩堝」と形容される移民大国アメリカでは、しばしば人種間での対立が勃発します。
そうした背景の中、2016年には、メキシコからの不法移民に対し強い非難を叫んで話題をさらったドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利し、先に紹介したバラク・オバマ大統領に代わって第45代アメリカ大統領に就任しました。
事前の世論調査では、対立候補である民主党のヒラリー・クリントン氏が優勢だった中、強硬的な発言を繰り返すトランプ氏がなぜ選挙に勝てたのでしょうか。
当時のトランプ氏の勝因を、アメリカ政治学がご専門の久保史明先生が詳細に分析しています。


Fireside Chat Regarding U.S. International Economic Engagement [英語]――2019年度「アメリカの国際的経済関与についてスペシャルトークセッション」


環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の離脱、大西洋横断貿易投資パートナーシップ協定(TTIP)の交渉を中止。
トランプ政権下のアメリカは、グローバリズムから一転して、保守貿易主義を打ち出しました。
もう一つの大国・中国と苛烈な貿易戦争を繰り広げ、その様子は連日報道されたことから、私たちの印象にも強く残っているかと思います。

こちらは藤原帰一先生と米国国務省次官のキース・グラック氏のトークセッションです。
国際政治学の専門家と、外交を担う国務省で行政に携わる人物は、2019年当時のアメリカの対外的経済政策についてどんな意見を取り交わしているのでしょうか。
トランプ政権のこれまでを振り返るためだけでなく、これからのバイデン政権の行末を占うためにもぜひ見ておきたい動画です。


平石貴樹「分析力・洞察力・想像力 エドガー・アラン・ポーをめぐって」――2012年度公開講座「想像力」


アメリカ合衆国史上、最初の専業作家が誰かご存知ですか?
正解は「エドガー・アラン・ポー」です。
世界初の推理小説と言われる『モルグ街の殺人』の著者はミステリの父として有名ですが、同時にまた、アメリカで最初に文筆業のみで生計を立てた人物としても知られているのです。

この動画では、そんなポーの宇宙論『ユリイカ』を俎上に上げ、文学的感性と当時の科学的知見に共通しているかもしれない「想像力」について探究していきます。
その導き手は平石貴樹名誉教授。
フォークナーがご専門のアメリカ文学者の方ですが、本人自身も小説家としてご活躍されています。
学術的・批評的な価値はもちろんのこと、数々のポーの作品を下敷きにした本格ミステリ『だれもがポオを愛していた』の著者である平石先生がポーについて語っているという点では、ミステリファン垂涎の動画でもあるかもしれません。


柳原孝敦「チカーノの悲しみと怒りに耳を澄ませて」――2018年度オープンキャンパス 文学部模擬講義


アメリカの公用語って何語かご存知ですか? 
英語でしょ?
って思った方、実は違うのです。

というか、アメリカには公用語の規定がそもそも存在しないのです。
もちろん一番多く用いられている言語は英語ですが、多民族が暮らすアメリカでは、フランス語やチャモロ語など実に多くの言語が使用されています。

そして、英語の次にアメリカで話されているのがスペイン語です。
この講義では、英語圏ではなく、スペイン語圏の文学研究をしている柳原孝敦先生を講師に迎え、チカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人たちの文化を紹介しています。

英語とスペイン語が混交したスパングリッシュを用いる彼らの戯曲や小説、音楽には、一体どんな思いが込められているのでしょうか。


吉見俊哉「戦後日本におけるアメリカニズムと権力」――2007年度公開講座「力<チカラ>」


なぜ、日本はここまで親米的なのでしょう? 
情報学環の吉見俊哉先生は、まずこの問いから出発します。

動画内ではその事実がきちんとデータで示されていますが、そうではなく漠然とでも、日本はアメリカに好感を抱いているな、と感じる方も多いと思います。
でも本当に、なぜなんでしょう?

ある人は、アメリカの大衆消費文化の魅力を理由をあげるかもしれません。
しかし、これではどうやら説明がつきそうにありません。
もしこの理由が妥当ならば、アメリカの消費文化を受け入れいてる他国も同様に親米感情が高いはずなのに、日本ほど高い数値は示していないからです。

また、ある人は日本の親米感情の高さを戦後復興と結び付けて考えるかもしれません。
しかし、戦後の直後ならともかく、今現在も親米感情が持続するのはやはり不可解です。

では一体、なぜ? 
吉見先生が動画内で唱える仮説は、この疑問に対して見事な回答を与えてくれます。


阿部誠「ものづくりを諦めたアメリカ、マーケティングの出来ない日本:顧客の力を探る」――2007年度公開講座「力<チカラ>」


「アメリカは、ものづくりができないのではなく、やりたくないのである」
アメリカ帰りの阿部誠先生は、現地での生活を概観して、こう導き出します。

どういうことでしょうか? 

つまり、合理性を貫くために、コストのかかるものづくりは海外に外注してしまうのが当時のアメリカの現状だったのです。
今風に言い直せば「ものづくりはコスパが悪い」とでもなるでしょうか。

翻って日本の産業はどうなのでしょうか。
実は、日本も同じような状況に陥っており、製造業志向の『ものづくり』から変身しなければ日本に未来はないと、阿部先生は2007年当時の日本の産業に暗い予見をしています。

では、具体的にどうすれば良いのでしょう。
その詳細は、ぜひ動画で確かめてみてください。


このほかにも、東大TVにはアメリカや日米関係についてもっと知ることができる動画がたくさんあります!
みなさんも興味のある分野やイベント、キーワードからサイトを検索して、自分だけのおすすめ動画を探してみてください!