ぴぴりのイチ推し!

2025/10/21
今年5月に公開され、大ヒットとなっている映画『国宝』。俳優の吉沢亮・横浜流星演じる歌舞伎役者の生涯を描いたもので、『藤娘』『鷺娘』『京鹿子娘道成寺』といった、女形を代表する演目が大きな見どころです。では、歌舞伎における女形はどのようにして誕生し、現代に至るまで成熟してきたのでしょうか。ここでは、人文社会系研究科の古井戸秀夫先生とともに、歌舞伎の歴史と成熟の過程を追いかけてみたいと思います。
歌舞伎の歴史
1603年、「出雲阿国」と呼ばれる女性が、京都の四条河原で踊ったのが歌舞伎の始まりだとされています。これは、徳川家康が征夷大将軍に任命されたのと同じ年です。歌舞伎は徳川幕府と一緒に誕生して以来、徳川幕府とともに成長し成熟してきたのです。
女性である出雲阿国は、男性に扮し、恋心を歌った歌に合わせて華麗に踊りました。
江戸では、観客は20000人から30000人ほど集まり、恋心に燃える熱気のなかで喧嘩も度々起こってしまいます。そこで、女性が舞台に立つことが禁止されることになります。
すると、女性に代わって美少年が舞台に立つようになりますが、観客がやはり激しく興奮するため、美少年も舞台に立つことを禁じられます。
女形は、このような歴史のなかで生まれてくるのです。このとき、出雲阿国の歌舞伎踊りから、すでに50年が経っていました。女形の誕生から成熟までにはさらに50年がかかり、元禄の時代になってようやく成熟していきます。
出雲阿国と歌舞伎踊り
後に「出雲阿国」と呼ばれる女性は、子供のときから芸能人。当初は「阿国」とだけ名乗り、「ややこ踊り」を踊っていました。「ややこ」とは小さい子供のことで、阿国はかわいらしい踊りを踊る少女スターだったと言えます。
彼女の存在が初めて記録に見えるのは、正親町天皇やその后、また彼らに仕える女官の前で、阿国と思しき人々がややこ踊りを踊った、というものです。
時は戦国、男性たちが皆戦っているなかで、戦に赴くことのない天皇や女性は不安を抱えていました。阿国たちのややこ踊りは、それを癒してくれるものだったと考えられます。
ややこ踊りは、たとえば、以下のような流行歌に合わせて踊られました。
身は浮草よ、根を定めなの君を待つ、去のやれ月の傾くに(私は身の定まらない浮草のような心境です。なぜかというと、あっちに行ったりこっちに行ったりして定まらない男のことを待っているから。日が暮れて、男が来るのを今か今かと待っている。でももうこんなに月が傾いているのに、あなたはまだ来ない)
おませな年頃の心を歌ったものです。しかし、踊っている少女たちは幼いため、意味はわからないまま踊っていたと思われます。
その後、戦乱が激しくなり、公家が京都の外へ逃げていくのに連動して、阿国も諸国を放浪しました。そして、阿国が再び京都に戻ってきたのが、家康が征夷大将軍になった1603年です。
その際、それまで「阿国」とだけ言っていた少女が、どういうわけか「出雲阿国」と名乗り始めます。それにより、出雲阿国は出雲大社の巫女だという噂が立つことになります。歴史学の分野ではすでに、出雲阿国は出雲大社の正式な巫女ではなかったことが検証されていますが、古井戸先生は「本人が出雲阿国と名乗ったということ、そういう噂が立ったということの方が大事」だと言います。
では、出雲阿国が出雲大社の巫女とされることは、どのような意味を持ったのでしょうか。
江戸時代になると、出雲大社と縁結びを関連づける信仰が生まれてきます。その信仰は、神々によってどのように縁結びが行われるか?という説話をも生み出します。日本では、十月は八百万の神が出雲大社に集まるとされています。江戸時代の庶民は、そのときに神々が何をしているかを考えました。そして、ある国から来た神様と、別の国から来た神様が、赤い紐を持って人々を紹介し合うことで、紹介された者同士が結ばれると考えられるようになりました。いわゆる「赤い紐伝説」です。
「出雲阿国は、女でありながら男に変装して女の心をチャームする。あるいは、本来の女の姿で荒くれた男の心をチャームする。このように、男と女を結びつける縁結びの神として、彼女は舞台に出てきたのではないか。」と古井戸先生は考察されています。
女形の技術
女形では、男性が若い女性の役を演じます。十代や二十代の若い男性が演じることもありますが、八十代の男性が演じることもあります。そのため、大人の男性が十代の華奢な女性に変身する技術が必要とされました。
たとえば、バレエでは体の線を直接見せることが重視されている一方で、歌舞伎では衣装で体のラインを隠すことで綺麗に見せるという方法を用います。そのため、貝殻骨(肩甲骨)を背中の中心に寄せたり、衣装を着た時の体のラインが柳のように見えるようにしたり、という訓練をします。
また、腰については貝殻骨のように動かすことができないため、観客の錯覚を利用しています。具体的には、両膝をくっつけて、両足をハの字にして歩くことで、華奢な女性を表現します。
このようなさまざまな技術は、はつらつと登場してきた出雲阿国による踊りが、長い時間をかけて、二十代の男性でも八十代の男性でも演じることのできるような成熟した女形の世界を形作っていったことの証なのです。
今回の記事では紹介しきれませんでしたが、講義動画では、ほかにも女形が成熟していく詳細な歴史についても説明されています。気になった方は、ぜひ講義動画をご覧ください!
https://youtu.be/80Z2xi0WMsE
〈文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)〉
今回紹介した講義:東京大学公開講座「成熟」 歌舞伎ー女形の成熟 古井戸秀夫先生
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2025/10/03
私たち人間を含む生き物は、生き延びるため、そして子孫を残すために、さまざまな工夫を凝らしてきました。その中で特に興味深いのが「だまし」の行動です。だましと聞くと少しずるいイメージを抱くかもしれませんが、自然界では非常に多様で洗練された「だまし」が見られます。
今回ご紹介するのは、2011年度東京大学公開講座「だます」より、長谷川寿一先生の「動物のだまし」です。カモフラージュや擬態、偽傷、偽死、托卵などの行動、さらには霊長類の戦術的なだましまで、多彩な事例を通じて動物のだましについて探っていきましょう。
魚のだましーー偽物の「掃除屋」とメス擬態
海の生き物におけるだましと言えば、捕食者から身を守るために背景の色に溶け込む擬態をイメージされる方も多いかもしれません。しかし実のところ、魚の「擬態」はそれだけではありません。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「だます」 2011 長谷川寿一
まずは、他の魚に擬態する例です。
海の中には「掃除屋」と呼ばれる魚がいます。代表的なのがホンソメワケベラです。彼らは他の魚の体についた寄生虫や老廃物を取り除いてあげるため、多くの魚から大切に扱われ、捕食されることもあまりありません。
しかし、この「信用」を利用する魚もいます。ニセクロスジギンポはホンソメワケベラに擬態し、他の魚に近づきます。そして時にはその魚の体を食いちぎるという行動をとります。(もっとも、野外での観察ではそこまで悪質な行動は少ないとされ、状況によって行動は変わるようです。)
また、よく知られている擬態として、オスがメスのふりをする「メス擬態」があります。たとえばブルーギルでは、大きなオスが縄張りを作り、メスを呼び込んで繁殖します。ところが体の小さいオスがメスのふりをして近づき、繁殖のチャンスを横取りすることがあります。縄張りオスは自分の縄張りにメスが増えたと思い込み、攻撃をしないため、作戦が成功するのです。
さらには、南米のカラシン目の魚には、メダカのメスにそっくりの姿でメダカのオスを誘い、近づいた瞬間に食べてしまうという恐ろしい種類もいます。まさに「ローレライ伝説」のような捕食戦略です。
鳥のだましーー偽傷行動
続いては、皆さんにとってはあまりイメージがないかもしれない、「鳥のだまし」を見ていきます。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「だます」 2011 長谷川寿一
鳥のだましとして挙げられるのは、「偽傷行動」というものです。これはコチドリなどの小型の鳥に見られます。巣の近くにイタチなどの捕食者が現れると、巣とは異なる方向から降り立ち、翼を非対称に広げてあたかもケガをしたかのように歩いて見せます。捕食者は弱った鳥を狙おうとその動きに引き寄せられ、追われた鳥はさらに逃げ……という行動を繰り返し、十分に巣から遠ざかったところで元気に飛び去るのです。
霊長類の戦術的だましと脳の進化
ここからは霊長類、そして人間に目を向けてみましょう。
霊長類は一般に「脳が大きい」動物として知られています。脳は大きければ大きいほど賢くなる…、これは良いことのように思われがちですが、実際には必ずしもそう単純ではありません。というのも、脳は非常に「コストのかかる臓器」だからです。
人間の場合、体重の2%しかない脳が基礎代謝の20%を消費しており、しかも使えるエネルギーはブドウ糖に限られています。これほどの負担を抱えてまで脳が大きく進化したのはなぜでしょうか。その理由を説明する仮説が「社会脳仮説(social brain hypothesis)」です。
霊長類は群れで生活し、捕食者から身を守ったり、縄張りを協力して守ったりする利点を得ます。しかし同時に、仲間の識別や血縁・友好・敵対関係の把握など、複雑な対人関係を処理する能力が必要になります。群れが大きくなるほど関係性は急速に複雑化し、その認知的負荷に対応するために脳が進化したという説明です。
この考え方は「マキャベリ的知性仮説」とも呼ばれます。霊長類はしばしば「戦術的なあざむき」を行うからです。たとえば、欲しいものがあっても声を出さない、食べ物を隠れて食べる、敵意を持ちながら友好的にふるまう、といった行動です。ときには第三者を利用して他者を欺くこともあります。これは昆虫や爬虫類の単純な擬態とは異なり、知的で認知的な行動といえます。
実際に調査すると、群れの規模が大きいサルやチンパンジーほどこうした行動が多く、脳の大きさと欺きの頻度には正の相関があることが示されています。
では人間はどうでしょうか。霊長類は主に「だまして利用する」行動を示しますが、人間はさらに「他者への共感や同情」を発達させました。相手の気持ちを理解する力によって、単なるだまし合いから「協力し合う社会」へと移行できたのです。
もっとも、協力社会にはフリーライダーや詐欺師といった裏切り者が入り込む危険もあります。そのため人間は、裏切り者を見抜く心理的仕組みを発達させたのではないかと考えられています。
まとめ
動物界全体を見渡すと、擬態や托卵など多様なだまし行動が存在します。それらは多くの場合、生得的に備わった生存戦略です。ところが霊長類になると、知性を用いた戦術的な欺きが登場します。この点において、霊長類のだまし行動は「知性の進化」をたどる手がかりとなります。
ただし、人間以外の霊長類が「相手の心」までも理解してだましているのかどうかは、いまだに明確ではありません。一方で、人間は他者の心を推し量り、共感や同情に基づいて協力し合う社会を築きました。そして同時に、協力関係を破壊する裏切り者を検知する能力を発達させることで、社会を維持してきたのです。
つまり、「欺き」から「共感と協力」への転換こそが、人類がここまで繁栄してきた最大の秘訣である、と言えるかもしれません。
講義動画では、ヘビの擬態や鳥の托卵など、ここでは紹介しきれなかった様々な動物の事例が紹介されています。興味を持った方はぜひご覧ください!
https://youtu.be/Vee7hS6c2yE
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「だます」 動物のだまし 長谷川寿一先生
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2025/09/16
みなさんは、宇宙人は存在すると思いますか?
「宇宙はこんなに広いんだから宇宙人はいるよ!」
「いや、でも宇宙人がいたらすでに地球を見つけて何らかの手段で連絡をとってきているだろう」
「いやいや、違うな。もうすでに地球は宇宙人の侵略を受けて乗っ取られているんだ…」
少々過激な意見も聞こえてきましたが(焦)、ともかく宇宙人がいるかどうか探してみないことには始まりませんよね。でも、どうやって探せばいいのでしょうか?
火星に行って探索してみる?たしかにそれも一つの手です。でもできれば地球に似た環境で、我々と同じような生命を見つけられると嬉しいですよね。
実は、科学者たちはすでに動き出しています。太陽系の外にある惑星、すなわち系外惑星の観測は1990年代から行われており、実はすでに6000個ほどの系外惑星が発見されてきています。意外と多いなと感じる方も多いのではないでしょうか!しかし、恒星よりはるかに暗い惑星をはるか遠くの地球からどうやって観測しているのでしょうか?また、その中に生命が存在する可能性のある惑星は見つかっているのでしょうか?
この講義では、系外惑星の観測を専門とする成田先生が、「第二の地球探し」の最前線を分かりやすく説明しています。宇宙人はいるのか?古くから人類が抱いてきたこの疑問に現代科学はどこまで迫れるのでしょうか。系外惑星のフロンティアを、一緒に見ていきましょう!
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
系外惑星の見つけ方
ではまず初めに、系外惑星観測の現状について見ていきましょう。系外惑星が初めて観測されたのは1995年(実は30年前!)のことで、そこから徐々に増えていき、講義があった2021年時点では4000個以上の系外惑星が発見されています。どんな惑星が見つかったのかも気になるところですが、まずは観測手法に注目してみましょう。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
難しいワードが並んでいますが、年代別の発見数を見てみると、最初は視線速度法(赤色)での発見がメインだったものの、徐々にトランジット法(緑色)をはじめとする他の観測方法が増えていったことが分かります。ここでは講義にならって視線速度法、トランジット法、そして直接撮像法の3つの手法について、噛み砕いて説明していきます。
1.視線速度法
一つ目は視線速度法です。惑星は恒星の周りを公転していますが、なぜ恒星を振り切って外に飛んでいかないかというと、重力により恒星に引きつけられているからです。実は同じように恒星自身も惑星の重力により引きつけられており、それによってほんの少しだけ揺すられます。例えるならお相撲さんと子供が綱引きをして、お相撲さんがちょっと揺れるようなものです。
このふらつきを測定することで惑星の存在を間接的に確かめるのが、視線速度法です。
では、どうやって恒星のふらつきを観測するのでしょうか?そのためにはドップラー効果を用います。ドップラー効果とは、音や光といった波を出している対象が動くことで、波の周波数が変化する現象のことを言います。身近な例としては、救急車のサイレンが自分に近づいてくるときには高く、遠ざかるときには低くなることがあります。恒星のふらつきを観測すると、恒星の光の振動数が少し変動します。それを観測するのが、視線速度法です。実は、人が歩く速度(秒速1メートル)より小さい恒星のふらつきも測定することができるそうです。すごいですね。
少し難しかったかもしれませんが、とりあえず恒星が惑星の重力の影響でふらつき、それを検出するのが視線速度法だと覚えてもらえれば大丈夫です。
2.トランジット法
二つ目はトランジット法です。こちらの原理は簡単です。恒星(主星)と惑星のペアが存在していて、たまたま惑星が主星の前を横切ることがあったとします。するとその間、主星が暗くなるため、ここから惑星の存在が確かめられます。これをトランジット法といい、惑星の半径を知ることができます。しかしどんな惑星でも検出できるわけではなく、地球から見てちょうど惑星が主星の前を横切るような位置関係になる必要があります。ちなみに、トランジットとは英語で「通過」という意味です。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
3.直接撮像法
三つ目は直接撮像法です。こちらも原理は簡単で、惑星を直接望遠鏡で観測しよう!というものです。もちろん惑星は自分自身では光らず、恒星の光を反射するだけなので、そのまま観測するには暗すぎます。そのため、観測においては主星の光を隠し、惑星だけを見えるようにするマスクという操作を施す必要があります。直接撮像は前の二つに比べて難しいため、見つかった系外惑星の数も限られています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
系外惑星を望遠鏡で探す
地球からはるか離れた系外惑星をどのように見つけているのか、なんとなくイメージがつかめたでしょうか?では、具体的にどんな系外惑星が見つかっているのか、これまでの科学者たちの歩みとともに見ていきましょう。
ケプラー衛星
系外惑星探査を目的として打ち上げられた初めての衛星が、NASAのケプラー衛星です。上で説明したトランジット法を用いて、白鳥座付近の10万個以上の恒星を4年にわたって観測し、2015年までに4696個の惑星候補を見つけました。その中でも中心の恒星から程よい距離にあり、水の存在できる生命居住可能領域にある惑星は50個ほど発見されました。つまり、ケプラー衛星により宇宙は地球と同じような惑星で溢れているということがわかったのです。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
ちなみに、望遠鏡の名前にもなっている科学者ケプラーは火星が太陽を中心とした楕円軌道上を運動することを発見した人物で、地動説を広めることに貢献したという点では漫画『チ。ー地球の運動についてー』とも関連が深い人物です。
TESS
しかしケプラー衛星は、太陽系から離れた惑星を観測していたため、観測から生命の痕跡を見つけることが難しいという問題がありました。この問題点を踏まえて、太陽系近傍の系外惑星探査を目的として打ち上げられた衛星が、TESSです。TESSはケプラー衛星よりも観測領域がはるかに広く、2018年の打ち上げ以来、太陽系近傍の恒星を20万個ほど観測してきました。まだ公表されている系外惑星は多くはありませんが、生命居住可能惑星も見つかっています!
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
MuSCAT
ここではトランジット法を用いた系外惑星探査に注目しましたが、トランジット法には落とし穴があります。実は、惑星ではなく恒星が横切ることでも減光が起こるのです。これを食連星と言います。食は日食の食と同じ意味です。しかし恒星の場合は自ら光っているため、観測する光の波長によって惑星の場合とは異なる減光の仕方をします。この方法で判別する装置がMuSCAT(ロゴがかわいい!by 執筆者)で、成田先生が大きく関わっているプロジェクトです。講義では組み立ての動画も上がっているので興味のある方はぜひご覧ください。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 成田憲保
まとめ
系外惑星のフロンティア、いかがだったでしょうか?系外惑星の分野はまだまだ発展途上であり、これからますます新しい進展が見込めるホットな分野になっています。講義ではより具体的な系外惑星の情報や観測方法の詳細について説明されているので、興味があればご覧ください!
宇宙人がいるのかどうか、その謎が解ける日は近いかもしれませんね!
https://youtu.be/_fFmRn3YPN8
<文/近藤圭悟(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:2021年度:高校生と大学生のための金曜特別講座 第二の地球探しの現在と未来 成田憲保先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/08/27
そもそも古代ゲノム研究とは何でしょうか?
2022年ノーベル生理学医学賞の受賞者に、スヴァンテ・ペーボ博士という人がいます。受賞にあたり評価されたのは、「古代ゲノム学の創設」「ネアンデルタール人の全ゲノム配列決定」「デニソワ人の発見」という実績です。
ここで注目したいのは、デニソワ人の発見。
ロシア領のアルタイル山脈にあるデニソワ洞窟から見つかった人類の歯と骨からDNAを抽出してゲノムを解読し、ネアンデルタール人でもなくホモサピエンスでもない第三の人類「デニソワ人」を見つけたのです。
化石の発見ではなくゲノム解読によって新しい人類を見つけた、という点で世界初の功績である上に、約5万年前には3種の人類が地球上にいたという示唆を与えたことも高く評価されています。
それでも、ノーベル賞を受賞するほどすごいことなの?と思った方もいるかもしれません。
太田博樹先生は、「人間」とは何か?という普遍的な問いに対して、議論の基礎をなす科学的情報を提供したことはノーベル賞に値する価値なのではないか、と話します。
今回ご紹介するのは、第138回(2024年春季)東京大学公開講座「制約と創造」から、「古代ゲノム研究から学ぶ人類の過去と未来:我々はどこから来てどこへ進むのか?」です。
本講義では、この古代ゲノム研究がどのように人類の謎と関係してきたのか、解き明かしていきます。
古代DNAの制約
そもそも古代ゲノムを解読するには、ゲノムが書き込まれている古代DNAが重要となります。
実は現代のDNAの分析というのは非常に簡単で、皆さんも30万円程度を支払えば、精度の高いゲノム解読をすることができます。
しかし、古代DNAではそれほど簡単なことではないのです。
ゲノムとDNA
人間は37兆個の細胞でできていますが、その細胞一つひとつには「核」と呼ばれるものがあり、そこにはすべての遺伝情報が組み込まれています。
そのすべての遺伝情報が「ゲノム」と呼ばれるものです。そして、そのゲノムが書き込まれている物質がDNA(デオキシリボ核酸)というものです。
よくある誤解として、DNA=遺伝子だと思っている方が多いのですが、遺伝子はDNAの一部である、ということも心に留めておいてください。
生物は死んだあとどうなるか
では生物が死んだあと、DNAはどうなるのでしょうか?
実は生き物はもともとDNAを分解する酵素を細胞内に持っています。それは、生きている間は膜に覆われていますが、生き物が死ぬと外に出てくるため、死後すぐにDNAの分解が始まります。
死後、肉体は腐敗して土に還りますが、骨や歯など硬い部分は一部残ります。ここに残っているDNAがいわゆる古代DNAというわけです。しかしこの古代DNAは、酵素によってズタズタにされている上に、雨や地下水にさらされ、DNAの分子の数が減っています。
そのため、古代ゲノムを解読するのは至難の業なのです。
私たちはいつから「人間」なのか
この古代ゲノム研究は、人類の起源に関する議論に大きく関係しています。
私たち現生人類(ホモサピエンス)はアフリカで誕生して世界に広まった、という「アフリカ単一起源説」はほとんどの方がご存知かもしれません。
実は、この学説が「定説」になったのはゲノム解析によるものなんです。
では、どのようにゲノム解析が関わってきたのか、歴史に沿って考えていきましょう。
多地域連続進化説
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「制約と創造」 2024 太田博樹
1990年代くらいまでは、このアフリカ単一起源説の他に多地域連続進化説というものがあり、盛んに議論が行われ、むしろ多地域連続進化説のほうが有力とされていました。
共通の祖先はアフリカにいた初期のホモ属ですが、それぞれが地域ごとに進化した、という考え方です。例えば、初期ホモ属が北京原人に進化して今の東アジア人になり、初期ホモ属がジャワ原人に進化して今のオーストラリア先住民になった、という感じです。
化石を分析すると、北京原人が今の東アジア人と共通する形態を持っていたりと、この考え方のほうが説得力を持ちます。
しかし、この学説には厄介な点がありました。それは、脳の容量です。
原人の脳は700㏄~1000cc、現代の私たちは平均すると1350cc。原人のときから2倍程度になっています。これほどの大きな変化を環境的要因で説明するのは難しいので、遺伝子の変化として説明したほうがよいだろうということになります。
そうすると、各地域で同時多発的に遺伝子の変化が起きた、あるいは交雑した結果脳の大きい遺伝子が広まった、ということになりますが、移動手段も発達していない時代であったことを踏まえると、それはかなり可能性が低い話です。
そこで、これに代わる仮説としてできた説がアフリカ単一起源説でした。
アフリカ単一起源説
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「制約と創造」 2024 太田博樹
ホモサピエンスが共通の祖先から進化し、各地に移動したと考えれば、脳の容量に関する問題は解決されます。
しかし、アフリカ単一起源説にも問題点がありました。それはヨーロッパに住んでいたとされる旧人、ネアンデルタール人の扱いです。
アフリカ単一起源説では、北京原人やジャワ原人は絶滅した、と考えられます。一方でネアンデルタール人は私たちホモサピエンスと非常に似ていて、絶滅したとは考えにくいのです。
ところが、とある研究者がネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを分析した結果、現生人類のミトコンドリアにはネアンデルタール人のミトコンドリアが後継されておらず、ネアンデルタール人は絶滅していた、ということが示されました。(当時は技術的に、通常のゲノム解析ではなくミトコンドリアDNAの解析しかできませんでした。)
これにより、アフリカ単一起源説が仮説から定説になりました。
しかし、やはりネアンデルタール人がなぜ絶滅したのか、には疑問が残ります。
胸郭の広がりや鼻腔が大きいなどの小さな違いはありますが、脳の容量はホモサピエンスとほぼ同じで、知能にはほとんど違いがないとされています。そうなると、なぜホモサピエンスのように繁栄しなかったのか、理由が説明できません。
そこで、人類史の分野においては、ホモサピエンスの「現代人的行動」がネアンデルタール人にはなかったからではないか、という議論が起こりました。
現代人的行動とは、ビーズなどの装飾品や細密描写の壁画を生み出していること、石器を短期間で多様化させていることなどを指します。
研究者の中には、これを「認知革命」と呼ぶ人もいました。脳の大きさは同じでも、ホモサピエンスは何かしらの遺伝子が変異したことで神経細胞のネットワークが発達した、という考え方です。
大ヒットした『サピエンス全史』という本の中でも、認知革命は当然のことで研究者の前提として紹介されています。しかし、最近のゲノム研究によって、この前提が覆りつつあります。
ネアンデルタール人のゲノム解析
技術発展によりゲノムが解読できるようになると、ネアンデルタール人のゲノム解読が行われました。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「制約と創造」 2024 太田博樹
すると、ゲノム配列の情報から、ホモサピエンスとネアンデルタール人は50~60万年前に分岐したあと、ふたたび5~6万年前に出会い交雑したのだろうということがわかってきました。
独立した系統で進化したとは考えにくいため、脳の巨大化は分岐前に起きたということになります。
そこで分岐後にホモサピエンスのみが繫栄した説明として「認知革命」というものがありましたが、これはホモサピエンスとネアンデルタール人が交雑しない間柄であるという前提にたっています。
しかし、実際には交雑できる同種であったということが生物学的にわかり始めたことで、この「認知革命」という前提が揺らぎ、なぜネアンデルタール人が絶滅したのか、が再び議題としてあがってきたのです。
最後に
このように、古代ゲノム研究は人類の起源という大きな謎を解き明かす重要な鍵となっています。
最新の古代ゲノム研究や、太田先生自身の研究に関する話題など、講義動画ではここでは取り上げられなかった興味深い話題が盛りだくさんです。
興味を持たれた方はぜひ動画をご覧ください!
https://youtu.be/JQAHNRM4Lj0
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:第138回(2024年春季)東京大学公開講座「制約と創造」 古代ゲノム研究から学ぶ人類の過去と未来:我々はどこから来てどこへ進むのか? 太田博樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/08/21
いきなりですが問題です。東京大学の敷地面積の99%は○○なのですが、○○に入るのは何でしょうか?
タイトルから分かってしまいますよね、すみません。
そう、東京大学の敷地面積の99%は森林なのです。これは、東京大学が「演習林」というものを所有しているからです。
今回は、そんな東京大学の演習林の重要性も分かる、日本の森林の現状と未来がテーマの講義「データで見る日本の森林の実態と未来可能性」をご紹介します。お話しされるのは農学生命科学研究科の蔵治光一郎先生です。
130年以上の歴史がある東京大学の演習林
東京大学の演習林は、北海道、千葉、埼玉、東京、山梨、静岡、愛知にあります。
出典:研究,東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林.https://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/research/
その総面積は東大の敷地の99%であると紹介しましたが、面積にすると約33,000ha(ヘクタール)。haといわれてもどれくらいか分からない方も、国土の0.1%、23区の約半分の面積と聞けばその広さが分かるのではないでしょうか。また、これは2019年度に東大が排出した二酸化炭素の71%を演習林で吸収できるくらい大きいそうです。
演習林はその名の通り、森林に関連した研究・教育に使われています。駒場の前期教養(東大の1、2年生)向けのものだけでも、2019年には約40科目で使われ、毎年400人くらいが演習林を利用していました。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 蔵治光一郎
蔵治先生は森林に関する研究・教育の重要な点として、変化に時間がかかることを挙げています。
例えば人間が木を切って、そこに新たな木を植えた場合、大きくなるまでに50年はかかります。
したがって、現在の森林の姿は、50年前の人たちが思い描いていた森林の姿ともいえます。つまり、現在の私たちの行動は、未来の森林の姿に繋がります。
そのため、次世代への責任として、大学においても森林に対して正しい理解をして、森林の未来について考えてもらうことを大切にして教育を行っているそうです。
ぜひみなさんもこうした背景を知ったうえで、講義を視聴してみてください。
また、研究という観点では、過去のデータを蓄積している点が東大演習林の強みであると蔵治先生はおっしゃっています。
日本初となった最初の演習林は1894年に千葉に設置されました。そのため、東大の演習林では、50年以上前から継続して行われている取り組みや研究がいくつもあるそうです。
まだまだ科学的知見が必要な課題が多くある森林・林業について、こうした過去からの蓄積も活かして学ぶことができるのです。
森林も少子高齢化が進んでいる!?
ここからは、演習林から日本・世界に視野を広げ、森林の現状について学んでいきます。
日本は森林大国であるというのは小学校や中学校でも習うため、みなさんご存知だと思います。国土の68%が森林で、下の画像からも分かるように、人口密度の多い国の中ではトップクラスの森林面積率です。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 蔵治光一郎
世界全体を見ると、森林の総面積は毎年約0.1%ずつ減少しています(講義当時)。
地域別にみると、下の画像で赤くなっているブラジルやインドネシアなどでは特に減少している一方、緑になっている中国などでは植林が積極的に行われ、増加しています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 蔵治光一郎
そして日本は、ほとんど増減していません。
日本では1955年~70年ごろの高度成長期に住宅建設の増加などで木材需要が増加し、伐採と植林が多く行われました。しかし、その後は伐採・植林があまり行われなくなっているそうです。
それが分かるのが下の画像のような「人工林ピラミッド」と呼ばれるもの。人口ピラミッドと似たようなもので、真ん中に書かれている数字×5が木の年齢になります。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 蔵治光一郎
5より上、つまり50年以上前に行われた植林が多い一方で、最近(下の方)は植林が少なく若い木が少ないことが分かります。つまり、日本の人工林でも少子高齢化が進んでいるということです。
では、伐採・植林が行われず、少子高齢化が進んでしまうと何が困るのでしょうか?
人工林を放置してしまうと...?
人工林を定期的に伐採・植林をせず、放置してしまうと何が起きるのでしょうか?
その大きな問題の一つが、災害に繋がってしまうということです。
人工林は成長して放置すると、密集して葉が広がらなくなる一方で、幹は光を求めて細いまま上に伸びていってしまいます。そうすると、雨が降ったときに葉からの雨滴の落下速度が大きくなり、地面を強く削ってしまいます。木で覆われて他の植物があまり育たず、また落ち葉などもない場合、土が削られて木の根が露出してしまいます。こうなると、大雨の際などに倒木や土砂災害が起きやすくなってしまいます。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 蔵治光一郎
自然林の場合は、年齢(樹齢)の異なる多くの種類の木が自然に育つのでこのようなことは起きにくく、規則正しく同じ木を植える人工林ならではの問題だそうです。
未来の森林のために
では、なぜ最近は人工林の伐採・植林が行われていないのでしょうか?また、森林の抱える問題について、将来に向けてどのように取り組んでいく必要があるでしょうか?講義ではこれらの点についても詳しく紹介されています。
そして、講義後半の質疑応答では、森林の少子高齢化のメリット・デメリットや動物との関連、産業との繋がりなどにも触れられています。
講義を視聴して、50年、100年先の森林について考えてみてください。
また、2025年9月30日まで、東大柏キャンパスの図書館では、この記事でも紹介した日本で最古の演習林である千葉演習林に関する企画展示「千葉で始まった東京大学演習林の歴史」が行われています。この展示に関する講演のアーカイブ(2025年9月30日まで視聴可)もあるので、東大の演習林に興味を持った方はぜひご覧ください!
https://youtu.be/2XV6C50_QRA
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:2021年度:高校生と大学生のための金曜特別講座 データで見る日本の森林の実態と未来可能性 蔵治光一郎先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/07/16
「ロボット」と聞いたら、みなさんは何を思い浮かべますか?人間のように動いたり会話ができたりするもの、猫や犬のような形をしたもの、掃除をしてくれるもの、工場などでものづくりをしているもの。21世紀を生きる私たちの身の回りには、すでに様々なロボットが存在しています。
ではロボットがまだ存在していなかった時代の人々は、「ロボット」と聞いて何を思い浮かべたでしょうか?
この講座は、「ロボット」をテーマに22名の豪華な講師陣が行う、東京大学公開講座の第2回目です。講師の沼野充義先生は、東京大学大学院人文社会系研究科の教授(2006年当時・現在は東京大学名誉教授)です。沼野先生は22名の中では唯一の純粋な人文系の研究者であり、「科学技術のことが何もわからない」という立場から、文学においてロボットとはどういうものかを考えていきます。
「一見すると非科学的な、科学とは関係なさそうなものを、人間の想像力は思い描くことができる。それがあってこそ科学は発展してきたのではないか」
沼野充義先生は、このように言います。
「ロボット」の語源
まずは、「ロボット」という言葉の語源を確認してみましょう。「ロボット」は、1920年にチェコの作家カレル・チャペックが作った造語です。『R.U.R.』という戯曲の中に登場した言葉ですが、いまや世界中で使われていますね。もっとも、「ロボット」という言葉を最初に思いついたのは、カレル・チャペックではなくカレル・チャペックの兄、ヨゼル・チャペックだと言われています。ヨゼル・チャペックは次のような絵も描きました。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
では、「ロボット」はチェコ語で何を意味するのでしょうか?チェコ語には「農民が課せられる労働」を意味する「ロボッタ」という言葉があり、「ロボット」はそこから来ています。チェコ語の「ロボッタ」はロシア語になると「ラボッタ」、ドイツ語になると「アルバイト」です。つまり、「ロボット」は「仕事をするもの」という意味合いだったのです。
カレル・チャペックの『R.U.R.』は、ロボットを大量生産しているロッサムという人の会社の話です。ここでは、「ロボット」は労働のために役立たないものはすべて切り捨てて作られています。
「機械的には私たち人間よりも完全で素晴らしい理知的な頭脳を備えているけれども、魂は持っていない」と作中に書かれていますが、このように「人間の形をしたロボット」は、人間の想像力を掻き立ててきました。
人間をかたどったロボット
『R.U.R.』の舞台は、人間の代わりに働いてくれるロボットが商品化され、大量生産された近未来社会。ロボットが働いてくれるため、働かなくてよくなった人間は無為徒食の存在になっていきます。だんだんと退化して生殖能力すら失い、このままでは人間が滅びそうだという状況に追い込まれます。そうこうしているうちに、ロボットが働かない人間に反感を持つようになり、ロボットが人間に対して反乱を起こします。これは、以後SFで繰り返し使われるようになった原型です。その後、男女のロボットの間で愛のようなものが芽生えて、ひょっとしたら新しい人類を生み出すのではないか、という予感めいたものでこの戯曲は終わります。『R.U.R.』は、人間に限りなく似た、しかし人間ではないものを前にしたとき、「人間とはいったい何なのか」と問いかけてくる作品です。
もう一つ、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』という作品をご紹介します。新しい種類の山椒魚が発見されて、その山椒魚は人間のためによく働くということで、大量生産されます。ですが、『R.U.R.』と同様、そのうち山椒魚は人間に対して戦争を起こします。山椒魚は水に強いため、洪水を巻き起こして人間を攻めていきます。そのまま山椒魚が人間を滅ぼして世界を支配するか、と思いきや、今度は山椒魚どうしのなかで分裂して山椒魚どうしで戦争を始めるというストーリーです。まるで人間が世界のどこかでやっている愚かなことを描いているようです。
チャペックは、ソ連のような社会主義や、ナチスのような全体主義、さらには近代社会において行われるようになった大量生産が、いずれも危険であることを予知していました。「非常にすぐれた中央ヨーロッパの知性」だと沼野先生は評します。
ただし、これらのチャペックの作品は、突然現れたわけではありません。チャペックの作品に至るまでには、どのような文脈が存在していたのでしょうか。講義では、ゴーレムやフランケンシュタインの話も取り上げています。詳しくは講義をご覧ください。
また、人形が人間になる作品として、「ピノキオ」が挙げられます。「ピノキオ」は木で作られた人形が人間になりたがる話で、19世紀末にイタリアで童話として描かれました。この背景には、デカルトに代表されるように、人間を一種の機械として見る哲学的な考え方もあります。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
しかしデカルトは、体を機械とみなし、体と心は別物だと捉えたものの、体と心の関係がどうなっているかは解き明かすことができませんでした。この問題は現在も尾を引いており、知能がはるかに人間を超えるコンピュータが出てきたとして、心は生じるのか?という問題は解決していません。
このような展開を受けて、アイザック・アシモフは「アイ、ロボット」を書きます。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
アシモフは、「ロボット工学の三原則」を打ち立てています。それは以下のようなものです。
①ロボットは人間に危害を加えてはならない②ロボットは人間に与えられた命令に従わなければならない③ロボットは①②に反さない限り自分を守らなければならない
「すなわち、安全・役に立つ・長持ちするということです。これはロボットに限らず、何かの特徴だと思いませんか?」と沼野先生は言います。そう、これらの特徴は家電製品にも適用できるのです。アシモフの時代まで来ると、ロボットは人間を滅ぼす怖い存在ではなく、「科学技術が発展した社会で技術がこういうものであってほしい」「有用な道具として使われるべきもの」とみなされるようになったのです。
結論-人間はなぜロボットが好きなのか?-
「ロボット」がまだ存在しなかった時代にあって、カレル・チャペックやアイザック・アシモフを中心に、ロボットは様々に描かれてきました。
では、人間はロボットがなぜこんなにも好きなのでしょうか?
「その源泉は、聖書の創世記」だと沼野先生は言います。
「人間が人間のようなものをつくるのは、自分が何であるか、人間とは何か、を知る果てしない旅です。これからも続いていく長い試みです」という沼野先生の言葉通り、近年ではロボットはどんどん発展し、人々にとって身近なものになってきています。この講義は2006年のものですが、現在の科学技術を支えている「人間の想像力」に改めて光を当ててくれる講義です。みなさんもぜひ、身近な科学技術を思い浮かべながら、想像を膨らませてみてください!
<文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「ロボット新世紀」 ロボットとSF:文学的想像力は科学に先行する 沼野充義先生
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2025/07/10
みなさんは、「群れ」という言葉を聞いたとき、どんなものを想像しますか?
サバンナのヌーの大群を想像した人も、空を飛んでいるカラスの群れを想像した人も、はたまた水族館のイワシの群れを想像した人もいるかと思います。
ところで、そもそもなぜ群れというのはできるのでしょうか?
というのも、生き物たちは群れ全体を見渡すことはできません。それなのに、群れはバラバラにはならず全体としてよく統率のとれた動き方をします。
この写真は、敵に遭遇して逃げ惑う鳥の群れを収めたものです。敵に襲われても、散り散りにならずに、群れとしての集団を保ちながら飛び回っています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
ということは、群れには何か秘密があるんじゃないか?群れを構成する生き物の動きには、何か法則があるのではないか?そんなふうに思えてきませんか?
実は、そうした群れの不思議を物理学を用いて解き明かそうとする試みがあります。それが、「アクティブマター物理学」と呼ばれる分野です。これはその名の通り生き物などの「動くモノの集団」を扱う物理学です。
この講義は、東京大学理学系研究科物理学専攻(当時)でアクティブマター物理学をご専門とされている西口大貴(にしぐちだいき)先生が、2021年度に「高校生と大学生のための金曜特別講座」でお話されたものです。西口先生と一緒に、群れの謎を解き明かしていきましょう。
群れを物理学で扱う?
物理学といえば、素粒子とか宇宙とか、日常とはかけ離れたものを対象とするイメージがあるかもしれません。しかし、群れを物理学で扱うのも、実は自然な発想なのです。そのことについて、まず見ていきましょう。
みなさん、蛇口をひねると水が出てきますよね?水というのは、そもそも何でできているのでしょうか?
中高の理科で習ってご存知の方も多いと思いますが、水というのは水分子が集まってできています。水分子は約0.3nmと非常に小さく、ミクロな世界を扱う量子力学に従っています。
一方コップの中の水のようなマクロな世界の運動は、マクロな世界を扱う流体力学に従っています。
このミクロな世界とマクロな世界の架け橋となるのが統計物理学と呼ばれる分野です。統計物理学は、水分子の性質から水の性質を説明できるかといった、ミクロな構成要素とマクロな性質の関連を調べることを目標にしています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
統計物理学の面白い点は、しばしばミクロな構成要素によらないマクロな性質が現れることです。
例えば水と水銀は全く異なる物質ですが、どちらも液体という観点では同じように振る舞いますよね。
なので、群れというマクロな集団にも、それを構成する生き物によらない普遍的な性質があるだろうと予想するのは自然な発想ではないでしょうか?これが、群れを物理学で扱うアクティブマター物理学のモチベーションです。
ミクロな微生物の泳ぎ方
ところで、群れについて考えるためには、群れを作っている生き物一匹一匹がどのように動くかを理解する必要がありそうです。まずは、生き物の動き方を考えてみましょう。
ここでは、あまり身近ではないかもしれませんが、大腸菌などの微生物の泳ぎ方について見ていきます。というのも、実はミクロな世界では物理法則が微生物の泳ぎ方を制限するので、物理学で生き物の運動を考えることができるよい例となるからです。
講義では、ここで面白い質問が投げかけられています。
それは、「帰り道にハチミツのプールの中に落ちたらどのように泳げば良いのか?」です。
もちろん実際に落ちてしまったら大変ですが(プーさんなら喜ぶかもしれません)、あくまで頭の中の実験として考えてみてください。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
実は、ハチミツのようなドロドロの液体では、単純な往復運動では前に進むことができないことが知られています。つまり、足を開いて閉じるような運動では前に進まず、元の位置に戻ってしまうのです。
人間はハチミツのような液体の中で泳ぐことはないのでこれが問題になることはないと思ってしまいそうですが、実は流体力学によると、泳いでいる生き物のサイズが小さいほど、液体をよりドロドロしていると感じることが知られています。
つまり、人間にはさらさらしたように見える液体も、微生物にとってはハチミツのプールの中にいるように感じられるのです。
そのため、微生物たちは、尾をしならせたり、スクリューのように回転させたりして、単純な往復運動にならないように泳いでいるのです。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
つまり、微生物は好き勝手に泳いでいるのではなく、物理学によって泳ぎ方を制限されているのです。
同じように、もしかしたら群れというのも、生き物たちがうまく作り上げているものではなく、むしろ物理学に従うことで自然とできてしまうのかもしれない、そんな予感がしてきませんか?
その答えは次の章でわかることとして、ここまで来れば、最初に投げかけた質問「ハチミツのプールの中に落ちたらどのように泳げば良いのか」に対する回答もわかってくると思います。単純な往復運動を避けるために、しなやかなドルフィンキックや平泳ぎをすれば大丈夫ということになります。
これでハチミツのプールに落ちてもみなさんは大丈夫ですね!
群れを物理学で扱う
ここまで微生物の泳ぎ方を考えてみましたが、いったんそれは忘れて、次に群れはどうしてできるのかについて考えていきましょう。
統計物理学のところで説明したように、群れがどんな生き物で構成されるかによらない普遍的な性質がわかると嬉しいですね。そのために、群れを「自分で向きを決めて動く矢印」の集団と単純化して扱います。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
このとき、動く向きを決める必要があります。ここでは一番シンプルに、一匹一匹の矢印は「近くの仲間の平均の向き」に進むとしましょう。ただし、生き物なので完璧ではなく「少しミスをしてしまう」ことを仮定します。
この設定のもとシミュレーションしてみた結果が下の写真になります。最初はバラバラに動いているように見えた集団も、次第に全体の向きが揃っていくことがわかります。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
実はこれは物理学の言葉でいうと「対称性の自発的破れ」が起こったということができます。
ここでいう対称性とは、回転対称性のことです。回転しても見た目が変わらないときに回転対称であるといいます。
最初はバラバラで回転対称性がありましたが、次第に全体の向きが揃う回転対称性がない状態に移行していきました。このことを「対称性の自発的破れ」と呼んでいるのです。
物理学でよく知られている「対称性の自発的破れ」の一般的性質から、群れについて以下のことがわかります。
群れの向きはランダムに決まる
一度群れの向きが決まると元のバラバラな状態には戻りにくい
群れの進む向きは少しずつ変化することができる
実際に鳥の群れを観察してみると、敵が来たからといってすぐに向きを変えることはできず、少しずつしか群れの向きを変えることができないことが確認できます。
「なぜ群れはできるのか」に対する回答
ここで、最初の質問に対する回答がわかります。
群れはなぜできるのか。それは、最初にばらばらに動いていた生き物たちが「対称性の自発的破れ」という過程により対称性を破り、向きが定まるようになったからなのです。
群れを物理学で扱うことの強みは、このように対称性の自発的破れを通して、どんな群れにも当てはまる普遍的な法則を見つけることができることにあります。
みなさんが水族館でイワシの群れを見つけたら、ぜひ「あ!対称性が自発的に破れている!」と思ってください。これまでとは一味違った自然の見方になるのではないでしょうか?これこそが物理学の醍醐味なのです。
今回紹介した講義:2021年夏学期 高校生と大学生のための金曜特別講座 「生き物の群れと微生物の泳ぎを物理の目線で見てみたら」 西口 大貴先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/近藤 圭悟(東京大学学生サポーター)>
2025/07/03
「文系ですか?理系ですか?」
大学受験や進路選択のとき、一度は問われたことのあるこの問い。ですが、そもそも私たちが当たり前のように使っている「文系」「理系」という言葉、その区別はどのように生まれたのでしょうか?
今回ご紹介するのは、2022年秋に開催された東京大学公開講座「自然科学と人文社会科学の境界」です。科学技術史の専門家・隠岐さや香先生が、私たちが“文理”と呼んでいるものの背後にある歴史や思想、制度の変遷を解説しています。
本記事では講義内容をもとに、学問の境界線がどのようにして形づくられてきたのかを、歴史的な視点から一緒にたどってみたいと思います。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」2022 隠岐さや香
文系・理系の「線」はいつ、どこから?
まず、そもそも「文系」「理系」という言い方はどこから来たのか。隠岐先生によると、これは漢語からきた表現で、日本や東アジアでは当たり前のように使われていますが、国際的には「自然科学(Natural Sciences)」と「人文社会科学(Humanities and Social Sciences)」という言い方が主流です。
なぜ学問の世界にはこのような“境界”が生まれたのでしょうか。その歴史をたどっていくと、西洋哲学の中にそのルーツを見ることができます。西洋の哲学は、知を分類し続けるという伝統を持っていて、そこに「自然と人間」「実学と非実学」といった対立軸が現れてきました。日本をはじめとする東アジアでは、近代化の過程でその伝統を受け入れてきた背景があります。また、学校での科目編成など教育・研究制度上、境界が必要とされてきたという背景もあります。
この2つの観点から、境界線が引かれてきた背景を近代から見てみましょう。
哲学的分類と制度的分類の乖離
17~18世紀のヨーロッパでは、実は哲学的な分類と大学のあり方、制度的な分類がかけ離れた状態にありました。
まずは、当時の人々が学問の分類についてどう考えていたのか、18世紀の『百科全書』を例に見てみましょう。この百科全書には、「知の体系図」と呼ばれる、学問を網羅的に分類した図が掲載されています。
そのもとになったのは、フランシス・ベーコンの考え方です。ベーコンは、人間の能力を「記憶」「想像力」「理性」の3つに分け、それぞれに対応する学問を「歴史」「詩学(=文学や芸術)」「哲学」と位置づけました。ディドロとダランベールはこの分類を受け継ぎ、百科全書の中でさまざまな学問を整理し、「知の体系図」として可視化しました。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」2022 隠岐さや香
上の画像を見てください。この分類の特徴は、ほとんどの学問が哲学の下に分類されていることです。そして、哲学の下で、道徳や法学を含む「人間の学」と数学などの「自然の学」が明確に分けられています。前者がのちの社会科学、後者がのちの自然科学として発展していくというのが歴史的経緯です。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」2022 隠岐さや香
では、学問を学ぶ場である大学ではどのように分けていたのでしょうか?実は当時の大学には今のような文理の構造はなく、実学(役に立つ学問)と非実学(すぐには役に立たない学問)という分け方のほうが重視されていました。高度な専門的知識、実学を学ぶ上級学部とその準備のため非実学を学ぶ下級学部に分かれ、当時発展しつつあった人文科学や自然科学は下級学部で学ばれていました。
近代的教育制度と近代哲学における学問分類
ところが18世紀末、フランス革命が起きると、ヨーロッパ各地で社会構造が大きく変わります。まずは舞台の中心となったフランス。1793年には旧体制と結びついていた大学が一度すべて廃止され、かわって登場したのがエコール・ポリテクニーク。ここでは実務的な教育、特に技術者や医師の育成が重視されました。
そして革命が穏健化すると、大学に近い制度が復活し、「理科ファキュルテ」がつくられました。これは今までにない理系の学者を育てる学部で、新しい取り組みでした。
そして、革命後一段落したナポレオン時代には、進歩し続ける科学と過去の素晴らしさを伝える文芸、という少し乱暴な二元論的学問観がうまれました。しかしここでは政治や経済といった社会科学は抑圧されていたことに注意が必要です。
一方、ドイツ(当時はドイツ語圏諸地域)は、フランスとは異なる道を歩みます。19世紀前半の教育改革では、実学/非実学で分ける古くからの大学制度を残しつつ、哲学を中心に据えた学問体系を維持。自然科学や数学、文献学、歴史といった新たな分野を取り込んでいくことで、教養教育の土台を築いていきました。この「知の統一性」を重視する姿勢は、今日の「総合大学」にも通じる理念といえます。
区別される哲学者と科学者、生まれる境界線
興味深いのは、「科学者(scientist)」という言葉が生まれたのが、実はかなり遅く、19世紀に入ってからという点です。それまで自然科学を研究していた人々は、自らを「哲学者」と呼んでいたのです。
こうした流れの中で、哲学と自然科学が次第に分かれていきました。ドイツの哲学者カントはこの分離を明確に意識した人物の一人であり、その後、ドイツの大学でも理系の専門教育が制度化されていきました。
また、文系・理系という枠組みが定着するにつれ、それぞれの分野に「異なる価値」や「役割」が与えられるようになります。19世紀末には、ディルタイのような思想家が「自然科学は因果を説明するもの」「精神科学は意味を理解するもの」といった対比を提案し、学問の“住み分け”が進みました。
この時代には他にも様々な哲学的分類が試みられ、二項対立の構造がいくつか生まれていました。隠岐先生によれば、学問を二つに分類すると相反していく傾向があり、どの分類にもその相反するものをどう整理するかという葛藤が表れています。
20世紀の大学における主な学問分類
そして20世紀以降の大学では、皆さんがご存知の通り、下記の画像のように分類されています。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」2022 隠岐さや香
文化輸入としての学問分類(日本の場合)
では、日本ではどうだったのでしょうか。日本の学問体系もまた、西洋の枠組みを受け入れるかたちで近代化してきました。明治時代には漢学・国学・洋学という言語ごとに三つの流れがあり、西洋の学問を取り入れた洋学派が主導して、東京大学の前身となる組織がつくられます。
そして1877年に法・理・文・医という学部構成で東京大学が設立され、1886年に帝国大学と名前を変え、法・文・理・医・工からなる総合大学の形に定着しました。特徴的なのは、欧米に先駆けて「工学部」が大学に組み込まれたこと。当時のヨーロッパでは、ものづくりは大学の対象ではなく、工学は大学教育の枠外にあったのです。
また、1918年には高等学校の時点で「文科」「理科」の分離が始まりました。これは世界的に見ても非常に早い段階です。こうした背景があって、日本では文理の境界が非常に強く意識されるようになりました。隠岐先生は、日本の教育には「実学重視」「理工系偏重」の傾向が強く、異分野との連携が生まれにくい構造があると指摘しています。
分かれているからこそ、つながる可能性がある
しかし、現代社会が抱える課題は、特定の分野だけで解決できるものではありません。隠岐先生は、「社会課題に向き合うときには、文理の境界は薄くなる」と語ります。そしてむしろ今後は、「実学か非実学か」という基準が新たな境界として浮上してくる可能性があるとも。
人間社会には、常に何かしらの「分かれ目」が存在します。しかし、分かれているからこそ、その間をつなぐ試みが生まれます。違いを認め合い、そこから新しい価値を創出していくこと。境界を設けることは、それを“超える”契機でもあるのです。
https://youtu.be/1W2Tr1vufnk
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:第135回(2022年秋季)東京大学公開講座「境界」 自然科学と人文社会科学の境界 隠岐さや香先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/06/26
文学部でやっているのは、「生きるとは何か」を色々な方法で考えてみることだ、と楯岡求美先生は話します。
「100万回生きる」ことができない人間は、一つの眼差しで1回きりの人生を生きるしかありません。
そんな私たちに、他の人の眼差しや人生を体験させてくれるのが文学です。
しかし、文学は、日本語で書かれている作品であっても日本語話者だからといってすべてを理解できるわけではありません。
そして作家自身も、どれだけ書いても説明しきれないこと、言葉の奥にあるものを説明しようとしています。トルストイやドストエフスキーがべらぼうに長いものを書くのは、書いても書いても答えが見つからないからこそ、読者に一緒に考えてみないか、と誘っているのです。
今回ご紹介するのは、2019年度開講 オープンキャンパス文学部模擬講義から、「物語の形:聞こえるものと見えるもの」。
東ヨーロッパ・旧ソ連圏の文化を研究する楯岡先生と、文学研究の世界を覗いてみませんか?
表現することの原点
まずは、改めて表現するということの原点を考えてみましょう。
UTokyo Online Education 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 2019, 楯岡 求美
ここに有名なマグリットの絵画があります。
これは何を描いたものでしょうか?
一見して、パイプだ、と思われるかもしれません。
ただし、下にある文章を翻訳すると「これはパイプではない」と書いてあります。
この絵画の題名は『イメージの裏切り』。
パッと見たときには誰しもがパイプだと思いますが、この絵を渡されても実際に煙草をふかすことはできません。つまり、その意味でこれはパイプではなく、ただの絵でしかないと言えます。
UTokyo Online Education 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 2019, 楯岡 求美
こちらは、ロシアの画家マレーヴィチの『黒い正方形』。キャンバスに白地を塗り、黒い正方形を描いたものです。
この作品が示すのは、「絵画」においてすべてをそぎ取ったあとに残るものは、色とそれを塗る平面図だけである、ということ。テーマや題名がなくても絵は成立するのです。
そして、色の中でも白と黒は究極の色です。
小学生のとき、図工の授業で筆を洗う水がどんどんどす黒くなっていった経験はありませんか?あのように、あらゆる色をすべて混ぜると黒になります。
一方で、どんな色も混ざっていないのが白です。
つまり、この世の中に存在するすべての色は、白と黒のグラデーションの間に入ります。そうすると、この『黒い正方形』は最もゼロに近い形の絵であり、すべての絵画を表していると捉えることができます。
文学研究の面白いところは、このようなゼロに近い、ゼロの状態からでも物語を読み取るところです。
テクスト(文学)は所詮、紙の上のインクの染みでしかない
では文学とは何でしょうか?
そもそも、テクストというのは、所詮、紙の上に落ちているインクにしかすぎません。それを「文字」であると認識するのは人間の勝手なのです。
UTokyo Online Education 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 2019, 楯岡 求美
上の画像を見てください。初めて見るにも関わらず、多くの人がこれを「文字」であると認識します。(これはアルメニア文字です。)
このように私たちには、意味がわからなくとも文字だと認識する癖があります。そして同時に、意味を読み取ろうとする癖も持っています。
UTokyo Online Education 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 2019, 楯岡 求美
一昔前に流行したロールシャッハ検査というものがあります。
これは紙の中央にインクを落とし、二つ折りにして押し広げてできた模様が、何に見えるかを答えさせる心理検査です。
皆さんは、上の画像を見たとき「人が向き合っている」絵だと感じませんでしたか?
このように私たちは、あらゆるものに意味、物語を読み取ろうとします。
記号としてのことば・文化
記号とは、ことばに代表されるように、意味を表すもの。映像や画像、色やにおい、私たちが相手の感情を読み取る体の動きや表情も記号です。
私たちの生活を構成するあらゆるものが記号体系、一つのまとまりになっていると考えられます。
ここで重要なのは、これらの記号体系には固有性・社会性があるということです。
例えば、11時30分に講義を開始しますと言われれば、私たちは皆11時30分という特定の決まった時間が存在しているかのように思いますが、そうではありません。一般的、普遍的なものと考えられがちな時間や空間もあくまで社会的に決められているにすぎないのです。
色についても、区分は地域によって様々です。虹の色を5色と捉えている国もあれば7色と捉えている国もあります。また、氷に囲まれた北極圏では私たちが「白」と一言で表す色にも何種類もの言葉が使われていたりします。
このように、同じ記号に違う意味がつけられていたり、逆に記号がもつ元々の意味に私たちの感覚が支配されてしまうこともあります。
UTokyo Online Education 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 2019, 楯岡 求美
マルセル・デュシャンの『泉』という作品をご存知でしょうか?写真からわかる通り、男性用便器をギャラリーに展示し大スキャンダルを起こした作品で、現代アートの走りとも言われています。
この作品は陶器でできており、未使用とされています。落ち着いて考えてみれば、お茶碗と同じ清潔な陶器です。しかし、この作品にスープを入れてはいどうぞ、と差し出されても私たちはそれを飲みたいとは思いません。
それは、私たちの頭の中で便器というものに実体験に基づく意味がついてしまっているからです。
これは少し極端な例ですが、「枯れ葉」という言葉についても同様です。「枯れ葉」は、ただ単に葉が季節に応じて変化した、植物の一形態にすぎません。しかし、日本ではこの「枯れ葉」という言葉に「秋」「悲しい、淋しい」「人生の終わり」というような、言葉そのものは持っていないはずの意味を持つこともあります。
意味の読み取り方は人それぞれですが、同時に社会的なものでもあります。文学研究は、ある種、意味に戻っていく活動だと言えます。その言葉はそもそもどんな意味だったのか?なぜそのような意味ができたのか?それを私たちは受け取ってどう感じるのか?を考えていくのです。
すべての物語は書かれてしまっている?
私たちは、小説を読むときや映画を観るとき、どんな物語が待っているのだろうと想像しながら心を躍らせます。ネタバレを敬遠するのも、ストーリー展開に興味を持っているからこそです。
しかし、楯岡先生によれば、ストーリー展開のパターンはすでに出尽くしており、おおよそ決まっています。
例えば、1928年というかなり前の段階で、ロシアの研究者であるプロップが『昔話の形態学』の中で、魔法を使うおとぎ話は31個の要素をどう組み合わせるかで決まっている、と分析しています。
簡単に言うと、1英雄(主人公)に課題が与えられる2遠くへ行く3特別な道具やヘルパーを手に入れる4敵を倒して問題を解決する5姫と結ばれるという流れです。
おとぎ話だけでなく、悲劇、メロドラマ、抒情詩などにもいくつかの物語パターンがあり、それを逸脱したり組み替えたりしているだけだと言えます。
というわけで、ストーリー自体を分析することには限界がきています。文学研究においても、ずっと同じことを続けているのか、というとそうではありません。
文字を「聞く」「見る」
絵画がただの色彩に戻ったように、文学もインクの染みや文字そのものに戻ってみないか、という運動が20世紀初頭に詩人や文芸評論家などの間で起こりました。
例えば「見」という文字を見たときに、私たちは「見」という漢字がなぜ目に足が二本生えているような形をしているんだろう、と感じることはなく、モノを見るという意味で捉えています。
そこをもう一度、文字・言葉そのものに肉薄する、当たり前のものを当たり前のものではなくする「異化」の試みです。
ここで、フレーヴニコフというロシア未来派の詩人の詩を紹介します。
UTokyo Online Education 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 2019, 楯岡 求美
左がロシア語で書かれたもの、右は日本語に訳したものです。
訳を見ても、よくわからないかもしれません。これは、ロシア人が見ても全然よくわからないんです。
わからなくすることで、何が起きているんだろうと見る人の興味を惹く意図もありますが、この詩は実は単によくわからない音を並べただけではありません。しかし、誕生から110年以上経った今でも、まだ多くの謎を残している作品です。
ここからは、楯岡先生の解釈です。
まずは「ボベオビ」の部分。bobeobiと声に出して発音してみてください。bの音を発音するとき、唇が震えるのを感じませんでしたか?このように唇がぶつかって音がでることを「唇が歌われる」と表現していると言えます。bの音が入っていないoの部分も、唇を強く緊張させる音になっています。
次の「ヴェエオミ」。ヴェの音はロシア語で強調の意味があります。これは、エッと驚いて目を見張り、相手をじっと見て眼差しが光っている様子を表していると考えられます。
「ピエエオ」は、ピッと眉を潜める、エッと驚いて眉が開き、オッと訝しんで眉が締まるような動作を想像することができます。
次の「リエエイ」は、口に出してはっきり発音してみると口角が自然と上がる音です。つまり、顔が一番魅力的に見えることを「顔が歌われ」と表していると考えられます。
最後の「グジグジグゼオ」は鎖の音で、顔が機械のように鎖に繋がれてガシャガシャと動いているようなイメージが浮かび上がります。つまり、顔というものを、音と絵で視覚的に翻訳している詩だと捉えることができます。
まとめ
本講義は、文学に留まらず、小説、絵画、デザインをいつもと違う角度から考えるきっかけを与えてくれます。
講義動画では、有名な怪談やトルストイのエッセイなど、ここでは紹介しきれなかったテクストの解説もご覧いただけます。興味をお持ちになった方は、ぜひ講義動画をご覧ください!
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:オープンキャンパス 模擬講義 2019 【文学部】物語の形:聞こえるものと見えるもの 楯岡 求美 先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/06/18
コロナ禍を経て、私たちの生活は大きくオンラインへとシフトしました。
オフィスに出社せず自宅で仕事をするテレワークだけでなく、大学の講義においてもオンラインとオフラインを組み合わせたハイブリッド開催が一般化。情報通信技術によって時間や場所に縛られない柔軟な参加が可能になっています。
では、そんな現代において、大学やオフィスに行くことにはどのような価値があるのでしょうか?
一般的には、「オンライン」か「対面」かを対置させ、人と人との繋がりという面からその差異を議論することが多くあります。一方で、建築の歴史や理論を専門とする加藤耕一先生は、ポストコロナ時代には情報通信技術をどう活用していくか、物理空間の価値は何か、両面を考える必要があると言います。
本講義では「情報空間(オンライン)」か「物理空間(オンサイト)」か、という対比で19世紀・20世紀の建築史を比較しながら、人と場所、人と建築、人と都市とのつながりをテーマに、現代における建築・都市空間の役割を考えていきます。
UTokyo Online Education ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 Copyright 2021, 加藤 耕一
東京大学安田講堂の魅力
UTokyo Online Education ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 Copyright 2021, 加藤 耕一
本講義も、安田講堂とオンラインのハイブリッド形式で開催されました。
加藤先生は、話者にとって安田講堂は緊張感・高揚感のある場所だと話しますが、それは何に起因するのでしょうか?
まず第一に、安田講堂が東大の象徴で非常に有名であるため、その場で話すことを名誉に感じる点が挙げられます。これは言葉や情報として伝達可能な安田講堂の素晴らしさであり、意味論的・情報的な観点です。
第二に、実際にこの空間を訪れたときに感じるアカデミックな雰囲気により、気分が高揚する点が挙げられます。これは、言葉にできない物質的・体験的な観点です。
前者は、オンライン空間でもバーチャル安田講堂というような形で伝えることができる要素である一方で、後者は実際に空間を訪れて手で触れたり椅子に座ったりすることでしか伝えられない要素だと言えます。
例えば、実際に安田講堂を訪れる自分を想像してみてください。
東京大学の正門を通り、左右に歴史的な法文校舎を臨みながら銀杏並木を抜けると、突き当りに安田講堂が立ち現れます。そして安田講堂の大空間に包まれながら重厚なベロアの椅子に座ります。
UTokyo Online Education ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 Copyright 2021, 加藤 耕一
そしてそのような一連の体験が、人と場の関係性をつくるのです。
加藤先生は、建築空間や都市空間を考えるとき、このような物質的・体験的価値が今後ますます重要になると話します。
19世紀の都市型公共建築の魅力
安田講堂は1921~1925年に建設された20世紀初頭の建築ではありますが、19世紀的な要素を多分に含んでいます。
パリの19世紀の都市型建築と比較しながら、その魅力について考えてみましょう。
劇場建築
まず例に挙げるのは、パリのオペラ座です。安田講堂と同じように、直線道路と突き当りのモニュメントという形で建っており、この道を進めばたどり着くという高揚感を生んでいます。
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そして入場してすぐの場所、エントランスには大階段があります。観客はそれを上ることでオペラという非日常的な体験に向かう特別な気持ちを楽しむことができるのです。
百貨店建築
続いて例に挙げるのは、世界で最初の百貨店と言われているパリの「ボン・マルシェ」。オペラ座同様、大きな吹き抜け空間があり、エントランスから大階段を上っていく構造です。
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現在は改修され、大階段はなくなりエスカレーターに変わっていますが、パリのサマリテーヌ百貨店では現在も吹き抜けと大階段が残っています。
図書館建築
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最後に例に挙げるのは、19世紀半ばに開館した歴史上最初の公共図書館といわれる「サント・ジュヌヴィエーヴ図書館」。歴史的な意匠を備えた建築で初めて鉄が大々的に用いられているという点でも重要です。
これらは、王侯貴族から市民の時代へ向かう新しい時代に市民のために作られた公共建築です。
しかし現代において、劇場はテレビ・ネット配信、百貨店は通信販売・Eコマース、図書館はネット書店・電子書籍に代替されようとしています。つまり、ある意味滅びに瀕している建築群であるとも言えるのです。
苦境に立たされているこれらの建築が再び人を惹きつけるにはどうすればよいでしょうか?
加藤先生は、情報通信技術と方向性がバッティングしてしまう、コンテンツやサービスで勝負をしようとするのではなく、物質の軸で考える必要があると言います。
その際に、これらの建築が持つ場所の雰囲気、居心地、高揚感を創り出すものを見つめることで、建築空間としての魅力や人と場所のつながりが見えてくると言うのです。
続いては、それを考えるうえで障壁になる20世紀の建築観について見ていきましょう。
20世紀モダニズムの建築観
20世紀の建築観は、モダニズムと呼ばれる建築運動の中で作られてきた価値観です。モダニズムでは、機能性・合理性・効率性を重視し、建築においてはさまざまな機能を持つこと、どんな用途にも対応すること(ユニバーサルスペース)、経済的合理性、メンテナンスフリーなどが推進されました。
その中で、装飾の否定や規格化・標準化、最小限・低コスト・シンプルを目指す美学が生まれます。
UTokyo Online Education ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 Copyright 2021, 加藤 耕一
その結果、19世紀の建築が持つ技術性、産業性、機械性は称賛される一方で、過大で高コスト、ラグジュアリーな19世紀の建築空間はモダニズムと対立するものとして否定されていきます。
19世紀の建築観
ここからは19世紀と20世紀の分水嶺となる時期に活躍した建築家アドルフロースの理論を参照しながら、19世紀の建築観について掘り下げていきます。
ロースはたくさんの文章を残していますが、中でも重要なのは19世紀的建築理論の集大成である「被覆の原則について」と20世紀的建築理論の創始ともいえる「装飾と犯罪」です。
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ロースは「被覆の原則について」において、19世紀的価値観では布地に囲われた居心地のよい空間が最も重要であること、インテリアデザインありきで建築構造は後から考えるものであることを説明しています。
これは、まず箱としての建築構造があり、その後にインテリアデザインが起こると考える20世紀以降の価値観とは対照的です。
UTokyo Online Education ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 Copyright 2021, 加藤 耕一
実際に19世紀のインテリアを描いた絵画作品を見ると、ロースが主張する通り、絨毯、カーテンやテーブルクロスなど布地のマテリアリティが強く感じられます。
では、なぜ19世紀には「布地に囲われた居心地のよい空間」が求められていたのでしょうか?
その理由は、産業革命と深く結びついています。
建築史上、産業革命の発明と言えば鉄と蒸気機関です。鉄は建築の構造とデザインを革新的に変化させ、鉄道(鉄+蒸気機関)は都市空間や都市間の関係性を変貌させた、というテーマは繰り返し論じられてきました。
しかし、これまで建築史の分野で見落とされてきた重要な発明がもう一つあります。それは、紡績と織物工業の発達です。産業革命によって生み出されたファブリック、布地の氾濫によって建築の内部空間が大きく変化したのです。
ロースの他にも、19世紀の室内空間におけるマテリアルの問題を論じた思想家としてベンヤミンのエッセイを紹介します。
ベンヤミンは著作『パサージュ論』で、いかに19世紀のパリが近代的であったかを論じました。その中で、人々は都市空間に出ると群衆の1人となる一方で、室内空間は「私人の宇宙」であり「大都市での私的な生活の形跡の不在を取り戻したいという傾向が見られる」と主張しています。
生活の形跡とは、布地の椅子に座った際に生まれる跡や、懐中時計を持って出かけた際に残るケースのようなもの。だからこそ「あらゆる接触の跡を残すビロードやフラシ天の布」が好まれたという訳です。
21世紀の建築空間
「いかに居心地の良い空間を作るか」を重視する19世紀的建築観は、オンライン化で住宅で過ごす時間が増えている現代の私たちに通じるものがあります。
例えば、21世紀の建築家ペーター・ツムトアも、ベンヤミンが論じた観点に注目しています。
ツムトアは、映画のワンシーンを例に挙げながら舞台であるダンスホールについて考察し、そこに残る人間が生きた痕跡と、床や壁のようなマテリアルが持つ時間性が重要だと述べています。
彼によれば、「すぐれた建築は人間の生の痕跡を吸収し、それによって独特の豊かさを帯びることができる」のです。
この主張は至って当たり前に感じられますが、マテリアリティの本質的な側面「ヒトがモノに痕跡を残し、今度はその痕跡によって、モノがヒトに語り掛ける」ということを言い表しています。
まとめ
本講義では、私たちが常識として考えがちな20世紀的価値観(機能性・合理性・効率性)を疑って相対化すること、人と場所(物質)のつながりを考えることを試みています。
機能性・合理性・効率性を情報通信技術が担うようになった現代では、建築空間が考えるべきはいかに居心地が良い空間を創るかであり、そこで19世紀的価値観が鍵になるということを説明しました。
講義動画ではここでは詳しく説明できなかった理論について、加藤先生がよりわかりやすく解説されています。興味を持った方はぜひ動画をご覧ください!
https://youtu.be/pOehSZPmCwo?si=dQv-UrzL2mpLPmuh
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:第133回(2021年秋季)東京大学公開講座「繋がる」 ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 加藤 耕一 先生
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