
2025/01/17
みなさんは生命をデザインする、と聞くとどのように感じますか。 「科学技術を使い、人間にとって都合のよい新たな種の生命を創りだす」というと心理的抵抗を感じる方もいるかもしれません。しかし研究の現場では、日々、様々な研究が行われており、遠くない未来において社会実装されるかもしれない数多くの研究が存在します。
本記事では、そのような研究の一例として、植物と動物の境界をまたぐ研究、またその研究に付随して発生する倫理問題についての講演動画をご紹介いたします。
こちらの動画は2022年秋季、「境界」というテーマで開催された東京大学公開講座にて登壇された生命科学研究系の松永幸大(まつながさちひろ)先生の講演動画です。
松永先生は、動物の中に植物細胞を取り込み、植物的特性を利用した二次共生と呼ばれる細胞を持つ動物の例をもとに、人工的に植物細胞を持った動物細胞を創りだす研究をされています。かみ砕いた表現にすると、動物でありながら植物のように光合成をする生物を新たに創りだす、という研究です。
植物と動物を融合させる研究
地球に生命が誕生したのは、40億年前になりますが、35億年前にはすでに光合成を行う生命が誕生していました。これはみなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、最古の光合成生物であるシアノバクテリアの祖先です。それらを食べ、体内に取り込むことで様々な藻類がつくられ、植物が生まれていきました。
ここで、植物と動物の分類の違いについて、確認しておきます。植物と動物の最も大きな違いは光合成をするかしないか、です。しかし、珊瑚や特定のウミウシは動物でありながら光合成を行います。これらの生物は体の中に藻類を取り込み、共生させることで光合成を行い養分を得ています。サンショウウオのように、脊椎動物の中にも体内に藻類を共生させる種類が存在します。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
これらのような、動物でありながら藻類を体内に取り込み、光合成を行う動物を参照し、植物細胞を取り込んだ動物細胞を新たに創りだす研究が松永先生の研究チームにより行われています。動画内では「細胞融合」という、細胞の膜と膜の境界を融合させる方法をご説明されています。細胞融合を正常に機能させるためには、ただ細胞の膜と膜を融合させるだけではなく、それぞれのDNA(ゲノム)を融合させた、ハイブリッド染色体を創る必要があります。そうしなければ、生きた細胞として維持できません。これまでに多くの研究機関でこの細胞融合の研究がなされ、ゲノム操作による新たな生物が創りだされてきました。
動画内では、トマトとジャガイモのハイブリッド種など、植物同士の近縁種を掛け合わせた農作物がいくつか例として提示されます。それらはあまり市場では成功しなかったようですが、それらのような前例を踏まえ、現在はより有用な遺伝子の形質を選択し、発現させる研究が行われています。
このように、人間にとってより有用なものを新たに創造することが、科学技術の正当性を担保するものとして、研究の世界を支えています。
もし光合成ができるとどうなる? ーメリットとデメリット
植物と動物が進化の過程で枝分かれしてから16億年が経ちました。植物と動物を融合させるという松永先生の研究は、地球上の生物の進化の歴史を遡り、生物が植物と動物に分岐する以前の状態に戻すこと、また16億年前に進化の過程で何が起きたのかを探る研究とも言えます。進化の過程を巡る研究は私たちに様々な示唆を与えてくれます。このような研究、技術開発が進むと、私たち人類もいつか光合成ができるようになるのでしょうか。それについては動画内で先生がお話されているので、ぜひ確認してみてください。
こちらの記事内では、光合成が人間の皮膚上で、ある程度できるようになった場合に考えられる未来の可能性について少しご紹介しようと思います。動画内では、まず先生がいくつかのメリットについてご提案されています。人間が半分植物のように”進化”すれば、その分エネルギー消費量、二酸化炭素排出量も減るので、持続的社会の実現が可能になります。また、光照射によるエネルギー供給が可能になれば、コールドスリープも可能となります。まるでSF映画のように聞こえるかもしれませんが、人間の体を仮死状態にし、光によって最低限のエネルギーを供給することで、長期間の生命維持を可能にし、遠い惑星に進出できるようになるかもしれないということです。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
しかし、研究者である松永先生は、新しい科学技術に対してメリットと同時にあらゆるデメリットも考慮するべきである、とお話されています。動画内では、ご自身の研究を例にデメリットについても提示されています。さらにこれらのメリット・デメリットについて、特に専門分野外のあらゆる人々と意見を交え、その効果の倫理的側面について考えていかなくてはいけない、と強調されます。ある科学技術が、本来の研究目的とは違った形で利用され最終的に大きな悲劇を招くことは、第二次世界大戦下のロバート・オッペンハイマーをはじめとする数多くの研究者たちの体験としてよく知られています。また、昨今の温暖化現象や、その他種々の社会問題を鑑みると、科学技術の恩恵が諸刃の剣であることは多くの人々が認識するところでしょう。環境問題は、科学技術そのものが問題ではなく、資本主義経済と結びついた結果であり科学自体に罪はない、と考える人もいるかもしれません。しかし、現在の多くの研究の現場では、企業のサポートに依っているところも少なくありません。また、近代から現代に至るまで、研究の世界全体で、有用性や有効性のある研究に資本が投入され、人材もそこに集中してきました。その結果、技術開発のスピードが社会的合意形成よりもはるかに上回り、社会に浸透、実装されてきたと言えるでしょう。松永先生がされているような、知的資産の蓄積を目的とした基礎研究はすぐに社会で応用されるわけではありませんが、段階を経ることで、その研究成果や知見を活かした応用技術が実際に社会実装されることもあります。
研究者が自由に研究をするためには、その研究内容や成果について研究者自身が責任を持たなければなりません。松永先生のおっしゃる、「あらゆる分野の人々と対話し、考えること」は、1つの科学技術に対して、どのように使用、管理していくべきかをみなで考え、地球上の生物や環境を守り、維持していくことにあらゆる人々が関心を持つことに繋がっていきます。
”ある技術をどのように使用するか”、という問いはシンプルでありながら様々な問題を内包した問いであると言えるでしょう。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
生物種の謎
ヒトとチンパンジーのDNAの違いはわずか1.2%しか違わないそうです。しかし、私たち人間とチンパンジーの違いとは、その約1%に集約されるのでしょうか。生物種とは一体何なのか、この問いに対する答えはまだ出ていません。松永先生が研究されている合成生物学という研究分野の目的は「新しい生物種を創りだすこと」であり、それは地球上に存在する”生物種とは何か”という深淵な問いを追求することに他なりません。研究の進捗によっては、数十年後に新しい生物種がいくつも創製されていることが予見されます。これまでにも人類は、長い年月をかけ人工的な交配によって新たな生物種を創りだしてきましたが、それらは近縁種による交配に限られていました。合成生物学は、全く違う種同士を組み合わせ、互いの有用な遺伝子のみを発現させる技術研究です。新しい研究分野であり、食糧不足などの現在の地球規模の社会問題を解決する糸口となるような可能性を秘めた分野でもあります。しかし、動画内で松永先生がご自身の研究で得られる成果のデメリットもご提示されたように、これまでの生物体系の概念を大きく覆すようなことが起きてくることも考えられます。みなさんもぜひこちらの動画をご覧いただき、生命科学研究における可能性、その正負、両側面からの思索を巡らせてみてください。
https://youtu.be/c8BuaswvJCc?si=eRVoqXxEjXQkxCZN
今回紹介した講義:第135回(2022年秋季)東京大学公開講座「境界」 植物と動物の融合から生じる研究と倫理の境界 松永 幸大先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
〈文/みの(東京大学学生サポーター)〉
本記事では、そのような研究の一例として、植物と動物の境界をまたぐ研究、またその研究に付随して発生する倫理問題についての講演動画をご紹介いたします。
こちらの動画は2022年秋季、「境界」というテーマで開催された東京大学公開講座にて登壇された生命科学研究系の松永幸大(まつながさちひろ)先生の講演動画です。
松永先生は、動物の中に植物細胞を取り込み、植物的特性を利用した二次共生と呼ばれる細胞を持つ動物の例をもとに、人工的に植物細胞を持った動物細胞を創りだす研究をされています。かみ砕いた表現にすると、動物でありながら植物のように光合成をする生物を新たに創りだす、という研究です。
植物と動物を融合させる研究
地球に生命が誕生したのは、40億年前になりますが、35億年前にはすでに光合成を行う生命が誕生していました。これはみなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、最古の光合成生物であるシアノバクテリアの祖先です。それらを食べ、体内に取り込むことで様々な藻類がつくられ、植物が生まれていきました。
ここで、植物と動物の分類の違いについて、確認しておきます。植物と動物の最も大きな違いは光合成をするかしないか、です。しかし、珊瑚や特定のウミウシは動物でありながら光合成を行います。これらの生物は体の中に藻類を取り込み、共生させることで光合成を行い養分を得ています。サンショウウオのように、脊椎動物の中にも体内に藻類を共生させる種類が存在します。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
これらのような、動物でありながら藻類を体内に取り込み、光合成を行う動物を参照し、植物細胞を取り込んだ動物細胞を新たに創りだす研究が松永先生の研究チームにより行われています。動画内では「細胞融合」という、細胞の膜と膜の境界を融合させる方法をご説明されています。細胞融合を正常に機能させるためには、ただ細胞の膜と膜を融合させるだけではなく、それぞれのDNA(ゲノム)を融合させた、ハイブリッド染色体を創る必要があります。そうしなければ、生きた細胞として維持できません。これまでに多くの研究機関でこの細胞融合の研究がなされ、ゲノム操作による新たな生物が創りだされてきました。
動画内では、トマトとジャガイモのハイブリッド種など、植物同士の近縁種を掛け合わせた農作物がいくつか例として提示されます。それらはあまり市場では成功しなかったようですが、それらのような前例を踏まえ、現在はより有用な遺伝子の形質を選択し、発現させる研究が行われています。
このように、人間にとってより有用なものを新たに創造することが、科学技術の正当性を担保するものとして、研究の世界を支えています。
もし光合成ができるとどうなる? ーメリットとデメリット
植物と動物が進化の過程で枝分かれしてから16億年が経ちました。植物と動物を融合させるという松永先生の研究は、地球上の生物の進化の歴史を遡り、生物が植物と動物に分岐する以前の状態に戻すこと、また16億年前に進化の過程で何が起きたのかを探る研究とも言えます。進化の過程を巡る研究は私たちに様々な示唆を与えてくれます。このような研究、技術開発が進むと、私たち人類もいつか光合成ができるようになるのでしょうか。それについては動画内で先生がお話されているので、ぜひ確認してみてください。
こちらの記事内では、光合成が人間の皮膚上で、ある程度できるようになった場合に考えられる未来の可能性について少しご紹介しようと思います。動画内では、まず先生がいくつかのメリットについてご提案されています。人間が半分植物のように”進化”すれば、その分エネルギー消費量、二酸化炭素排出量も減るので、持続的社会の実現が可能になります。また、光照射によるエネルギー供給が可能になれば、コールドスリープも可能となります。まるでSF映画のように聞こえるかもしれませんが、人間の体を仮死状態にし、光によって最低限のエネルギーを供給することで、長期間の生命維持を可能にし、遠い惑星に進出できるようになるかもしれないということです。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
しかし、研究者である松永先生は、新しい科学技術に対してメリットと同時にあらゆるデメリットも考慮するべきである、とお話されています。動画内では、ご自身の研究を例にデメリットについても提示されています。さらにこれらのメリット・デメリットについて、特に専門分野外のあらゆる人々と意見を交え、その効果の倫理的側面について考えていかなくてはいけない、と強調されます。ある科学技術が、本来の研究目的とは違った形で利用され最終的に大きな悲劇を招くことは、第二次世界大戦下のロバート・オッペンハイマーをはじめとする数多くの研究者たちの体験としてよく知られています。また、昨今の温暖化現象や、その他種々の社会問題を鑑みると、科学技術の恩恵が諸刃の剣であることは多くの人々が認識するところでしょう。環境問題は、科学技術そのものが問題ではなく、資本主義経済と結びついた結果であり科学自体に罪はない、と考える人もいるかもしれません。しかし、現在の多くの研究の現場では、企業のサポートに依っているところも少なくありません。また、近代から現代に至るまで、研究の世界全体で、有用性や有効性のある研究に資本が投入され、人材もそこに集中してきました。その結果、技術開発のスピードが社会的合意形成よりもはるかに上回り、社会に浸透、実装されてきたと言えるでしょう。松永先生がされているような、知的資産の蓄積を目的とした基礎研究はすぐに社会で応用されるわけではありませんが、段階を経ることで、その研究成果や知見を活かした応用技術が実際に社会実装されることもあります。
研究者が自由に研究をするためには、その研究内容や成果について研究者自身が責任を持たなければなりません。松永先生のおっしゃる、「あらゆる分野の人々と対話し、考えること」は、1つの科学技術に対して、どのように使用、管理していくべきかをみなで考え、地球上の生物や環境を守り、維持していくことにあらゆる人々が関心を持つことに繋がっていきます。
”ある技術をどのように使用するか”、という問いはシンプルでありながら様々な問題を内包した問いであると言えるでしょう。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
生物種の謎
ヒトとチンパンジーのDNAの違いはわずか1.2%しか違わないそうです。しかし、私たち人間とチンパンジーの違いとは、その約1%に集約されるのでしょうか。生物種とは一体何なのか、この問いに対する答えはまだ出ていません。松永先生が研究されている合成生物学という研究分野の目的は「新しい生物種を創りだすこと」であり、それは地球上に存在する”生物種とは何か”という深淵な問いを追求することに他なりません。研究の進捗によっては、数十年後に新しい生物種がいくつも創製されていることが予見されます。これまでにも人類は、長い年月をかけ人工的な交配によって新たな生物種を創りだしてきましたが、それらは近縁種による交配に限られていました。合成生物学は、全く違う種同士を組み合わせ、互いの有用な遺伝子のみを発現させる技術研究です。新しい研究分野であり、食糧不足などの現在の地球規模の社会問題を解決する糸口となるような可能性を秘めた分野でもあります。しかし、動画内で松永先生がご自身の研究で得られる成果のデメリットもご提示されたように、これまでの生物体系の概念を大きく覆すようなことが起きてくることも考えられます。みなさんもぜひこちらの動画をご覧いただき、生命科学研究における可能性、その正負、両側面からの思索を巡らせてみてください。
https://youtu.be/c8BuaswvJCc?si=eRVoqXxEjXQkxCZN
今回紹介した講義:第135回(2022年秋季)東京大学公開講座「境界」 植物と動物の融合から生じる研究と倫理の境界 松永 幸大先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
〈文/みの(東京大学学生サポーター)〉