そもそも古代ゲノム研究とは何でしょうか?
2022年ノーベル生理学医学賞の受賞者に、スヴァンテ・ペーボ博士という人がいます。受賞にあたり評価されたのは、「古代ゲノム学の創設」「ネアンデルタール人の全ゲノム配列決定」「デニソワ人の発見」という実績です。
ここで注目したいのは、デニソワ人の発見。
ロシア領のアルタイル山脈にあるデニソワ洞窟から見つかった人類の歯と骨からDNAを抽出してゲノムを解読し、ネアンデルタール人でもなくホモサピエンスでもない第三の人類「デニソワ人」を見つけたのです。
化石の発見ではなくゲノム解読によって新しい人類を見つけた、という点で世界初の功績である上に、約5万年前には3種の人類が地球上にいたという示唆を与えたことも高く評価されています。
それでも、ノーベル賞を受賞するほどすごいことなの?と思った方もいるかもしれません。
太田博樹先生は、「人間」とは何か?という普遍的な問いに対して、議論の基礎をなす科学的情報を提供したことはノーベル賞に値する価値なのではないか、と話します。
今回ご紹介するのは、第138回(2024年春季)東京大学公開講座「制約と創造」から、「古代ゲノム研究から学ぶ人類の過去と未来:我々はどこから来てどこへ進むのか?」です。
本講義では、この古代ゲノム研究がどのように人類の謎と関係してきたのか、解き明かしていきます。
古代DNAの制約
そもそも古代ゲノムを解読するには、ゲノムが書き込まれている古代DNAが重要となります。
実は現代のDNAの分析というのは非常に簡単で、皆さんも30万円程度を支払えば、精度の高いゲノム解読をすることができます。
しかし、古代DNAではそれほど簡単なことではないのです。
ゲノムとDNA
人間は37兆個の細胞でできていますが、その細胞一つひとつには「核」と呼ばれるものがあり、そこにはすべての遺伝情報が組み込まれています。
そのすべての遺伝情報が「ゲノム」と呼ばれるものです。そして、そのゲノムが書き込まれている物質がDNA(デオキシリボ核酸)というものです。
よくある誤解として、DNA=遺伝子だと思っている方が多いのですが、遺伝子はDNAの一部である、ということも心に留めておいてください。
生物は死んだあとどうなるか
では生物が死んだあと、DNAはどうなるのでしょうか?
実は生き物はもともとDNAを分解する酵素を細胞内に持っています。それは、生きている間は膜に覆われていますが、生き物が死ぬと外に出てくるため、死後すぐにDNAの分解が始まります。
死後、肉体は腐敗して土に還りますが、骨や歯など硬い部分は一部残ります。ここに残っているDNAがいわゆる古代DNAというわけです。しかしこの古代DNAは、酵素によってズタズタにされている上に、雨や地下水にさらされ、DNAの分子の数が減っています。
そのため、古代ゲノムを解読するのは至難の業なのです。
私たちはいつから「人間」なのか
この古代ゲノム研究は、人類の起源に関する議論に大きく関係しています。
私たち現生人類(ホモサピエンス)はアフリカで誕生して世界に広まった、という「アフリカ単一起源説」はほとんどの方がご存知かもしれません。
実は、この学説が「定説」になったのはゲノム解析によるものなんです。
では、どのようにゲノム解析が関わってきたのか、歴史に沿って考えていきましょう。
多地域連続進化説
1990年代くらいまでは、このアフリカ単一起源説の他に多地域連続進化説というものがあり、盛んに議論が行われ、むしろ多地域連続進化説のほうが有力とされていました。
共通の祖先はアフリカにいた初期のホモ属ですが、それぞれが地域ごとに進化した、という考え方です。例えば、初期ホモ属が北京原人に進化して今の東アジア人になり、初期ホモ属がジャワ原人に進化して今のオーストラリア先住民になった、という感じです。
化石を分析すると、北京原人が今の東アジア人と共通する形態を持っていたりと、この考え方のほうが説得力を持ちます。
しかし、この学説には厄介な点がありました。それは、脳の容量です。
原人の脳は700㏄~1000cc、現代の私たちは平均すると1350cc。原人のときから2倍程度になっています。これほどの大きな変化を環境的要因で説明するのは難しいので、遺伝子の変化として説明したほうがよいだろうということになります。
そうすると、各地域で同時多発的に遺伝子の変化が起きた、あるいは交雑した結果脳の大きい遺伝子が広まった、ということになりますが、移動手段も発達していない時代であったことを踏まえると、それはかなり可能性が低い話です。
そこで、これに代わる仮説としてできた説がアフリカ単一起源説でした。
アフリカ単一起源説
ホモサピエンスが共通の祖先から進化し、各地に移動したと考えれば、脳の容量に関する問題は解決されます。
しかし、アフリカ単一起源説にも問題点がありました。それはヨーロッパに住んでいたとされる旧人、ネアンデルタール人の扱いです。
アフリカ単一起源説では、北京原人やジャワ原人は絶滅した、と考えられます。一方でネアンデルタール人は私たちホモサピエンスと非常に似ていて、絶滅したとは考えにくいのです。
ところが、とある研究者がネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを分析した結果、現生人類のミトコンドリアにはネアンデルタール人のミトコンドリアが後継されておらず、ネアンデルタール人は絶滅していた、ということが示されました。(当時は技術的に、通常のゲノム解析ではなくミトコンドリアDNAの解析しかできませんでした。)
これにより、アフリカ単一起源説が仮説から定説になりました。
しかし、やはりネアンデルタール人がなぜ絶滅したのか、には疑問が残ります。
胸郭の広がりや鼻腔が大きいなどの小さな違いはありますが、脳の容量はホモサピエンスとほぼ同じで、知能にはほとんど違いがないとされています。そうなると、なぜホモサピエンスのように繁栄しなかったのか、理由が説明できません。
そこで、人類史の分野においては、ホモサピエンスの「現代人的行動」がネアンデルタール人にはなかったからではないか、という議論が起こりました。
現代人的行動とは、ビーズなどの装飾品や細密描写の壁画を生み出していること、石器を短期間で多様化させていることなどを指します。
研究者の中には、これを「認知革命」と呼ぶ人もいました。脳の大きさは同じでも、ホモサピエンスは何かしらの遺伝子が変異したことで神経細胞のネットワークが発達した、という考え方です。
大ヒットした『サピエンス全史』という本の中でも、認知革命は当然のことで研究者の前提として紹介されています。しかし、最近のゲノム研究によって、この前提が覆りつつあります。
ネアンデルタール人のゲノム解析
技術発展によりゲノムが解読できるようになると、ネアンデルタール人のゲノム解読が行われました。
すると、ゲノム配列の情報から、ホモサピエンスとネアンデルタール人は50~60万年前に分岐したあと、ふたたび5~6万年前に出会い交雑したのだろうということがわかってきました。
独立した系統で進化したとは考えにくいため、脳の巨大化は分岐前に起きたということになります。
そこで分岐後にホモサピエンスのみが繫栄した説明として「認知革命」というものがありましたが、これはホモサピエンスとネアンデルタール人が交雑しない間柄であるという前提にたっています。
しかし、実際には交雑できる同種であったということが生物学的にわかり始めたことで、この「認知革命」という前提が揺らぎ、なぜネアンデルタール人が絶滅したのか、が再び議題としてあがってきたのです。
最後に
このように、古代ゲノム研究は人類の起源という大きな謎を解き明かす重要な鍵となっています。
最新の古代ゲノム研究や、太田先生自身の研究に関する話題など、講義動画ではここでは取り上げられなかった興味深い話題が盛りだくさんです。
興味を持たれた方はぜひ動画をご覧ください!
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:第138回(2024年春季)東京大学公開講座「制約と創造」 古代ゲノム研究から学ぶ人類の過去と未来:我々はどこから来てどこへ進むのか? 太田博樹先生
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