自然界に潜むだましの戦略(「動物のだまし」長谷川寿一先生)
2025/10/03

私たち人間を含む生き物は、生き延びるため、そして子孫を残すために、さまざまな工夫を凝らしてきました。その中で特に興味深いのが「だまし」の行動です。だましと聞くと少しずるいイメージを抱くかもしれませんが、自然界では非常に多様で洗練された「だまし」が見られます。

今回ご紹介するのは、2011年度東京大学公開講座「だます」より、長谷川寿一先生の「動物のだまし」です。カモフラージュや擬態、偽傷、偽死、托卵などの行動、さらには霊長類の戦術的なだましまで、多彩な事例を通じて動物のだましについて探っていきましょう。

魚のだましーー偽物の「掃除屋」とメス擬態

海の生き物におけるだましと言えば、捕食者から身を守るために背景の色に溶け込む擬態をイメージされる方も多いかもしれません。しかし実のところ、魚の「擬態」はそれだけではありません。

UTokyo Online Education 東京大学公開講座「だます」 2011 長谷川寿一

まずは、他の魚に擬態する例です。

海の中には「掃除屋」と呼ばれる魚がいます。代表的なのがホンソメワケベラです。彼らは他の魚の体についた寄生虫や老廃物を取り除いてあげるため、多くの魚から大切に扱われ、捕食されることもあまりありません。

しかし、この「信用」を利用する魚もいます。ニセクロスジギンポはホンソメワケベラに擬態し、他の魚に近づきます。そして時にはその魚の体を食いちぎるという行動をとります。(もっとも、野外での観察ではそこまで悪質な行動は少ないとされ、状況によって行動は変わるようです。)

また、よく知られている擬態として、オスがメスのふりをする「メス擬態」があります。たとえばブルーギルでは、大きなオスが縄張りを作り、メスを呼び込んで繁殖します。ところが体の小さいオスがメスのふりをして近づき、繁殖のチャンスを横取りすることがあります。縄張りオスは自分の縄張りにメスが増えたと思い込み、攻撃をしないため、作戦が成功するのです。

さらには、南米のカラシン目の魚には、メダカのメスにそっくりの姿でメダカのオスを誘い、近づいた瞬間に食べてしまうという恐ろしい種類もいます。まさに「ローレライ伝説」のような捕食戦略です。

鳥のだましーー偽傷行動

続いては、皆さんにとってはあまりイメージがないかもしれない、「鳥のだまし」を見ていきます。

UTokyo Online Education 東京大学公開講座「だます」 2011 長谷川寿一

鳥のだましとして挙げられるのは、「偽傷行動」というものです。これはコチドリなどの小型の鳥に見られます。巣の近くにイタチなどの捕食者が現れると、巣とは異なる方向から降り立ち、翼を非対称に広げてあたかもケガをしたかのように歩いて見せます。捕食者は弱った鳥を狙おうとその動きに引き寄せられ、追われた鳥はさらに逃げ……という行動を繰り返し、十分に巣から遠ざかったところで元気に飛び去るのです。

霊長類の戦術的だましと脳の進化

ここからは霊長類、そして人間に目を向けてみましょう。

霊長類は一般に「脳が大きい」動物として知られています。脳は大きければ大きいほど賢くなる…、これは良いことのように思われがちですが、実際には必ずしもそう単純ではありません。というのも、脳は非常に「コストのかかる臓器」だからです。

人間の場合、体重の2%しかない脳が基礎代謝の20%を消費しており、しかも使えるエネルギーはブドウ糖に限られています。これほどの負担を抱えてまで脳が大きく進化したのはなぜでしょうか。その理由を説明する仮説が「社会脳仮説(social brain hypothesis)」です。

霊長類は群れで生活し、捕食者から身を守ったり、縄張りを協力して守ったりする利点を得ます。しかし同時に、仲間の識別や血縁・友好・敵対関係の把握など、複雑な対人関係を処理する能力が必要になります。群れが大きくなるほど関係性は急速に複雑化し、その認知的負荷に対応するために脳が進化したという説明です。

この考え方は「マキャベリ的知性仮説」とも呼ばれます。霊長類はしばしば「戦術的なあざむき」を行うからです。たとえば、欲しいものがあっても声を出さない、食べ物を隠れて食べる、敵意を持ちながら友好的にふるまう、といった行動です。ときには第三者を利用して他者を欺くこともあります。これは昆虫や爬虫類の単純な擬態とは異なり、知的で認知的な行動といえます。

実際に調査すると、群れの規模が大きいサルやチンパンジーほどこうした行動が多く、脳の大きさと欺きの頻度には正の相関があることが示されています。

では人間はどうでしょうか。霊長類は主に「だまして利用する」行動を示しますが、人間はさらに「他者への共感や同情」を発達させました。相手の気持ちを理解する力によって、単なるだまし合いから「協力し合う社会」へと移行できたのです

もっとも、協力社会にはフリーライダーや詐欺師といった裏切り者が入り込む危険もあります。そのため人間は、裏切り者を見抜く心理的仕組みを発達させたのではないかと考えられています。

まとめ

動物界全体を見渡すと、擬態や托卵など多様なだまし行動が存在します。それらは多くの場合、生得的に備わった生存戦略です。ところが霊長類になると、知性を用いた戦術的な欺きが登場します。この点において、霊長類のだまし行動は「知性の進化」をたどる手がかりとなります

ただし、人間以外の霊長類が「相手の心」までも理解してだましているのかどうかは、いまだに明確ではありません。一方で、人間は他者の心を推し量り、共感や同情に基づいて協力し合う社会を築きました。そして同時に、協力関係を破壊する裏切り者を検知する能力を発達させることで、社会を維持してきたのです。

つまり、「欺き」から「共感と協力」への転換こそが、人類がここまで繁栄してきた最大の秘訣である、と言えるかもしれません。

講義動画では、ヘビの擬態や鳥の托卵など、ここでは紹介しきれなかった様々な動物の事例が紹介されています。興味を持った方はぜひご覧ください!

<文/RF(東京大学学生サポーター)>


今回紹介した講義:東京大学公開講座「だます」 動物のだまし 長谷川寿一先生

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