ぴぴりのイチ推し!

2024/12/23
東京大学で行われた公開講座や講演の映像をお届けしている東大TVでは、より多くの方に興味を持ってもらうべく、今年(2024年)から「ぴぴりのイチ推し!」と題して動画の概要を紹介するコラム記事の投稿を始めました。1周年を迎えたということで、本記事では、特に人気の記事をランキング形式でご紹介します。ぴぴりのイチ推し!を初めて読むという方は面白い記事を見つける機会に、普段から読んでくださっている方は再発見や復習の機会に、ぜひお楽しみください!
なお、東京大学の講義映像を公開しているUTokyo OCWのコラム「だいふくちゃん通信」でも今年のアクセス数ランキングを紹介しています。ぜひこちらもご覧ください!2024年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング
2024年ぴぴりのイチ推し!アクセスランキング TOP5
これまで公開されたぴぴりのイチ推し!の記事は18本でした。まずは、その中から特にアクセス数の多かった記事TOP5をご紹介します!(集計期間:2023年12月1日〜2024年11月30日)
第5位 【名探偵とは詩人である】エドガー・アラン・ポーにおける「想像力」とは?
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4269/   コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2010_koukaikouza_hiraishi/  
世界的に知られる推理小説家 エドガー・アラン・ポーの小説家・詩人としての活躍を通して「想像力」について深堀りしていきます。「想像力」とは何なのか、そしてエドガー・アラン・ポーの何がすごいのか、気になる方はぜひ記事や講義をご覧になってください。
第4位 【なぜ貞子は怖いのか】映画『リング』から映像と視覚の謎に迫る
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5182/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2018_komabakoukaikouza_takemine/ 
日本のホラー映画の代表作『リング』といえば、見たことはなくとも名前は聞いたことがあるという方や、登場人物の「貞子」なら知っているという方が多いでしょう。記事・講義では、『リング』の怖さをテーマに、「映画を見る」とはどういうことなのかについて分析がなされています。映画をはじめ「見ること」の分析を通じ、ホラー映画の怖さの秘密について、皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?
第3位 これから哲学を学ぶ人へ【ギリシア哲学のイントロダクション】
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5966/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2022_friday_noutomi/ 
哲学と聞くとギリシア哲学を思い浮かべる方は少なくないでしょう。そんなギリシア哲学の歴史や思考について学ぶことで、哲学の世界の入り口に立ち、「『哲学』を学ぶとは何か」について知ることができるかもしれません。哲学に触れたことがない方や敬遠してきた方でもきっと楽しむことができる記事です。また、講義はYoutubeで34万回再生されている人気の動画となっています。
第2位 【日本語と英語で見える世界が違う?】直訳はなぜ問題があるのかー言語によって異なる認知モード
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5515/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2020_friday_watanabe/ 
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」という川端康成の小説『雪国』の冒頭文を英語に訳すとどうなるのか? という導入から始まるこちらの記事。日本語や英語、フランス語などの文法・表現の違いという側面から、「認知モード」の違いについて考えています。認知モードの違いを知ることは、言語習得のコツにもなるかもしれません。
記念すべきぴぴりのイチ推し!1本目のコラムが2位にランクインしました。
第1位 【地球以外の星には生命体がいるのか?】生命の起源の謎に迫る
講義動画はこちらから: https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5511/   コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2020_friday_totani/ 
記事タイトルにもある「地球以外の星には生命体がいるのか?」という問いについて考えるため、「生命の起源の謎」に迫った講義・記事です。
記事で紹介している講義を担当された戸谷友則先生はメディアや書籍などでも積極的に発信されており、難しそうな(というか難しい)テーマを分かりやすく面白く紹介されています。
そんな講義をうまくまとめ、宇宙や生命についてもっと知りたいと思わせてくれるこちらの記事が、納得の1位となりました。
番外編 その1 おすすめ記事3選
比較的最近公開された記事はなかなかランキングに入り辛いのですが、面白いものが多くあります。
そこで、ここでは当ランキング記事執筆者が独断と偏見で選んだおすすめ記事をご紹介します。
【差別と多様性】カーストの特異性
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5783/     コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_friday_tanabe/    
インドのカースト制度といえば誰しも知るところですが、現代のインドはどうなっているのでしょうか?今年人口が世界一になったといわれているインド。そんなインドの社会構造や多様性について学ぶことで、急成長を遂げているインドのことを知ることができます。また、インドの多様性を理解することで、現代の日本や欧米の抱える問題も見えてくるかもしれません。
「中央ユーラシア」から見る新しい世界史
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5797/      コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_friday_sugiyama/     
東アジアとヨーロッパに挟まれた草原地帯と砂漠地帯を中心とする「中央ユーラシア」。
紀元前から現代まで、多くの人が行き交い重要な役割を果たしてきたエリアですが、「世界史」の授業で深く学んだという方は多くないかもしれません。
そんな中央ユーラシアを中心に世界史を考えるという新しいアプローチを紹介しています。
実際にモンゴルに行ったことがある筆者の熱い想いも伝わってくる記事になっています。
日本のうなぎを守る!
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4487/       コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2014_unagi_symposium2/      
皆さん、うなぎは好きですか?好きですよね??とってもおいしいうなぎですが、絶滅の危機に瀕していることも皆さんご存知でしょう。こちらの記事では、そんなうなぎを守るための、研究者、生産者、流通などさまざまな立場の取り組みを紹介した講演をまとめています。大学の先生だけでなく、実際に現場で活躍されている方の講演を聞けるのも、東大TVの魅力の一つです。うなぎの現状やうなぎを守る取り組みを知るだけでも、未来のうなぎを守る一助になるかもしれません。
番外編 その2 アクセスランキング第6位〜10位
惜しくもTOP5を逃した記事を紹介します。もちろんこちらの記事も面白いものばかりなので、ぜひご覧ください。
第6位 【地震の予測はなぜ難しいのか?】地震研究の大変さを知る
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5320/  コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2019_koukaikouza_kouketsu/ 
第7位 【悲惨な歴史の舞台を観光する】ダーク・ツーリズムについて考える
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5242/  コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2019_tokyocollege_andrew/ 
第8位 【農学部出身の女性たちのその後の進路とは!?】オープンキャンパスで聞く農学女子の最前線
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5434/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2020_nougakukeijoshi-saizensen/ 
第9位 学校が「障害」を作り出す!?インクルーシブ教育の未来を考える
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5843/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_koukaikouza_kokuni/ 
第10位 【「だます」のは悪か?】歴史における「語り」と「騙り」
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4230/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2011a_koukaikouza_kojima/ 
2025年もぴぴりのイチ推し!をよろしくお願いいたします
今年から始まった「ぴぴりのイチ推し!」ですが、すでに多くの方に読んでいただき、ランキングで1位となった「【地球以外の星には生命体がいるのか?】生命の起源の謎に迫る」は東大TVサイトのトップページと講義検索ページの次に高いPV数(16,302PV)となりました。来年は、さらに多くの記事をより多くの人に楽しんでいただき、東大TVを盛り上げていきたいと思います。
東大TVには中高生向けの動画なども多くあるので、ぜひ多くの世代の方に、東京大学や東京大学で行われている研究の面白さを知っていただけたら幸いです。ぜひ引き続きお楽しみください!
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/12/05
今年、2024年の夏頃から、日本では「米不足」が話題になり、ニュースでもさかんに報道されました。スーパーマーケットなどの商店で入手しにくくなっただけでなく、値段も上がりました。お米といえば和食には欠かせない主役の食材なので、多くの人が困ってしまいました。
今回ご紹介する講義は、そんなお米の素晴らしさを教えてくれる『和食の中心〜米と魚』です。この講義は、2015年に開催された『農学部公開セミナー 第48回「食卓を彩る農学研究」』にて、潮秀樹(うしおひでき)先生が担当したパートです。
途中、日常で聞き慣れない薬品や化学物質の名前が登場しますが、分かりやすい図や、先生のゆったりした口調とユーモアたっぷりの説明で、楽しくご覧いただけると思います。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
まず和食とは?
和食と言えば、こんなちゃぶ台で食べるイメージがあるでしょうか。アニメの『サザエさん』でお馴染みの、昭和の食卓です。実際にこのような食卓を大人数の全員で囲んでお食事をしているお宅は、現在、とても減っていると思われます。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
このような食卓に並ぶ典型的な和食といえば、次のようなメニューが挙げられるでしょう。「なんだ、毎日のように食べているものじゃないか」という感想を持つ人もいれば、「近頃はこんなにきちんと用意して食べていないなぁ」と感じる人もいるでしょう。(筆者は、一番に民宿や旅館の朝ごはんを思い出しました。)
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
和食は、なんと、平成25年(2013年)にユネスコの無形文化遺産に登録されました。それまで、既にフランス・地中海・メキシコ・トルコの食事が登録されており、そこに新たに加わることができました。(本講義の後には、韓国のキムチ、トルココーヒー、ジョージアのクヴェヴリなどが登録されており、2024年に新たにタイのトムヤムクンや日本酒が加わることが決定しました!)和食については、その食材の多様さや、自然や年中行事を重んじるバックグラウンドといった特色が評価されました。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
登録されたこと自体はたいへん喜ばしいことですが、決して日本中の誰もが日常的に盛んに「和食」を作って食べているわけではないのが現状です。ちなみに、筆者は2024年度の『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』の収録に携わっていましたが、農学の高橋伸一郎先生の回でも、「文化遺産に指定されるということは、失われつつあるということだから、喜んでばかりもいられない」という主旨のことが述べられていて、とても記憶に残っていました。(よろしければ、そちらの動画も「食」について詳しく説明しているので、あわせてご覧ください!)
主役「お米」の強みを知ろう
さて、和食の中でも、最も中心をなしてきた食材は、お米です。ただし、現代人の我々が食べているような白米については、庶民がなかなか口にできなかった時代もあり、ヒエやアワなど他の穀類がそのパートを担うこともあります。お米は、その貴重さから、税として納められていた時代もあります。
しかしながら、日本人の食生活が徐々に変化していることが影響して、お米の摂取量は減ってきています。伴って、生活習慣病は増加傾向にあります。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
講義では、ここからインスリン感受性とお米との関係——すなわち糖尿病とお米を食べることの関係、またそれらを研究する実験の結果などを詳しく説明していますが、ここでは省略します。ぜひ、講義をご覧ください。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
とはいえ、お米と健康の関係、皆さんとても気になると思うので、簡単な情報だけご紹介しましょう。
まず、お米の本当の本当に栄養価が高い部分は、精米で落としてしまう部分なのだそうです。精米では、籾殻(もみがら)や胚芽の部分を落としますから、私たちは胚乳の部分だけを食べることになります。お米を生物としてとらえると、本来、より「生きていた」のは外側にあったものたちなので、より多くの栄養素がそちらに含まれているということになります。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
私たちの食卓に届く際には取り除かれていることが多い米糠(こめぬか)ですが、これを摂取するには、いくつかの方法があります。まずは、糠漬けです。先生は、「昔の人というのは、当然データなどは持っていないが、経験に基づいて、分かってこういうものを食べている」と語ります。次に、玄米。玄米は、籾殻だけを取り除いて、糠や胚芽が残された状態です。二日酔いになりやすい人には、玄米が良いとのことでした。(下の写真は、「二日酔いになりやすくて困っている」と挙手してくれた人を、笑顔で歓迎しているところです。)
明日から取り入れられそうな情報のご紹介でした!
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
酒の肴? 「お魚」も忘れずに
その昔、日本では魚類のことを「いを」と呼んでおり、やがて「うお」に変化したといいます。お酒を飲む際、おつまみ——つまり「酒菜(肴)」として魚を食べることが多かったため、「さかな」という発音がそのまま呼び名になったという説もあるようです。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
日本やアイスランドなど、魚の消費量が多い国では、平均寿命が長いそうです。講義では、魚に含まれる栄養素について語られますが、ここでは省略いたします。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
魚には栄養があるので、中国・ヨーロッパ・アメリカなどの国々では「たくさん魚を作って食べよう」という考え方が強くなりましたが、日本では逆行して(洋食が増加して肉を食べる機会が増えたことを受けて)魚の摂取量が減ってきているようです。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
皆さん、ぜひ魚をたくさん食べましょう。
塩分にご注意
和食を食べる際には、気を付けるべきことがあります。それは、塩分の摂りすぎ。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
冒頭で挙げたような典型的な日本食を3食しっかり食べると、1日あたり13gほど摂取することになるそうです。ところが、WHOが2014年に発表した理想的な塩分の推奨量は、成人で「1日あたり5g未満」とのこと。日本では、成人男性が平均11.4g、成人女性が平均9.6gほどの塩分を摂っているそうで、北方ではやや料理の味付けが濃くなるため、13gを超える人もいるようです。これはWHOが示した推奨量よりもかなり多いですね。
先生がご自身で塩分を減らすことを試みたところ、限界は8〜9gだったそうです。つまり、それよりも少ないと、やはり味気なく感じてしまうようです。
では、どうしたら健康的に和食をたくさん食べられるのか。秘密は、「だし」にありました。だしをしっかり取って風味を増すことによって、塩分の方を控えても味気なさを解消できるというわけですね。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
塩分摂取量や栄養については、他にもUTokyo OCWに詳しい講義があるので、よろしければご覧ください。
紹介記事(だいふくちゃん通信):栄養ってどれくらい採れば良い?~観察と実践の疫学~
講義動画:2018年度開講「ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)」より「第5回 栄養疫学の視点から」佐々木 敏 先生
みんなで和食を盛り上げていこう
現代社会では、みんな忙しく、家族揃ってごはんを食べる機会や、しっかりと何品も作って食べる機会が減っていっています。しかし、先生は「食育は子どもだけの問題ではない、大人も自分のごはんを考える必要がある」と言います。ときどきは、しっかりおだしを取って、お米やお魚の料理を食べる機会を増やし、おいしく楽しく文化遺産を守っていきましょう!
ちなみに、下の画像は、先生の前日のお夕飯のメニューで、「やっぱり塩分は少し多め」という、お茶目なお話でした。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
今回のコラムでは、具体的な栄養素や糖尿病予防など化学的な説明を、(説明が長く複雑になってしまうので)省略してしまいました。ぜひ、講義動画で詳しくご覧になって、和食に詳しくなってください。とても分かりやすく解説されているので、心配ご無用です。
https://youtu.be/LUYuhiZghzs?si=ozTyTovuOp0b14-S
今回紹介した講義:農学部公開セミナー 第48回「食卓を彩る農学研究」 和食の中心~米と魚 潮 秀樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文・加藤なほ>
2024/11/28
サスティナビリティについて
“サスティナビリティ”という言葉は皆さんにとっても馴染みのある言葉であり、日本のみならず世界中で広く使われています。それでは、今一度この言葉の意味、使われるようになった背景について考えてみましょう。
言葉の意味と使用背景
サスティナブルな世の中を目指すとは、
・自然環境が維持されながら社会の経済活動も持続される世の中を目指す
ということです。
この目標自体はもちろん素晴らしいものであり、我々がこの先目指すべき姿です。しかしながら、この“サスティナブル”が目指されるようになった背景には、今までの我々の生き方では、自然を壊さずに経済発展を維持するということが難しくなってきたという事実があります。
そのため、どうやらサスティナビリティの追求は、我々の生き方に大きな変更を迫るという認識をする必要がありそうです。
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
今回は東京大学公開講座(2023年春季)「サスティナビリティと人口減少-反出生主義へと向かわせるもの」から、サスティナビリティについて改めて考えてみましょう。講師は、東京大学人文社会系研究科の堀江宗正(ほりえのりちか)先生です。
サスティナビリティと人口抑制
今回の講義でも取り上げられているように、実は“サスティナビリティ”という観点で“人口抑制”というトピックが度々取り上げられてきました。一体どのような点でサスティナビリティと人口抑制が結びついているのか疑問に感じた人も多いのではないでしょうか。この糸口を掴むには、世界の人口の推移に目を向けるとわかりやすいかもしれません。
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
日本の人口減少から学ぶこと
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
世界的に見れば人口は増加の一途を辿っています。しかしながら、出生率が高いアフリカ諸国や、人口が多い国として知られる中国やインドでさえ、出生率の低下や、将来的な人口減少が予測されています。
これらの世界的な傾向から、日本における人口減少・少子高齢化は日本に極端な欠陥があることを意味するものではないと先生は語っています。
むしろ、世界中が目を向けるべき普遍的な問題を孕んでいると言うのです。その普遍的な問題とは一体何なのでしょうか。気になる方は講義動画をご覧になって確かめてみてください。
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
https://www.youtube.com/watch?v=zy3apkkEcmU
今回紹介した講義:第136回(2023年春季)東京大学公開講座「少子化」 サスティナビリティと人口減少-反出生主義へと向かわせるもの 堀江 宗正
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/11/06
高校生と大学生のための金曜特別講座「カーストとは何か:インドの歴史人類学から再考する」です。講師は、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の田辺明生(たなべあきお)先生です。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 田辺明生
カーストに対する先入観
私たちが“カースト”というワードを聞いたときにまず思いつくのは、それがインドにおける階級制度だということだと思われます。では、インドについてはどのようなイメージを持っているでしょうか?おそらく、非常に広大で、多様な、歴史のある国という想像をするでしょう。そのような国におけるカーストに対して私たちは一般に共通したある先入観を持っている、と田辺先生はおっしゃっています。今回の講義では、カーストを人類学の観点から見つめることで、私たちが持っている先入観を大きく揺さぶることになると先生は語っています。
文化人類学とは
田辺先生のご専門は文化人類学、特に歴史人類学です。歴史人類学では、歴史的な観点と人類学的観点から事象を見つめ、それにフィールドワークを交えて研究を行います。文化人類学を一言で表すと、フィールドワークによる現場の経験を通じ、人間の生活の全体を総合的な視点から理解しようという学問です。つまり、自分の身体をもって、その場、その時の経験をし、その経験を通じて考えていくということです。
カーストから考える人間の平等性・多様性
本講義におけるメインテーマは”カーストから考える人間の平等性・多様性”です。インド世界の魅力の一端はその圧倒的な多様性にあると先生はおっしゃっています。カーストには差別や排除の側面はもちろんあります。しかし、それだけでインド社会を理解しようとすると狭い視点でインドを見つめることとなり、圧倒的な魅力を受容することができないと先生は考えているのです。事実、カーストは多様性を保つための親族・社会制度として機能しており、現代インド社会を構成する重要な役割を果たしているのです。ただ、そこに存在する差別の問題は、人々の平等性と多様性を共に重んじることが大切とされる現代社会においては解決しなければならない課題として我々の前に立ちはだかります。現代社会の課題の一つとして、職場、大学などの社会的環境においてジェンダー、民族、宗教といった人々の多様性をどのように尊重するべきかという問題があります。インドの歴史に見られるように、多様性の重視が人々の平等性を妥協するようなことはあってはなりません。本講義では”多種多様な人間がお互いを尊重して共存するということは如何にして可能なのか?”、“多様性を尊重しつつ、平等であるということはどういうことなのか?”ということを、インドの歴史と社会を見つめることで、解決の糸口を探っていきます。
現代インドをどう捉えるか
インドに対するかつてのイメージ
1970-80年ごろまでのインド研究においては、「なぜ民主化と経済発展が進展しないのか」という問いが課題とされ、「ヒンドゥー教やカーストによる差別的な社会構成」があるからということが、その答えとされてきました。インドの停滞を説明するためのものとして「ヒンドゥー教」や「カースト」という枠組みが引用されていたのです。社会学者のマックス・ヴェーバーは著書『「永遠の差別秩序」としてのインド世界』において、”インド社会においては“人権“なんて存在し得ない”と論じていました。また、文学博士の ルイ・デュモンは著書『「ホモ・ヒエラルキクス(階層的人間)」としてのインド人』において、“インドの人間はホモ・ヒエラルキクス(階層的人間)であり、それに対してヨーロッパの人間は水平的人間である”と語っています。これらヨーロッパの知識人の間で行われたインド研究においては、”インドには階層・差別が存在し、我々ヨーロッパがより平等であり、より人権を重視した、より優れた社会である”という前提が存在していました。しかしながら、本当にそうなのでしょうか?
変容を遂げる現代インド
現在、インドは大きく変わっています。かつての“貧困と差別のインド”というイメージから“成長力のある多様性社会のインド”へと変化しています。“貧困と差別にあえぐ閉じられたヒエラルキー社会”という枠組みを大きく越え、“成長力を持つ開放的な多様性社会”という顔を有するに至っているのです。ただしこれは、現実が急速に格差と不平等の解消に向かっているということではありません。もちろんいまだにカースト差別、あるいはジェンダー差別なども厳しいものがあります。しかしながら、だからこそ人々はそういった差別に対して、批判をし、不平等の克服という試みが非常に活発に行われているのだそうです。執拗に続く格差と不平等の克服への試みとして、多様な民衆の公共的な参加が実現しつつあり、それが政治的にも経済的にも変化を促す大きな活力となりつつあるということなのです。“多様性と平等性を同時に実現することはいかに可能か?”という問いはインドにとって切実な問いであり、地球社会にとっても重要な問いです。インド世界においては、誰も同じようになりたいと思っておらず、人々はそれぞれ“私は私のように生きたいと”思っています。“それぞれが自分の生き方を探求しながら、しかし、自分の生き方によって差別されないような社会はどういうものなのか”という問いをすることは非常に重要なのです。
多様性と平等性の同時の実現
では、日本における多様性と平等性はどのようなものでしょうか。日本では、みんなが同じようであらなければならないという同調主義が存在し、この構造を非常に苦しい社会だと先生は考えています。そのため、“日本は「平等性」という観点においては、ある程度インド社会と比べると優れているかもしれないが、「多様性」については非常に大きく劣る”と先生は述べています。だからこそ今、日本、あるいは欧米においても、多様性の尊重が声を上げて言われるトピックであり、多様性と平等性の同時の実現は、地球社会全体にとって極めて重要な、切実な問いなのです。
多様性と平等性をめぐるインド世界の可能性と失敗
ー『悲しき熱帯』から学ぶー
文化人類学者のレヴィ=ストロースは、著書『悲しき熱帯』にて、インドについて多様性と平等性の同時の実現ができなかった失敗例として述べていおり、彼は、カースト制度における平等性と多様性の実現の理想的な形を以下のようにまとめています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 田辺明生
今の欧米における人種差別の問題が大きく出ているということは、かなり昔にインドが経験した失敗を、今、ヨーロッパ、欧米が経験していることを意味するのです。そのため、インドは我々の遅れた過去と見るべきではないのです。むしろ、多様な人々がいかに一緒に暮らせるのか歴史的にずっと早い時期から実験をし、なんとかみんなが違いながら平等であり続ける世界を実現しようとした地域として捉えるべきなのです。そして完全には成功しなかった世界としてインドを見ることで、私たちの未来を考えることに大きく役立つことになると先生は考えています。
インドの思想と価値観
―“存在の平等性“にもとづく多様性の肯定―
従来のインド社会研究は「地位のヒエラルキーと権力による支配構造」に注目が集められていました。しかしながら、より根源的な価値は“存在の平等性“であり、これによって多様性社会は維持されてきたと先生はおっしゃっています。
存在の平等性とは?
“存在の平等性”とは、“この世界の万物は、一なる本質を分有しており、絶対の位相において全ては平等である”ということです。つまり人々は一つの真理を共有しており、その真理のもとではみんな平等であるという考えです。インドの歴史の中で、この思想は、仏教・バクティ(信愛運動)・ヨーガなどさまざまな形で現れてきました。
“カースト“と“存在の平等性”
ここで改めてカーストについて考えてみましょう。冒頭でも述べた通り、カーストと言われると“差別”のイメージを強く持つことでしょう。しかしながら本来、カーストとは内婚集団を意味する言葉です。内婚集団とは、その集団の中でのみ結婚をするというグループです。カーストは、特定の集団の中でのみ結婚をするために、特定の技術、知識が継承されていくという性質を持ち、固有性が保たれるという特徴があります。このように、カースト自体は決して悪い制度ではないのです。ただ、異なるカースト間での差別が問題であり、それをどう解消するかが現代インド社会の課題となっているのです。インドの考える存在の平等性は、一つの真理があり、それは私たちから隔絶した、超越した向こうにあるのではなく、いまここの世界の万物に置いて存在するという理論です。インドの思想の中では、まさにこの“世界の多様性、社会の多様性と平等性の関係はどう言うものなのかをものすごく真剣に考えていた地域だったのです。
多様性の豊かさと差別
多様性の豊かさを探究するという意味で、インドの社会構造は非常に大きな可能性があります。しかしながらそこには、一部の人に対して“同じ人間として扱わない”、いわば“差別”の横行という側面がありました。この負の側面をどう解決していくかを考えることが私たちにとって非常に重要であると先生は語っています。 “あるかたちで振る舞うことが要求される社会がある中で、自分は自分として振る舞えるのがインド社会である”と、多様性を活かしていく、多様性を増やしていく豊かさの考えの魅力を先生はおっしゃっています。この“多様性を肯定する”という考え方の背後には、最終的にはみんな同じ人間なのだ、同じ存在なのだということを認めることにあります。実は、“存在の平等性”は人間だけではなく他のすべての存在者、動植物、岩、山にまで適応される考え方なのです。それぞれは違って、全ては平等であるということを考えるため、この思想は人間社会のみならず、環境問題などにおいても大きな意味をもつ思想なのです。インドの非常に煌びやかで、さまざまな多様性の組み合わせの妙をたのしむような、多様性のアサンブラージュがインド文化の魅力であると先生は述べています。
ーまとめー
多様性と私たちのこれから
その地理的な特性から、インドは多様性の出会う場であり、多様なるものの接触と交流が常に起こっていました。そうした多様なる集団の多様性を維持したまま、共住するためにカースト集団、制度を作っていったのです。その多様性を維持する上で非常に重要な考え方が“存在の平等”という考え方でした。しかしながら、全体をマネージするためにはどうしても、ヒエラルキーや差別が発生してしまうという問題点もありました。注目すべき点は、この問題は、実は現代の日本や欧米も抱えている問題であるということです。
多様性をもたらすことは、これからの私たちの課題であり、その中でどのように差別を克服するのかというのは、私たち自身の問題であると認識する必要があると先生はおっしゃっており、差別の克服方法のヒントとして存在の平等性に基づく多様性の肯定が挙げられるのではないだろうかと語っています。何が私たちは本当に平等なのかを、より根本的・本質的に考えていくことが、これから私たちが多様であり平等である社会のビジョンを作っていくのに重要なのではないかと先生は考えているのです。本記事はここで終わりになりますが、動画では、これらの話題の後に約1時間の質疑応答タイムが設けられており、多くの人からいただいた質問に先生が丁寧に回答しています。皆さんのカーストに対する先入観を覆す動画となっておりますので、続きが気になる方は講義動画をチェックしてみて下さい。
https://youtu.be/ASTHNV_FAdY?si=H0_3-SDBqkpjBiZ1
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:高校生と大学生のための金曜特別講座 カーストとは何か:インドの歴史人類学から再考する 田辺 明生先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/10/18
皆さんは、学生時代に「世界史」を勉強しましたか?「世界史」を学んだ方は、例えばこんな印象を抱いたことはないでしょうか?「◯世でしか区別できない、同じ名前の王が大量に出てくるヨーロッパ史」、「漢字だらけの中国史」、「とにかく情報量が多すぎる近代史」などなど……。特に私たちが高校までに勉強してきたような「世界史」というと、幅広い地域に関する多くの知識をとりあえず覚えるという、暗記科目というイメージが強く残っているかもしれません。ともすれば大国ばかり注目されがちな世界史。ここで、例えばヨーロッパ、中国といった枠組みを取り払って、全く新しい見方で世界史を理解できるとしたら、世界史に対するイメージが大きく変わるかもしれません。今回は、歴史学者である杉山 清彦(すぎやま きよひこ)先生の講義「世界史を中央ユーラシアから見る」から、世界史を捉える新しい枠組みを見ていきましょう。
「中央ユーラシア」という枠組み
「中央ユーラシア」という概念を理解するに当たり、一つ具体例を考えてみましょう。例えば、2021年にアメリカ軍が撤退し、タリバン政権が復権したことで話題となったアフガニスタンという国があります。このアフガニスタン、一体「何アジア」に分類されるのでしょうか。西アジア、南アジア、中央アジア、いくつか考え方がありますが、分類する際の指標・基準は何でしょうか?当事者であるアフガニスタンの人々は一体どのように考えているのでしょうか?
アフガニスタンの地理的特徴についてもう少し見ていきましょう。アフガニスタンの真ん中にはヒンドゥークシュ山脈の延長が横たわっており、人々はそれを取り巻くように居住しています。南側にかけては、国境を跨ってパシュテューン人という民族の世界が広がっていますが、西はイランと繋がっており、北はウズベキスタン、タジキスタンと民族的にも繋がっています。加えて、ヒンドゥークシュ山脈より南側はそのままパキスタンやインドに繋がっており、南アジア的なところとも言えるかもしれません。
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
便宜上、アフガニスタンは現在西アジアに分類されていますが、排他的に「西アジア」と分類してしまうことでこうした側面が抜け落ちてしまいます。そしてユーラシア大陸には、こうした複雑な背景を持つ地域が至る所にあるのです。
ところで、西アジア、南アジア、中央アジアという分類は、(当たり前に思われるかもしれませんが)少なくともヨーロッパではない、ということを意味します。しかし、果たしてそれも本当なのでしょうか。一般的には、ダーダネルス・ボスパラス海峡とウラル山脈の間がヨーロッパとの境目であるとよく言われます。しかし、そこを越えたからといって、ガラッと人の生活習慣が変わるわけではありません。また、アジア内における分類も便宜的なものです。重なっていたり、時期によって変化したりすることもあります。例えば、エジプトはどう考えてもアラブの大国なのに、アジアという分類には入りませんね。これは現在の政治経済の分野においては当然のことかもしれませんが、人文学の分野においては、この整理をそのまま過去に当てはめてもいいのか?という問題が出てきます。杉山先生は、こうした理解を「各国史」的理解とあえて批判的に呼んでいます。
世界史の「各国史」的理解
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
「各国史」的理解とは、世界史を個別の歴史の総和として捉える、世界史は各国史に分解できるという整理の方法です。さらにその各国史は、国民国家の枠組みで把握することになります。したがって、杉山先生が例を挙げているように、ベトナム史という概念は存在しますが、チャンパー史というものは想定されていませんし、チベット史というものを真っ先に考える人は残念ながらいないでしょう。しかし、ここまでお読みいただいた方は、そうした歴史的理解は本当に人類の営みの歴史をカバーできるのか?という問題があることにお気づきになるかもしれません。 また、「各国史」的理解にさらに時間の経過が組み込まれると、歴史を中国やヨーロッパなど主だった国や地域の動きの足し算で捉えようとする「試験管型」の世界史となります。こうした考え方は、まさにそれぞれの試験管の中で反応が進んでいるのを見ているようなイメージで、お互いの影響はあまり重視しません。
こうした「各国史」的理解の問題点について、杉山先生は主に3つの観点から整理されています。まず、それぞれの歴史の捉え方が孤立的・単線的なものになってしまいます。また、こうした理解において前提とされる「国境」の概念が前近代では存在しなかったり、現在とは違うものであったり、はたまた国境が頻繁に変わっていたり、という状態が常でした。そして、こうした理解においては、国家同士のお互いの影響が低く見積もられる傾向にあります。
2つ目に、現代における「国家」という枠組みで過去を分断・選択してしまうことで、その枠組みに当てはまらない地域を無視してしまうことになります(杉山先生はこれを反歴史性・超歴史性という言葉で表しています)。
3つ目に、ある地理空間においては、必ずしも住民の話す言葉や文化、信仰、習慣が揃っているわけではなく、その中に別の小集団があったり、その地理空間自体が隣国と重なっていたりすることもあります。「各国史」的理解は、そこを無視することにつながるのです。
一方、ここ最近は、「地域」という言葉を柔軟に使って世界を切り取るというのが共通の理解になってきています。これはある地域について、横の時間軸から可変的・重層的に捉え、地域や社会の住民たちの固有性や自律性を歴史の中に見出していこう、という考え方です。
前近代においては、西のヨーロッパ文明と東の中国文明を軸にした東西交渉史観と呼ばれる歴史観が主流でした。それに対して、近代以前の人類史の大部分を占めてきたユーラシア大陸の人類の活動に焦点を当て、ユーラシア大陸の端の方にヨーロッパや中国といった地域が存在している、という最も広い地域設定をしたのが、中央ユーラシアという考え方です。
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
つまり、中央ユーラシアというのは、ユーラシア大陸の真ん中の部分をピンポイントで抜き取ったものではなく、周りの地域を剥ぎ取った後の残りの地域全部という、広大な概念なのですね。これは、日本では内陸アジア、内奥アジアと言われてきた概念とも近いものですが、ユーラシアEuro+Asiaという名の通り、ヨーロッパとアジアを分けない概念であるということを強調するために用いられています。
北の遊牧民族と南のオアシス民
杉山先生の作成した図を見ると、ユーラシア大陸の地理的構造がわかります。例えば北の方を見ると、東欧は東方から続く草原地帯の延長です。ここはもちろんキリスト教圏であり、ラテン文字やキリル文字が使われていますが、エリアとしては遊牧世界の延長ですね。
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
北方に住む遊牧民と南方に住むオアシス民は、基本的には互恵関係にありました。遊牧民は農産物、武器、金属器などをオアシス民との交易により手に入れる一方、砂漠の中で孤立していたオアシス民は、遊牧民たちに対してみかじめ料を払うことで用心棒になってもらっていたのです。そして、軍事力のある騎馬民族が政治的な動きの中心を成しながら、オアシス民がキャラバン貿易で交通・国際商業を担うという体制が揃った時、モンゴル帝国のような強力な遊牧国家が現れたのですね。
このように、中央ユーラシア世界は家畜を財産とする遊牧民の世界と、住めるところに集中して住む農村都市のオアシス民の世界の相互関係をコアとし、その外側の世界と重なり合う周縁部を持つ巨大な二重構造を持っています。さらに、その周縁部は東アジア西北部、南アジア西北部、西アジア東北部・東ヨーロッパ東部と重なり合っており、こうした地域は、人やモノの接触が頻繁に生じ、王朝の興亡が頻繁に起きるなど、歴史の焦点となってきたのです。
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
このように、歴史の展開において非常に大きな役割を果たしてきたにも関わらず、彼らはなぜここまで影が薄くなってしまったのでしょうか?その要因として、ヨーロッパで産業革命や軍事革命が起こり、陸上交通と騎馬軍事力の時代から海上交通と火器の時代に、そして家畜から化石燃料の時代に変わったこと、加えて、前近代においては足手纏いだとされてきた人口そのものが国力となる時代が到来したことが挙げられます。こうなると、人口が多い農耕社会が、動きは遅いが国力があるということになり、それまでは少数精鋭が売りだった遊牧民は強みが弱みになってしまったことで、少数民族扱いを受けるようになっていったのです。それまでは中央ユーラシアが独自のまとまりと自律性を持ち、東ヨーロッパの外周に影響を与えていました。外部の意思や力によって左右されていくようになったのは、つい最近の話なのですね。
紀元前から現在に至るまでの歴史を「中央ユーラシア」という新たな視点で捉え直すことは、農耕に立脚してきた日本列島の常識や価値観を相対化し、遊牧民をはじめとする異なる民族の価値観で社会を理解することに繋がります。
ところで、草原の遊牧社会は、現在でも普通に営まれています。例えばモンゴルでは、人口の半分以上は首都のウランバートルに住んでいるものの、それ以外の地域では遊牧民が広く点在し、昔ながらの遊牧生活を送っています。モンゴル人にはどうも自然と「遊牧したい」という感覚があるようで、休暇の時期になると都市を出て、田舎にある実家や知り合いの家まで遊牧をしに帰ってしまいます。彼らからすれば、わざわざ狭い空間に自分たちを閉じ込めて生活している我々のような定住民の文化というのは、奇妙に思われるのかもしれません。自分の住んでいる地を飛び出して、異なる文化や価値観に触れることは、その地の歴史の理解だけでなく、自分と世界の関係を改めて問い直すことを可能にしてくれるでしょう。
https://youtu.be/3b5IJUSDviA?si=WyZfQapcJw4A-zFM
<文/R.H.(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:世界史を中央ユーラシアから見る 杉山清彦先生
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2024/10/04
みなさんは、SNSやテレビなどのメディアで、原子爆弾によって崩れた長崎の浦上天主堂や爆風で折れ曲がった十字架など、第二次世界大戦の頃の写真をカラー化したものをご覧になったことはありますか。70年以上前の戦争は、白黒の写真で見せられると「昔のこと」としてどこか縁遠く感じられる出来事ですが、色付けされることによって、私たちと同じように日常を生きていた人たちの姿、そしてその人たちが見ていた風景がありありと見え、急に身近に、且つリアリティを持って感じられるような気がします。
東京大学大学院情報学環教授の渡邉英徳先生は、AI等を利用した写真のカラー化や、多くの情報をバーチャルリアリティ上に収集・蓄積するデジタルアーカイブ化の活動を通して、戦災・自然災害など「災いの記憶」を私たちに届けてくれます。
https://twitter.com/hwtnv
UTokyo Online Education 記憶を未来につなぐデジタルアーカイブ Copyright 2021, 渡邉 英徳
今回ご紹介する講義では、渡邉先生の活動の一部を、実際のページを見ながら、詳しく解説しています。比較的短めで、中学生・高校生などを含め、専門的な知識が無くてもどなたでも簡単に理解できる内容なので、とてもおすすめです。
このコラムでは、概要をご紹介いたします。
この講義で紹介されるプロジェクト
講義内では、渡邉先生が主宰する研究・プロジェクトとして、次のようなものが紹介されます。いずれも一般公開されているウェブサイトで、皆さんも簡単にアクセスできるものなので、先生の講義を聴きながら、ご自身でもご覧になってみてください。
『ヒロシマ・アーカイブ』https://hiroshima.mapping.jp/index_jp.html
広島市の地図の上に、赤い玉が浮かんでおり、これは、1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下された爆心地の上空を表しています。地図上に浮かんでいる丸いアイコンは、当該時刻にその場所にいた人々のお写真で、クリックすると証言やエピソードを読むことができます。また、四角い風景写真は、過去に撮影された広島市内の建物や道などの写真で、現在の同じ場所の様子と比較することができます。
『沖縄戦アーカイブ〜戦世からぬ伝言』https://okinawa.mapping.jp
1945年の沖縄の地上戦の様子を、沖縄県の地図上に表したものです。白い矢印が男性、赤い矢印が女性・子ども・老人など非戦闘員とされる人たちの個々の動線を表しており、日数の経過とともに移動する様子を辿ることができます。
『忘れない 震災遺族10年の軌跡』https://iwate10years.archiving.jp
東北地方の地図上に、東日本大震災で亡くなった方の最後の行動の動線が表されています。もう一度改めて申し上げると、残念ながら、矢印は全て、亡くなった方の記録です。つまり、彼らがどういった避難行動を取ったのか、または避難行動を取らなかった(もしくは何らかの事情で取れなかった)といったことが見えてきます。その後、ご遺族の方の10年間の移動、すなわち、仮設住宅への入居や転居の繰り返しなどの軌跡も記録されます。
『東日本大震災アーカイブ』https://shinsai.mapping.jp/index_jp.html
2011年3月11日に、東日本大震災が起きて直後からしばらくの間のTwitter(現X)の投稿を地図上に表示しています。どこにいる人が、その当時、その場所でどんなことを考えたのか、その記憶を短い文章の形で焼き付けたものと言えるでしょう。
どんなことが見えてくる?
これらの記録・記憶の集合からは、どんなことが見えてくるでしょうか。
もちろん、今までも、災いを経験した人の手記を読んだり、ドキュメンタリー番組で証言を聞いたり、写真を見たりと、断片的な情報に触れる機会はたくさんあり、その体験はとても大事なものです。しかし、これらのデジタルアーカイブの新しい点・強みになる点は、今まで見えていなかった全体像や実態など、新たな側面を視覚的に認識できるところです。講義の中では、沖縄戦の当時の状況についても、東日本大震災についても、我々がニュースやドキュメンタリーで見知った情報からなんとなく思い描いてたイメージとは、また違った事実がいくつも示されていました。私たちが平和や防災について考える際、過去の被害の実態を正確に把握することが必要です。
また、膨大なデータの収集は、東京大学の研究チームだけでなく、広島女学院高等学校の学生たちや岩手日報など、地元に根差した人たちの努力、そしてもちろん、それを残したいと願う遺族の方々の思いなどがあってこそ成立しているそうです。
UTokyo Online Education 記憶を未来につなぐデジタルアーカイブ Copyright 2021, 渡邉 英徳
渡邉先生は、ロシアとウクライナの戦争が始まって以降は、ウクライナの戦況を衛星写真からデジタルアーカイブしています。先生は、どのような思いから、このように「災い」の記録の活動を続けていらっしゃるのでしょうか。ぜひ、その思いを、講義動画でお聞きください。
https://www.youtube.com/watch?v=2lna4HGQ3mM
<文/加藤なほ>
今回紹介した講義:記憶を未来につなぐデジタルアーカイブ 渡邉英徳先生
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2024/09/13
みなさんは、人を騙したことはありますか?
突然答えにくい質問をしてしまいすみません。なかなか「あります」とは答えにくいと思います。私も即答されたらびっくりします。
では、質問を変えてみます。
自分の語ったことが、意図とは異なった形で受け取られたことはありますか?
この質問なら、ほとんどの人が「ある」と答えるのではないでしょうか。他者とコミュニケーションを取る上で、すれ違いが発生するのは誰にでもあることだと思います。
私たちは普段、こうした「すれ違い」をできる限り無くそうと努力します。反対に、進んでこの「すれ違い」を起こそうとする人がいれば、それは相手を「騙す」という行為であり、不道徳な行いだと言えるでしょう。
しかし、日常の何気ない会話の中で誤解が生じることと、故意に人を騙すことは、単純に区別して考えることができるのでしょうか。
例えば、「騙すつもりはなかったのに…」と、自分の発言を後悔するとき、その後相手の誤解を解くことに成功すれば、それは「正しい」コミュニケーションへと戻っていくのかもしれませんが、もしそうした機会が訪れなければ、相手はその後もずっと「騙された」と思い続けることでしょう。そのとき、私に騙そうとする意志があったかどうかは関係なく、「騙した」私と「騙された」相手という関係が生まれてしまいます。
「かたる」という言葉には、「語る」だけでなく「騙る」という表記も存在します。「騙る」とは、そのまま「だます」ということを意味します。
もし、「語ること」と「騙ること」を簡単に切り分けることができないのならば、それは「悪」として一方的に断罪してしまってもよいのでしょうか。
今回紹介するのは、人文社会系研究科で中国思想史を専門としている小島毅(こじまつよし)先生が、2011年の駒場祭公開講座にて行った授業です。
「かたる」という行為の両面的な性格を明らかにし、私たちが行っている普段の会話から歴史認識に至るまでの、人々の営みを紐解いていきましょう。
思うことと語ること
人間の、他の動物とは異なる特徴とはなんでしょうか? 
哲学者のデカルトは「我思う、ゆえに我あり」という言葉を残しています。「思う」「考える」という行為を、人間にとって第一次的なものと考えたということです。「理性(ロゴス)」を人間の唯一のものとみなす考え方です。
ただ、私たちはそれと同時に、考えたことを他の誰かに伝えようとします。デカルトも、自身の著作を残すことによって、「我思う、ゆえに我あり」という言葉を伝えました。そうしていなければ、どれだけ偉大な思想を作り上げても誰にも知られることはなかったのです。
つまり、私たちは「考える動物」でありながら、それと同じかそれ以上に、「語る動物」でもあるということです。
別の哲学者ですが、アリストテレスは人間を「社会的(ポリス的)動物」であると考えました。アリストテレスにとっての人間とは、「考える」こと以上に、それを誰かに「語る」ことにおいて、特徴づけられる動物だったということです。
小島先生の専門は中国思想ですが、そもそも古代中国において、「人間」という言葉は文字通り「人」の「間」、つまり社会そのものを意味していました。私たちは他の誰かと関係を持つことによって、「人間」として存在しているということです。私たちの社会や歴史は、単に自分一人で考えるだけでなく、それを他の人々との関係の中で、語り語られることによって作られているのです。
「語り」=「騙り」?
私たちは考えると同時に、それを人に伝えようとします。そのとき、私たちの頭の中にあることを、そのまま相手に届けることはできません。なので、私たちはそれをどうにか言葉にして伝えようとします。
頭の中に漠然とだけあることは、相手に説明しようとする中で、初めてはっきりとした形になって表現されます。自分でもはっきりとは分かっていなかったことを、誰かに伝えたり、文章にしたりすることによって、きちんと整理することができたという経験はあると思います。
このようにして人に「語る」とき、つまり、相手が理解できるように話を作り上げて語るとき、私たちは、それによって自分自身も納得できるようなストーリーを作り上げているのです。
相手に対して見栄を張ったり、自分の正しさを裏付けようとしたり、ということだけでなく、自分にとってもそのように説明した方が理解しやすい、都合がいいという理由で、私は無自覚に、自分と相手を騙しているのではないか。
「語り」という行為の中には、もうひとつの「かたり」、すなわち「騙り」が、必然的に織り込まれてしまっているのではないか、そう小島先生は言うのです。
UTokyo Online Education 語りと騙り 2011 小島毅
「語り」と「騙り」、このふたつのままならない関係について、小島先生の紹介する2つの具体的なエピソードを参考にしながら考えてみましょう。
エピソード1:『日本政記』と天皇の起源の「かたり」
江戸時代末期に、頼山陽(らいさんよう)という歴史家がいました。漢詩や儒学にも親しみ、『日本政記』『日本外史』といった歴史書を編纂しています。
これらの歴史書における頼山陽の語り方には、「騙り」にまつわる問題が含まれています。
まず、日本の天皇制についての『日本政記』の記述からです。
UTokyo Online Education 語りと騙り 2011 小島毅
『日本政記』には、720年に完成した『日本書紀』の記述を参考にして「辛酉、春正月庚辰朔」に、初めての天皇である神武天皇が即位したということが書かれてあります。「辛酉、春正月庚辰朔」とは、計算すれば紀元前660年に当たるので、この記述は、神武天皇が紀元前660年に即位した、ということを示していることになります。
しかし、紀元前660年の段階では、日本ではそもそも中国大陸や朝鮮半島のことすらも知られておらず、したがって文字も暦も伝わっていませんでした。それなのに、どうしてこの年に神武天皇が存在し、即位したと記述できるのでしょうか。また、「春正月朔(旧暦の一月一日)」に王が即位するということ自体、紀元前二世紀に成立した「春秋学」と呼ばれる儒教の教説を踏まえて考えられたものだというのです。
UTokyo Online Education 語りと騙り 2011 小島毅
以上のことから分かるように、こうした日本の起源についての「語り」は、後世の、おそらく日本書紀が作られた当時に生み出された「騙り」です。歴史学においても、神武天皇はおそらく架空の人物なのではないかと言われています。
しかし、この神武天皇の即位、すなわち日本建国についての「騙り」は、例えば「建国記念の日」のような形で、現在も法律によって認定されています。建国記念の日である二月十一日は、「春正月朔」に当たる旧暦の一月一日を、明治時代にグレゴリオ暦に変換し定めたものです。
では、なぜこうした「騙り」が必要とされたのでしょうか?
小島先生の説明によると、こうした「騙り」は、単に「悪い権力者が善良な民衆を欺くための語り」というわけではないのだそうです。日本書紀が作られた奈良時代の民衆にとって、「天皇」という存在はいてもいなくても変わらないような生活に無関係なものであって、こうした「語り」を必要としたのは、国際的な関係の中で、自分たちの国の正統性を認めさせることを欲した、一部の権力者だけでした。
対外的な緊張の中で、自らの国が置かれている立場を確かなものにするために用いられた「語り」が、結果的に日本の起源にまつわる「騙り」として、現在に至るまでに残っている。このことには、単に「かたり」が嘘だから悪いとか、本当のことを言えば正しいなどでは解消することのできない事情があるように思われます。
エピソード2:『日本外史』と徳川将軍家の「かたり」
続いては、『日本外史』に収められている、徳川家光・忠長兄弟をめぐるエピソードを紹介します。
江戸時代前期、二代目の徳川秀忠が将軍だった頃の話です。徳川家光の乳母であった春日局(かすがのつぼね)は、家光を確実に次の将軍にするために、裏で様々な策略を企てていました。
UTokyo Online Education 語りと騙り 2011 小島毅
例えば春日局は、兄弟の祖父である徳川家康に指示をし、家光だけに菓子を与えさせることで暗黙のうちに家光が世継ぎであることを匂わせることに成功しました。小島先生曰く「菓子下賜事件」というもので、これによって家光の後継は不動のものになったと言われています。
また、その後世継ぎと認められた家光が住んでいた西の丸の屋敷で、忠長が勝手に池の鴨を捕獲し調理したことによって、忠長の付き人が罰せられたというエピソードや、父の秀忠が死に瀕しているときにも、忠長が鳥や獣を殺すことを楽しんでいたという逸話が紹介されるなど、『日本外史』における家光・忠長兄弟の描かれ方は、忠長が精神的に錯乱していたということを強調しています。
これらの話のすべてが事実かどうかは定かではありませんが、頼山陽の作り話という訳ではなく、秀忠の治世の頃から話題になっていたことのようです。
しかし、こうした「語り」は、家光が最終的に忠長を改易し、切腹による自害を差し迫ったという事実を、正当化するような構成になっています。家光による「弟殺し」を、「忠長はこのような人物であった」という「語り」を挟み込むことによって、実質的に理由づけするような作用が、この「語り」にはあったのです。
また、頼山陽が、この一連の記述において徳川将軍家をどのように呼んでいたのかということに触れておきましょう。
頼山陽は、秀忠のことを当時呼ばれていた「公方」ではなく「将軍」と、家光のことを「世嗣」ではなく「世子」と、春日局のことを「御台所」ではなく「夫人」と、わざわざ呼んでいました。このことは、歴史上の人物をどう呼ぶかということを重視する春秋学の課題を、頼山陽が踏まえていたからでした。
(春秋学とは、魯国の年代記である『春秋』に記されている孔子の意図を解釈する学問ですが、著述の語彙や表現を徹底的に重んじるのが特徴です)
しかし、そのような「語り」は、その後の歴史において意図せざる影響を与えることになったかもしれないのです。
「将軍」という呼称は、そもそも「征夷大将軍」が由来ですよね。東方の蝦夷の討伐のために、天皇から与えられた役職がその始まりでした。
つまり、徳川家が当時呼ばれていなかった「将軍」という名で記されることは、彼らが天皇の臣下として存在していた、ということを頼山陽の読者に示唆することになりかねないのです。
歴史的な展開としては、徳川家は天皇に将軍の職を任されたわけではなく軍事的に日本を征服し、天皇は口出しできなかったというのが実情でした。しかし、「将軍」という語り方を採用することによって、それを内面化した読者が「大政委任論」を無自覚に受け入れてしまうことに寄与したのではないか、と小島先生は考えます。
大政委任論は、あくまでも天皇が将軍家に政治を任せているだけであり、天皇の裁量次第ではそれを取り上げることも可能であるということを、理論という形で説明してしまいます。
このように、頼山陽による意図しない「語り=騙り」が、尊王運動の活性化から、明治維新へと連なる歴史を作っていくことに繋がっていったのではないか、と小島先生は言うのです。
UTokyo Online Education 語りと騙り 2011 小島毅
「騙り」は悪か?
では、意図しない結果を生み出してしまう「かたり」は悪いことであり、私たちはそれを可能な限り無くしていくべきなのでしょうか? おそらく、それは逆だと思われます。
「語り」に「騙り」が含まれてしまうことが避けられないのなら、私たちはそのことを自覚した上で「語る」ことが必要とされるのではないでしょうか。
例えばこの文章も、私が「このように受け取ってほしい」とどれだけ意図したとしても、それが「正しく」伝わるとは限りません。時代や場所など、受け取る文脈次第で、いくらでも「騙り」は生まれてしまいます。
しかし、私たちは「かたる」ことを通して、社会のなかで関係を結び、歴史を紡いでいくのです。
そうであるなら、私の「語り」は「騙り」でもあるかもしれないし、「正直」を意図していても「嘘」になってしまうかもしれないという現実を認識しながら、それでも語っていく、という姿勢が重要なのではないでしょうか。
https://youtu.be/Wmzn8Zli3vs?si=7pEj2Yx7DVaoo5lD
駒場祭公開講座
今回紹介させていただいた講義は、2011年の駒場祭にて開催された公開講座「だます」にて実施されたものです。
東大TVでは過去の公開講座の模様を公開しておりますので、興味のある講義があればぜひご覧ください。
東京大学公開講座:東大TV Youtube再生リスト 
<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:語りと騙り 小島毅先生
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2024/08/28
多様化の進む現代社会において、あらゆる人を包容する共生社会の創出は必要不可欠です。例えば日本の教育の場では、そのようなインクルーシブ(=包容的)な社会の実現にむけた教育の推進として、障害を持つ子どもたちに対する特別支援教育に力が入れられています。
ところが、子どもたちの抱えるそうした障害は、まさにその学校自身が生み出しているのではないか、という言説があります。これは一体、どういうことでしょうか?
今回は、教育学者である小国 喜弘(こくに よしひろ)先生の講義「子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望」をご紹介します。
インクルーシブ教育とは?
文部科学省によれば、インクルーシブ教育システムとは「人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」とされています。
日本におけるインクルーシブ教育の背景にあるのは、2006年に国連総会で採択された障害者権利条約です。この24条は教育に関する条文ですが、この中には「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと」を確保することが定められています。
障害者権利条約の考え方の根底にあるのは、障害の「社会モデル」という考え方です。
これは、障害は社会における多数派(マジョリティ)の特性と異なるために不利益を被っているものであるとみなす考え方です。つまり、障害は社会構造によって作り出されるものであり、障害を克服するためには、社会側の制度や文化、慣習を変えていくことが重要となります。
これは、従来支配的であった、障害という欠損・不足を個人のトレーニングや医療サービスによって補完するべきだ、とする医学モデルとは全く異なる考え方です。
なぜ、社会モデルが採用されるのでしょうか?
私たちが暮らす地域社会には、様々な人々が存在しています。こうした社会の中ですべての人が共に生活していくためには、その障壁となっているものを取り除き、地域社会へ包摂していくことが必要です。こうした社会モデルの価値観に基づき、障害者権利条約においては、平等の実現、差別の禁止、合理的配慮をすること、さらには意思決定への当事者の関与などの重要な考え方が含まれています。
日本における特別支援教育の現状
日本においては、インクルーシブ教育の理念のもと、特別支援教育が特に推進されてきました。その現状はどうなっているのか、見てみましょう。
UTokyo Online Education 子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望 Copyright 2021, 小国 喜弘
こちらは特別支援学校の生徒数に関する統計ですが、ここ10年で約11万人から14万人に在籍人数が増えています。
一方、特別支援学級の生徒数について見てみると、
UTokyo Online Education 子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望 Copyright 2021, 小国 喜弘
10年で約12万から26万人、大体2倍に増えています。
この増え方を、一体どう解釈すればいいでしょうか。
これはある意味、これまで教育を受けられなかった子どもたちが、特別支援教育を通して教育へアクセスできるようになった結果の表れだ、と前向きに捉えることができるかもしれません。
しかし、それは裏を返せば、学校教育の中心となっているシステムから周縁化されたり、排除されたりする子どもたちが増えている、とも言えないでしょうか。
また、ここ10年では不登校になる子どもや、いじめや暴力行為の対象となる子どもも増えています。さらに、子どもの自殺者の数は、2020年に過去最多となっています。
コロナウイルス感染症の流行下、あらゆる学校が休校となり、子どもたちは自宅待機を余儀なくされました。この時期には、「家庭における児童虐待が増え、亡くなる子どもたちが増えてしまうのではないか」ということが懸念されていました。
しかし、いざ蓋を開けてみると、自殺する子どもが増えたのは、何と休校期間が明けた時期だったのです。
これまで私たちは、「子どもたちは学校に来れば安全が確保される。家庭で過ごす時間など、学校にいない時間に子供たちの危機がある」と思っていたのに、
学校は、子どもにとって家庭よりもはるかに危険な場!?
となってしまっている可能性が出てきたのです。
UTokyo Online Education 子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望 Copyright 2021, 小国 喜弘
子どもたちの自殺の要因を見ても、学校絡みの要因が多く見られます。一体、学校現場に何が起こっているのでしょうか?
小国先生は、ここでは2つの背景を挙げています。
1つの背景は、子どもへの規制管理の強化が行われたことです。2000年代前半に、少年犯罪や学級崩壊が増えたという背景から、学校において「必要な規律を重んずる」ことが求められるようになりました。
UTokyo Online Education 子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望 Copyright 2021, 小国 喜弘
これは、授業前に関する規則です。ダメ出しによってルールを遵守させるという、まさに監獄のような状態が、普通の学校空間に存在しているという恐ろしさ……。
学校には、虐待を受けていたり、プレッシャーのかかる家庭環境で生きる希望を失っていたりする子どもたちも来ています。こうした子どもたちを迎える場所として、このような状況は適切なのでしょうか?
こうした息苦しい環境が、もしかすると、子どもたちの抱える困難を生み出す要因になっているのかもしれません。
もう1つの背景は、全国学力・学習状況調査の存在です。
県ごとに子どもたちの学力の順位が出る中、現場の教師たちは「子どもたちの成績を上げなくてはならない」という、政治や行政からのプレッシャーに日々さらされています。
一方、子どもの学力は親の経済力に強い関連があるということ、地域性の問題が非常に大きいことは、教育社会学の中ではよく知られています。ですが、この事実を学校現場で大っぴらには言うことはできません。そのような板挟みの状態の中で、教師たちはとにかく「テストの点数」で物事を判断するようになり、子どもたちを連日テスト漬けにしたり、テストの点数が低い子に対し「特別支援学級の方が合っているのでは」と、単純に善意から考えたりするようになってしまうのではないでしょうか。
インクルーシブ教育の展望
このような現状の中で、インクルーシブ教育を推し進めていくことは果たして可能なのでしょうか?
そのヒントとして、特別学級から普通学級に移った子どもと、ともに学ぶことになった生徒たち、彼らの教師の実践の事例が紹介されています(残念ながら一部映像が削除されています)。初めは全員が戸惑いを覚えつつも、いろいろなことを障害の有無で決めつけず、みんなで話し合って考える。こうしたクラスにおいては助け合いの精神が当たり前となり、分からないことを聞き合うことのできる環境が作られた結果、意図せずして学力テストの平均点もトップになったという事例です。
インクルーシブ教育の実践には、学校制度の大改革も、多額の予算も必要ありません。様々な長所や短所、特性を持つ子どもたちが同じ「一人の人間」として尊重しあい、ともに生きていくための環境調整をしていくことが、学級や学校という場をインクルーシブな場として構成し、ひいては、地域社会のインクルージョンを促進していくのです。
現在の日本のインクルーシブ教育は、「障害のある子どもたち」に焦点化されています。ですが、本来インクルーシブな社会には、性差、民族差、貧困、能力差など、あらゆる差異が包容されなければなりません。
真の共生社会を創っていくためのインクルーシブ教育の未来はどのようなものでしょうか。そして、共生社会の実現に向けて、私たち一人ひとりにできることは何でしょうか。この講義を見ながら、一緒に考えてみませんか。
https://youtu.be/Rnvvb-kUHik?si=ohFaDuGQWXYcs-0_
<文/R.H.(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望 小国喜弘 先生
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2024/08/08
最近、スマート○○という言葉をよく耳にしますよね。
よく聞くものだと、スマートウォッチ、スマートスピーカー、スマート家電、スマートシティなど。いずれもICT(情報通信技術)などを活用し、これまでの概念を多機能化、アップデートしたものを指すことが多いです。
今回紹介するのは、その一つ、「スマート農業」をテーマにした講義。
講師は農水省、筑波大学、農研機構、東京大学と様々な機関で農業に携わってきた平藤雅之先生です。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
私たちの食生活の基盤となっている農業ですが、スマート農業とはどのようなものなのでしょうか?
スマート農業は、スマート情報技術により、自律的に知的に制御される農業だと講義冒頭で紹介されます。
とはいえそれだけではよくわからないという方も多いと思いますので、早速、平藤先生が取り組んできたスマート農業に関する事業を講義に沿って紹介していきます!
スマート農業と時系列データ
いきなりですが、急進化しているICTとデジタル情報を活用するスマート農業では、データが非常に重要になります。そのため、講義ではデータを集めるための取り組みがたくさん紹介されます。
農業では、これまでデータがあまり有効活用されてなかったこともありました。データが取られなかったり、取られたとしてもそれが何を意味するのか分からなかったり。
データの中でも、作物や畑について知るために重要なのが時系列データです。データを一つ取ってくるだけではわからないことが、時系列変化を追っていくことで何かわかることがあります。
しかし、この時系列データをいきなり実際の畑などで取るのは容易ではありません。気温や、湿度や、様々な環境が常に変化し、その関係性がわかりにくいからです。
そこで、まずは環境を制御した状態で時系列データを取ることになりました。
多様な環境を人工的に作り出す閉鎖生態系で、光合成速度や生長速度などを測定します。そうすると、光合成速度が一定でないことなど様々なことがわかりました。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
宇宙に農場を作り出す?
閉鎖生態系は、基本的に植物個体のデータを取るための設備でしたが、実際の畑や土壌での生態系は、複数の植物や生物によって構成されます。そこで次に、植物を取り巻く土壌微生物などを含めた群での分析に取り組みます。
ここでは、JAXAの予算を用いて行われた、宇宙農場という研究が紹介されています。簡単に言えば、宇宙で農業を行えるような環境を作り出そうという試みです。
宇宙では水の扱いが難しいため、水耕栽培ではなく、土壌微生物を用いた栽培が採用されました。とはいえ、土も人が歩くと舞い上がるなど問題があるため、土壌層の中に多孔質パイプを入れて吸引し、土が舞い上がるのを防ぎます。土自体をフィルターにして空気中のほこりやウイルスも取り込んで分解し、空気中に出た水蒸気は出口で水に戻して再び利用されるという仕組みは、ミニ地球と表現されています。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
これを小型化し、パラボリックフライトという微小重力を再現できる環境で実証を行いました。
飛行機の揺れで土が浮いても、吸引により抑えられることがわかり(講義では14:15ごろから動画が流れます)、宇宙での実用化の道が見えました。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
しかし、予算の問題などにより、国際宇宙ステーションで実現するという夢には届かなかったそうです。
とはいえ、この研究で分かったこともあります。
例えば、複数の植物が競争しながら育っていく様子を観察できたこと。植物がじっとしているかと思いきや陣取り合戦をしながら育っていく様子は、講義映像で動画を見ることもできます。
生態系の時系列データにより、物理的な相互作用を見て様々なことがわかるのですね。
また、宇宙農場のシステムは宇宙に限らず、マンションやオフィスといった閉鎖空間で食料と酸素を作り出すシステムにも応用できるそうです。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
野外のフィールドでの取り組み
ここまで、主に室内レベルでの取り組みを紹介してきましたが、農業といえば多くの方が野外を想像するでしょう。ということで、ここからは野外での、実際の農業と組み合わせた取り組みを紹介します。
その前に、スマート農業を野外の現場で行ううえで大きな課題となるのが、農業は保守化しやすいという点です。
環境や災害、消費量など様々な要因に左右される農業は非常に難しく、それゆえに経験がものをいう世界で、新しいことをして失敗することが避けられがちだそうです。
しかし、スマート農業を実際に畑で行うには、様々な技術を導入していく必要があり、ファーストペンギンになる、つまり先陣を切って取り組むことが重要になります。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
そんな中、少し特異で、平藤先生の取り組みの舞台にもなったのが北海道の十勝です。十勝平野は日照時間が長く耕作面積が広大であるだけでなく、その文化にも特徴があります。
それが、一番乗りが尊敬される、そして先祖伝来という呪縛がないという風土です。これは本州に比べ開拓されたのが最近でそこまで長い歴史がなく、そして開拓精神がまだ残っているからこそだと平藤先生は赴任してから分かったそうです。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
このような風土は農業に限らずこの地域の特徴です。
十勝開拓の父とも言われる依田勉三(よだ べんぞう)という人物をご存知ですか?開拓のため北海道に渡り、設立した晩成社という会社で農業や酪農などの事業を行った人物です。晩成社は最終的に失敗に終わってしまいますが、彼をはじめ、開拓に挑戦した人々はこの地域でリスペクトされています。ちなみに、皆さんご存知、北海道銘菓のマルセイバターサンドは晩成社のマルセイバターという商品が由来で、特徴的な包装デザインも、そのバターの箱の模様を元にしているそうです。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
話が逸れましたが、このように先へ先へ進む風土は研究者にとっては非常にありがたいことだと平藤先生は言います。
このような風土があるからこそ、平藤先生の他にも、スマート農業に関する新たな製品やサービスを開発、利用する人がたくさん集まっているそうです。
そして、先ほど紹介したように、スマート農業にはデータが欠かせないということで、平藤先生を中心にデータ収集をはじめ様々な取り組みが行われます。
大量のデータを自動収集するための小型データセンターとなるフィールドサーバを設置し、作物の生産のためでなくデータを生産・収穫するための「データファーム」が作られました。また、大量のデータ収集には大量の電気が必要となるため、キューブ型の発電システムも開発されました。
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
UTokyo Online Education スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― Copyright 2021, 平藤 雅之
ここでは全ての取り組みを取り上げられませんが、他にも面白い取り組みが紹介されているので、ぜひ続きは講義をご覧ください!
スマート農業の未来
講義の最後には、農業の未来についても触れられます。量子コンピュータや汎用型AIといった技術の進化や、核融合によるエネルギー技術などが、次の農業に繋がっていくだろうと平藤先生は言います。
また、記事では割愛しましたが、講義では、バイオスフィアという人工環境の話や、エベレストで広域モニタリングのプロジェクトにチャレンジした話など、様々な取り組みが紹介されています(しかも40分足らずの時間で)。
私たちにとって非常に重要な農業、そしてこれからも進化し続けるであろうスマート農業について、きっと興味を持つきっかけになる講義です。ぜひ動画もご覧ください。
https://youtu.be/RXcIiGwiC8k?si=Qh19msnUWO0IGQzO
また、この講義は「第4回農学部オンライン公開セミナー『スマート農業:ICT 技術を活用した新しい農業の形』」というセミナーの一つです。このセミナーでは他にも「農業ロボットの作り方」といった面白い講義がありますので、ぜひそちらも併せてご覧ください!https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/course_12050/
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:スマート農業とは何か? ―過去、現在、未来― 平藤雅之先生
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2024/07/22
暑い日が続いています。こんな時期に食べたくなるのがうなぎ。今年の土用丑の日(一の丑)は7月24日だそうで、もうすぐです。日本で伝統的に愛されてきたうなぎですが、絶滅の危機にあり値段も高いため、気安く食べることは難しいですよね。とはいえ先日、水産庁の報告会が開かれ、ウナギの完全養殖(人工シラスウナギを親魚まで育て、その親魚から得た卵をふ化させる養殖)のコストが大きく下がっているという発表がありました。もしかすると完全養殖のウナギが我々の身近になる日が近いのかもしれません。ということで今回は、ウナギがなぜ貴重になっているのか、そしてどのような取り組みがなされているのか、などウナギのあれこれを知ることができるシンポジウム「うな丼の未来Ⅱ」を紹介します。先ほど紹介した完全養殖についての話もありますので、ぜひ最後までご覧ください!※このシンポジウムは2014年に行われたものです。現在とは状況が一部異なることもあるかと思いますので、ご留意ください。
基調講演:ニホンウナギを守る
初めに紹介するのは九州大学の望岡先生による基調講演です。この講演ではウナギ資源の減少とその要因、そして中期的要因に対する取り組みが紹介されます。まず、ニホンウナギの減少要因を大きく「短期的要因」「中期的要因」「長期的要因」に分けて考えます。短期的要因としては、海洋環境の変動や産卵時期のずれにより仔魚の死亡率が増加したり、産卵地点の南下や海流の分岐位置の北上により東アジアにやってくるシラスウナギの数が減少したりといった理由が考えられます。中期的要因には、過度な漁獲や生息場所の減少などがあり、さらに長期的な要因としては、長期的な地球・海洋環境の変動に対する生活特性や分布域の適応的変化などが挙げられます。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」 2014 望岡 典隆
では、その中でも中期的要因に対する取り組みにはどのようなものがあるのでしょうか。講演では「河川・沿岸のウナギ保護」「河川・沿岸環境の保全・再生」「放流技術の改良」の3つに分けて取り組みが紹介されますが、ここでは「河川・沿岸環境の保全・再生」について簡単に紹介します。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」 2014 望岡 典隆
親ウナギの回遊履歴を分析すると、7割のウナギが淡水域で生息していた履歴を持っていることがわかりました。そのため、汽水域を中心に川(淡水域)全体を保全することが重要であるといえます。また、様々な研究から、成長期のニホンウナギの生活型についても詳しくわかるようになりました。稚魚であるシラスウナギが一度淡水域に入ってから、5年から10年ほどたって海に戻り産卵を行ったり、淡水域と汽水域を往復したりするなど複数の生活型があることが分かっています。ここで現在の河川の状況と照らし合わせてみると、下の画像の青で示された部分のように、護岸により住処が減少したり、河川を横断するような人工物や、河川の支流に田んぼに水を引く堰が設置されたりしており、ニホンウナギの生息や生息域拡大の障害となっています。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」 2014 望岡 典隆
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」 2014 望岡 典隆
そこで、西日本を中心に伝統的な漁法である石倉漁にヒントを得て、土木工法の蛇篭と組み合わせることで、ウナギと餌生物の生息場所を作る取り組みが行われます。ウナギのための石倉は汽水域に設置するため、錆びない素材で作ったり、鳥に食べられないよう穴のサイズを調整したりといった工夫が行われました。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」 2014 望岡 典隆
石倉は2013年に鹿児島県南部を流れる川に設置され、モニタリングが行われました。設置から約1年が経った、講演直前のモニタリングでは、石倉から40個体のウナギとエビやカニなどの生物が確認されました。つまり石倉がこれらの生物の住処になったんですね~
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」 2014 望岡 典隆
それまで難しかった汽水域のモニタリングですが、石倉を全国各地に設置し、モニタリングを行うことで、川の健康度を測る物差しにもなると望岡先生はおっしゃっています。(その後、実際日本各地に石倉が設置されたようです、ぜひ調べてみてください!)
人工種苗量産への取り組み
続いて紹介するのは、人工的にウナギを量産する取り組みです。まずは人工種苗量産の歴史を見てみましょう。1996年にサメ卵飼料が考案されたことが、人工種苗量産に向けた大きな足掛かりになったそうです。その後サメ卵飼料が改良されてレプトセファルスまで飼育できるようになり、さらにシラスウナギまで飼育できるようになりました。そして2010年、完全養殖に成功します。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 田中 秀樹
とはいえ、完全養殖ができても、我々のもとに届くようになる大量生産とは全くの別物だそうで、量産には様々な課題があり、その後も研究が進められます。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 田中 秀樹
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 田中 秀樹
詳しくは講演で紹介されているのでぜひ実際に見ていただきたいと思いますが、生物以外の分野の力も取り入れているのが一つの特徴だと言えるでしょう。電子工学的な技術でウナギの成熟誘導ホルモンを利用して成長させたり、大量生産システムの実証事業で「工学等異分野の技術導入による種苗量産の問題点の解決」が挙げられていたりと工学とも強い関りがあるといえます。そしてこれらの努力が結実し、冒頭で触れたように量産コストの低減に繋がったのですね。ここ10年の間にも様々な人が努力してきたのだということがよく分かり、尊敬の念に堪えません。さて、講演の最後には「人工種苗の量産化はいつ頃できるのか」という疑問が挙げられます。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 田中 秀樹
2024年現在も量産化・商品化には至っていませんが、講演当時からコストが大きく下がり実用化に近づいています。完全養殖ウナギが我々の生活の一部になる日が来るかもしれないと思うと、今後の研究にも目が離せませんね。
うなぎを食べながら守るということ
さて、次はうなぎを販売する業界からのお話として、パルシステムの取り組みを紹介します。パルシステムは生協の事業連合の一つで、1都9県食品をはじめ様々な生活用品の宅配を行っています。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
消費者と生産者両方に寄り添うパルシステムは、土用丑の日の時期にキャンペーンを行い、単に値段を下げるだけではなく、取り扱ううなぎの良さや違いを伝えているそうです。そんなパルシステムが扱っているのが、大隅地区養まん漁業協同組合のうなぎです。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
パルシステムが大隅産うなぎを扱う理由の一つが、組合員の意見を反映することができる点にあります。例えば、うなぎは匂いが気になることが多く、組合員からうなぎの匂いに対し様々な意見が寄せられました。それを受け、4回の匂い検査を実施するようになります。また、パックのロット番号から生産者・養殖池がわかり、生産履歴を追うことができます。このように、組合員が安心して食べられるよう、大隅産のうなぎが販売されているのです。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
しかし、2013年にうなぎが絶滅危惧種に指定されると、組合員からはうなぎを食べていいのかという不安の声が寄せられます。そこでパルシステムは水産庁や大学の研究者を招いて学習会を行い、資源回復に向け様々な取り組みを行います。大隅地区養まん漁業協同組合と協力して資源回復協議会を設立し、支援金を集めたり、産地研修や試食学習会により、組合員や配送員に対してうなぎを取り巻く環境を伝える取り組みを行ってきたりしました。中でも、7月のキャンペーンの売り上げの一部やパルシステムのポイントを利用したカンパによって集めた支援金は、初年度の2013年に717万円にも上りました。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
小売り・流通業界としては、商品管理を徹底できる、あるいはそこに前向きに取り組める産地と提携し、販売量をコントロールしたり、適正価格で販売することで薄利多売を避けたりすることが重要なんだそうです。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 高野 智沙登
講演ではパルシステムの取り組みや大隅地区養まん漁業協同組合との深い関係性についてより詳しく紹介されているので、ぜひご覧ください。東日本大震災にもその関係性が活かされた話は、個人的に興味深かったです。
ウナギの資源管理について
最後に、行政の取り組みとして水産庁による資源管理について簡単に紹介します。同じく貴重な水産資源であるマグロは、国連海洋法上、関係国が共同で管理することが義務付けられているのに対し、ウナギは生息国が管理責任を負っています。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 太田 愼吾
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 太田 愼吾
国内における資源管理としては、まずは稚魚であるシラスウナギの採捕の管理が重要です。採捕期間の短縮や採捕数の上限の設定が行われたり、採捕量や出荷数量の報告が義務付けられたりして、シラスウナギの管理が行われています。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 太田 愼吾
また、養殖業の管理では、内水面漁業振興法に基づく指定養殖業許可制度の導入などが行われました。これは簡単に言えば、それまで私有地で行われる養鰻事業に対しては制限をするのが難しかったのを、指定養殖業とすることで、私有地で行う場合も許可がいるようにし、管理しやすくしたということです。
UTokyo Online Education シンポジウム「うな丼の未来II」2014 太田 愼吾
また、国際的な資源管理も重要となります。こちらについてはぜひ、講演を実際に聞いてみてください。
おわりに
さて、今回は研究者、小売り・流通、行政など様々な立場による、ウナギを守るための取り組みが説明された講演をご紹介しました。大学の先生だけでなく、こうした様々な視点での講演を聞くことができるのも、東大TVの良いところですね。また、冒頭でも紹介したように、このシンポジウムは2014年に行われたもので、そこから10年たった現在では、完全養殖のコストが大きく削減されるなど、変わっていることもあります。ぜひ講演で紹介されている取り組みがその後どうなったのか、ご自身で調べてみてはいかがでしょうか。こうした変化を学ぶきっかけになるのも東大TVの良いところです。このシンポジウムでは今回紹介した4つの講演以外にも、様々な立場の方からのお話を聞くことができます。ぜひ、日本のウナギについて学び、考える機会にしてみてください。
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:シンポジウム「うな丼の未来II」
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