
2025/07/16
「ロボット」と聞いたら、みなさんは何を思い浮かべますか?人間のように動いたり会話ができたりするもの、猫や犬のような形をしたもの、掃除をしてくれるもの、工場などでものづくりをしているもの。21世紀を生きる私たちの身の回りには、すでに様々なロボットが存在しています。
ではロボットがまだ存在していなかった時代の人々は、「ロボット」と聞いて何を思い浮かべたでしょうか?
この講座は、「ロボット」をテーマに22名の豪華な講師陣が行う、東京大学公開講座の第2回目です。講師の沼野充義先生は、東京大学大学院人文社会系研究科の教授(2006年当時・現在は東京大学名誉教授)です。沼野先生は22名の中では唯一の純粋な人文系の研究者であり、「科学技術のことが何もわからない」という立場から、文学においてロボットとはどういうものかを考えていきます。
「一見すると非科学的な、科学とは関係なさそうなものを、人間の想像力は思い描くことができる。それがあってこそ科学は発展してきたのではないか」
沼野充義先生は、このように言います。
「ロボット」の語源
まずは、「ロボット」という言葉の語源を確認してみましょう。「ロボット」は、1920年にチェコの作家カレル・チャペックが作った造語です。『R.U.R.』という戯曲の中に登場した言葉ですが、いまや世界中で使われていますね。もっとも、「ロボット」という言葉を最初に思いついたのは、カレル・チャペックではなくカレル・チャペックの兄、ヨゼル・チャペックだと言われています。ヨゼル・チャペックは次のような絵も描きました。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
では、「ロボット」はチェコ語で何を意味するのでしょうか?チェコ語には「農民が課せられる労働」を意味する「ロボッタ」という言葉があり、「ロボット」はそこから来ています。チェコ語の「ロボッタ」はロシア語になると「ラボッタ」、ドイツ語になると「アルバイト」です。つまり、「ロボット」は「仕事をするもの」という意味合いだったのです。
カレル・チャペックの『R.U.R.』は、ロボットを大量生産しているロッサムという人の会社の話です。ここでは、「ロボット」は労働のために役立たないものはすべて切り捨てて作られています。
「機械的には私たち人間よりも完全で素晴らしい理知的な頭脳を備えているけれども、魂は持っていない」と作中に書かれていますが、このように「人間の形をしたロボット」は、人間の想像力を掻き立ててきました。
人間をかたどったロボット
『R.U.R.』の舞台は、人間の代わりに働いてくれるロボットが商品化され、大量生産された近未来社会。ロボットが働いてくれるため、働かなくてよくなった人間は無為徒食の存在になっていきます。だんだんと退化して生殖能力すら失い、このままでは人間が滅びそうだという状況に追い込まれます。そうこうしているうちに、ロボットが働かない人間に反感を持つようになり、ロボットが人間に対して反乱を起こします。これは、以後SFで繰り返し使われるようになった原型です。その後、男女のロボットの間で愛のようなものが芽生えて、ひょっとしたら新しい人類を生み出すのではないか、という予感めいたものでこの戯曲は終わります。『R.U.R.』は、人間に限りなく似た、しかし人間ではないものを前にしたとき、「人間とはいったい何なのか」と問いかけてくる作品です。
もう一つ、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』という作品をご紹介します。新しい種類の山椒魚が発見されて、その山椒魚は人間のためによく働くということで、大量生産されます。ですが、『R.U.R.』と同様、そのうち山椒魚は人間に対して戦争を起こします。山椒魚は水に強いため、洪水を巻き起こして人間を攻めていきます。そのまま山椒魚が人間を滅ぼして世界を支配するか、と思いきや、今度は山椒魚どうしのなかで分裂して山椒魚どうしで戦争を始めるというストーリーです。まるで人間が世界のどこかでやっている愚かなことを描いているようです。
チャペックは、ソ連のような社会主義や、ナチスのような全体主義、さらには近代社会において行われるようになった大量生産が、いずれも危険であることを予知していました。「非常にすぐれた中央ヨーロッパの知性」だと沼野先生は評します。
ただし、これらのチャペックの作品は、突然現れたわけではありません。チャペックの作品に至るまでには、どのような文脈が存在していたのでしょうか。講義では、ゴーレムやフランケンシュタインの話も取り上げています。詳しくは講義をご覧ください。
また、人形が人間になる作品として、「ピノキオ」が挙げられます。「ピノキオ」は木で作られた人形が人間になりたがる話で、19世紀末にイタリアで童話として描かれました。この背景には、デカルトに代表されるように、人間を一種の機械として見る哲学的な考え方もあります。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
しかしデカルトは、体を機械とみなし、体と心は別物だと捉えたものの、体と心の関係がどうなっているかは解き明かすことができませんでした。この問題は現在も尾を引いており、知能がはるかに人間を超えるコンピュータが出てきたとして、心は生じるのか?という問題は解決していません。
このような展開を受けて、アイザック・アシモフは「アイ、ロボット」を書きます。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
アシモフは、「ロボット工学の三原則」を打ち立てています。それは以下のようなものです。
①ロボットは人間に危害を加えてはならない②ロボットは人間に与えられた命令に従わなければならない③ロボットは①②に反さない限り自分を守らなければならない
「すなわち、安全・役に立つ・長持ちするということです。これはロボットに限らず、何かの特徴だと思いませんか?」と沼野先生は言います。そう、これらの特徴は家電製品にも適用できるのです。アシモフの時代まで来ると、ロボットは人間を滅ぼす怖い存在ではなく、「科学技術が発展した社会で技術がこういうものであってほしい」「有用な道具として使われるべきもの」とみなされるようになったのです。
結論-人間はなぜロボットが好きなのか?-
「ロボット」がまだ存在しなかった時代にあって、カレル・チャペックやアイザック・アシモフを中心に、ロボットは様々に描かれてきました。
では、人間はロボットがなぜこんなにも好きなのでしょうか?
「その源泉は、聖書の創世記」だと沼野先生は言います。
「人間が人間のようなものをつくるのは、自分が何であるか、人間とは何か、を知る果てしない旅です。これからも続いていく長い試みです」という沼野先生の言葉通り、近年ではロボットはどんどん発展し、人々にとって身近なものになってきています。この講義は2006年のものですが、現在の科学技術を支えている「人間の想像力」に改めて光を当ててくれる講義です。みなさんもぜひ、身近な科学技術を思い浮かべながら、想像を膨らませてみてください!
<文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「ロボット新世紀」 ロボットとSF:文学的想像力は科学に先行する 沼野充義先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
ではロボットがまだ存在していなかった時代の人々は、「ロボット」と聞いて何を思い浮かべたでしょうか?
この講座は、「ロボット」をテーマに22名の豪華な講師陣が行う、東京大学公開講座の第2回目です。講師の沼野充義先生は、東京大学大学院人文社会系研究科の教授(2006年当時・現在は東京大学名誉教授)です。沼野先生は22名の中では唯一の純粋な人文系の研究者であり、「科学技術のことが何もわからない」という立場から、文学においてロボットとはどういうものかを考えていきます。
「一見すると非科学的な、科学とは関係なさそうなものを、人間の想像力は思い描くことができる。それがあってこそ科学は発展してきたのではないか」
沼野充義先生は、このように言います。
「ロボット」の語源
まずは、「ロボット」という言葉の語源を確認してみましょう。「ロボット」は、1920年にチェコの作家カレル・チャペックが作った造語です。『R.U.R.』という戯曲の中に登場した言葉ですが、いまや世界中で使われていますね。もっとも、「ロボット」という言葉を最初に思いついたのは、カレル・チャペックではなくカレル・チャペックの兄、ヨゼル・チャペックだと言われています。ヨゼル・チャペックは次のような絵も描きました。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
では、「ロボット」はチェコ語で何を意味するのでしょうか?チェコ語には「農民が課せられる労働」を意味する「ロボッタ」という言葉があり、「ロボット」はそこから来ています。チェコ語の「ロボッタ」はロシア語になると「ラボッタ」、ドイツ語になると「アルバイト」です。つまり、「ロボット」は「仕事をするもの」という意味合いだったのです。
カレル・チャペックの『R.U.R.』は、ロボットを大量生産しているロッサムという人の会社の話です。ここでは、「ロボット」は労働のために役立たないものはすべて切り捨てて作られています。
「機械的には私たち人間よりも完全で素晴らしい理知的な頭脳を備えているけれども、魂は持っていない」と作中に書かれていますが、このように「人間の形をしたロボット」は、人間の想像力を掻き立ててきました。
人間をかたどったロボット
『R.U.R.』の舞台は、人間の代わりに働いてくれるロボットが商品化され、大量生産された近未来社会。ロボットが働いてくれるため、働かなくてよくなった人間は無為徒食の存在になっていきます。だんだんと退化して生殖能力すら失い、このままでは人間が滅びそうだという状況に追い込まれます。そうこうしているうちに、ロボットが働かない人間に反感を持つようになり、ロボットが人間に対して反乱を起こします。これは、以後SFで繰り返し使われるようになった原型です。その後、男女のロボットの間で愛のようなものが芽生えて、ひょっとしたら新しい人類を生み出すのではないか、という予感めいたものでこの戯曲は終わります。『R.U.R.』は、人間に限りなく似た、しかし人間ではないものを前にしたとき、「人間とはいったい何なのか」と問いかけてくる作品です。
もう一つ、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』という作品をご紹介します。新しい種類の山椒魚が発見されて、その山椒魚は人間のためによく働くということで、大量生産されます。ですが、『R.U.R.』と同様、そのうち山椒魚は人間に対して戦争を起こします。山椒魚は水に強いため、洪水を巻き起こして人間を攻めていきます。そのまま山椒魚が人間を滅ぼして世界を支配するか、と思いきや、今度は山椒魚どうしのなかで分裂して山椒魚どうしで戦争を始めるというストーリーです。まるで人間が世界のどこかでやっている愚かなことを描いているようです。
チャペックは、ソ連のような社会主義や、ナチスのような全体主義、さらには近代社会において行われるようになった大量生産が、いずれも危険であることを予知していました。「非常にすぐれた中央ヨーロッパの知性」だと沼野先生は評します。
ただし、これらのチャペックの作品は、突然現れたわけではありません。チャペックの作品に至るまでには、どのような文脈が存在していたのでしょうか。講義では、ゴーレムやフランケンシュタインの話も取り上げています。詳しくは講義をご覧ください。
また、人形が人間になる作品として、「ピノキオ」が挙げられます。「ピノキオ」は木で作られた人形が人間になりたがる話で、19世紀末にイタリアで童話として描かれました。この背景には、デカルトに代表されるように、人間を一種の機械として見る哲学的な考え方もあります。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
しかしデカルトは、体を機械とみなし、体と心は別物だと捉えたものの、体と心の関係がどうなっているかは解き明かすことができませんでした。この問題は現在も尾を引いており、知能がはるかに人間を超えるコンピュータが出てきたとして、心は生じるのか?という問題は解決していません。
このような展開を受けて、アイザック・アシモフは「アイ、ロボット」を書きます。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「ロボット新世紀」 2006 沼野充義
アシモフは、「ロボット工学の三原則」を打ち立てています。それは以下のようなものです。
①ロボットは人間に危害を加えてはならない②ロボットは人間に与えられた命令に従わなければならない③ロボットは①②に反さない限り自分を守らなければならない
「すなわち、安全・役に立つ・長持ちするということです。これはロボットに限らず、何かの特徴だと思いませんか?」と沼野先生は言います。そう、これらの特徴は家電製品にも適用できるのです。アシモフの時代まで来ると、ロボットは人間を滅ぼす怖い存在ではなく、「科学技術が発展した社会で技術がこういうものであってほしい」「有用な道具として使われるべきもの」とみなされるようになったのです。
結論-人間はなぜロボットが好きなのか?-
「ロボット」がまだ存在しなかった時代にあって、カレル・チャペックやアイザック・アシモフを中心に、ロボットは様々に描かれてきました。
では、人間はロボットがなぜこんなにも好きなのでしょうか?
「その源泉は、聖書の創世記」だと沼野先生は言います。
「人間が人間のようなものをつくるのは、自分が何であるか、人間とは何か、を知る果てしない旅です。これからも続いていく長い試みです」という沼野先生の言葉通り、近年ではロボットはどんどん発展し、人々にとって身近なものになってきています。この講義は2006年のものですが、現在の科学技術を支えている「人間の想像力」に改めて光を当ててくれる講義です。みなさんもぜひ、身近な科学技術を思い浮かべながら、想像を膨らませてみてください!
<文/長谷川凜(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「ロボット新世紀」 ロボットとSF:文学的想像力は科学に先行する 沼野充義先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。