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2025/05/02
ゲームって、ニンテンドースイッチやスーパーマリオブラザーズのような…?
そのゲームが研究対象になり得るの?
タイトルを見てそう思われた方も多いかもしれません。
実はこのようなデジタルゲームは、技術やメディアをめぐる環境が目まぐるしく変化している現代において、私たちの「感性」を理解するうえで重要な鍵となると考えられています。
今回ご紹介するのは、2021年度高校生と大学生のための金曜特別講座「デジタルゲームの感性学」。日本のゲーム研究を牽引する吉田寛先生と私たちの日常にあるゲームについて改めて考えてみませんか?
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
美学・感性学とは?
本題に入る前に、講義のタイトルにもある「感性学」とはどのような学問なのでしょうか?
簡単に言うと、美(美しさの性質に関するもの)、芸術(具体物に関するもの)、感性(人間の能力や特性に関するもの)の3つの領域を対象とする学問です。
日本では美学とも呼ばれている感性学は、元々「エステティックス」という言葉を翻訳したもので、1750年にドイツのバウムガルテンが刊行した『エステティカ(Aesthwtica)』が始まりだと言われています。
では、今回のキーワードである「感性」について改めて考えてみましょう。
感性とは皆さんがご存知の通り、一般的に物事を感じ取る能力のことですが、実はその捉え方は時代ごとに異なっています。
現代の私たちからすると、感性にはなんとなくポジティブで豊かな能力というイメージがありますが、18世紀までは感性は表象(外界にある情報)を受け取るだけの受動的で貧しい能力だと見なされていました。
しかし、19世紀以降は能動的・創造的な能力としての感性に注目が集まります。例えば、見ることは外界の情報を受け取るだけではなく、私たち見る側が展開し形成することであり能動的な能力だ、という捉えなおしが起こりました。つまり、何かを受け取ることは創ることと同じだ、という考え方です。
20世紀以降、現代に至るまでこの風潮は続いていきます。
さらに、知覚は、機械的な記録ではなく、発明的な創造がなされている行為であるという考え方も生まれました。見ることや感じることには、知識を用いた判断や思考が含まれているということです。
例えば、下の画像を見てください。
真ん中の絵を見たとき、私たちは右の絵のように上と下で二つの形に分けて捉えるのではなく、左の絵のように二本の線が交わったものとして捉えます。
これは、私たち人間が連続したパターンや線、形状を一つのまとまりとして捉えようとする傾向があるためです。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
このように、私たちの知覚は、実は判断や知識、経験などを含んでいます。
現在の感性学は哲学をベースにしつつ認知科学や工学を取り入れながら、この「感性」について考える学問です。
なぜゲームを研究するのか?
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
本題に入る前に、なぜ学術的にゲームが研究されるようになったのか、考えていきましょう。
そもそも、ゲームとは、単なる娯楽品だというイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか?実際に、長い間、ゲームや遊びは研究するに値しないものだとみなされてきました。
しかし、20世紀に入り、ゲームや遊びが実は人間の進化に必要なもので、人間の本質的な特性を知る鍵となるという見方が普及していきました。
そのきっかけとなったのは、ホイジンガという人の『ホモ・ルーデンス』という本です。
ゲーム(遊び)の5つの特徴
ホイジンガはゲーム(遊び)には以下の5つの特徴があると論じました。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
ホイジンガは、この5つの特徴を人間が文明を創るうえで基礎となるものだとして、ゲーム(遊び)の重要性を説いています。
中でも、研究者が注目するゲーム研究のポイントを2つ紹介していきます。(こちらでは割愛しますが講義内では3つ目の創造性についても触れられていますので、ぜひ動画をご覧ください。)
楽しさと没入
先ほどの「自由・自発性・自己目的性」の論点を引き継いで多くの研究が行われているのが、「楽しさと没入」というテーマです。
ここでは、遊びは、没入、集中、自発性、内的動機づけのメカニズムを考える上で重要な手掛かりになるという考えに基づいています。
例えば、心理学者チクセントミハイは、遊びを元に人間の能力を研究しようとした人としてよく知られています。
彼は、「楽しいからどんどんやってしまう」という遊びのメカニズムは、勉強や仕事にも応用できるのではないかと考えました。実際に、アーティスト、ロッククライマー、ダンサー、外科医のような職業は、ゲームをするのと同じように仕事をしていると彼は主張しています。
演技と参加
ホイジンガの規則・規範と関係するテーマとして「演技と参加」があります。我々は遊ぶことで他人と関わり、共同体へ参加しているという考え方に基づくものです。
英語のplayは「遊ぶ」だけでなく「演じる」も意味するように、実は遊ぶことと演じることはもともと本質的に結びついています。
例えば、ベイトソンという研究者は、「遊びはメタコミュニケーション(コミュニケーションについてのコミュニケーション)であり、人間の思考と行動の進化を解明する鍵である」と主張しています。ベイトソンによれば、遊ぶというのは特殊な行為、普通のコミュニケーションとはレベルが違うコミュニケーションだというのです。
例えば、人を騙すというのは普通のコミュニケーションであるのに対し、「これは嘘であるということを伝えたうえで嘘を言う」行為である冗談はメタコミュニケーションにあたります。
ごっこ遊びやジョークは、この行為は嘘だと言いながら行為をする、というきわめて知的な行為で高等生物にしかできないことで、「遊びという現象の発生は、コミュニケーションの進化における重要な一歩だった」とベイトソンは考えます。
なぜデジタルゲームが重要なのか?
ではなぜ感性学の視点でデジタルゲームが重要になるのか、考えていきましょう。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
デジタルゲームとは学術的な呼称で、テレビゲームやビデオゲームと同じものを指します。
そんなデジタルゲームですが、実は上のように既に長い歴史を持っています。
最初のデジタルゲームは、1950年代にアメリカの軍事研究所が、軍事施設の一般公開に向けてエンターテインメントとしてつくった「tennis for two」。ミサイルの軌道を計算するコンピューターを利用したテニスゲームです。
上の画像のようにこれまでたくさんのデジタルゲームが作られてきましたが、なぜこれらのデジタルゲームが重要なのでしょうか?
1つは、デジタルゲームのメディア的な特性にあります。
例えば、ゲームは同じポピュラーカルチャーのアニメや漫画とよく比較されますが、ゲームとそれらの決定的な違いは、プレイヤーが参加するインタラクティブなメディアであることです。
コンピューターやインターネットの研究はニューメディア研究と呼ばれ、受け手がオーディエンスではなくインタラクティブユーザーであるという大きな特徴があり、これまでと異なる着眼点が必要とされます。
(こちらでは省略しますが、動画ではデジタルゲームとその他のゲームの違いについても触れられていますので、ぜひご覧ください。)
他にも、驚くことに、デジタルゲームで遊ぶことは認知能力を向上させるという研究結果も出ています。デジタルゲームの悪影響が叫ばれる一方で、ルールの規則性を発見し推理する能力や、空間を認知する能力の向上など、様々な側面でデジタルゲームが私たちの認知能力に影響を与えています。つまり我々の感性にデジタルゲームが影響を及ぼすのです。
以上を踏まえて、吉田先生は、デジタルゲーム感性学の問いとして
コンピューター時代の遊びを代表するデジタルゲームは我々の感性や想像力、思考とどのように結びついているのか?
遊びがもつ3つの意義(楽しさと没入、演技と参加、創造性)はデジタルゲームのなかでどのように展開、深化しているのか?
の2つを掲げています。
ドラゴンクエストのチュートリアルにみる工夫
最後に1つケーススタディとして、ゲームの「チュートリアル」におけるデザインの工夫を紹介します。チュートリアルとは、初心者に向けた基本的な操作方法の説明やトレーニングのことです。
洗濯機や車など現代の機械製品はユーザー中心のデザインが求められています。ゲームでも、このチュートリアル自体を「ゲーム自体の内側」に取り込み、ユーザーにわかりやすいデザインの工夫がされています。
日米の最初期のロールプレイングゲームを比較してみると、このユーザーフレンドリーなデザインの特徴がわかります。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
まずは上の画像をご覧ください。こちらはドラゴンクエストの元になったとされているアメリカの『ウルティマ』というゲームの最初の画面です。
左の方に進むと城が見え、入ればゲームが始まりますが、このデザインの場合初心者が迷ってしまう可能性があります。開いたフィールドが、ユーザーに過度な自由を与えてしまっているのです。
次に、これを基にして開発されたドラゴンクエストの画面を見てみましょう。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 吉田 寛
当初はウルティマのような開いたフィールドからのスタートが想定されていましたが、初心者の子どもたちにはわからないだろうと判断されました。その結果、鍵のかかった部屋からゲームが開始され、部屋の中で一通りの操作を習得する仕組みになっています。
まとめ
これまでの内容を踏まえ、ゲームの新しい一面を発見できた方も多いのではないでしょうか?
講義内では、ここでは紹介しきれなかった様々なゲームが取り上げられています!興味のある方はぜひ動画をご覧ください。
https://youtu.be/DGU32EC78uo?si=nCFHVbIGvBpiu18I
今回紹介した講義:2021年度:高校生と大学生のための金曜特別講座 デジタルゲームの感性学 吉田 寛 先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/RF(東京大学学生サポーター>
2025/04/24
発達心理学とは?
発達心理学の観点から見た人間の進歩は、様々な側面で捉えることができます。そもそも発達心理学とはどのような学問なのでしょうか?発達心理学とは、ヒトの一生を通じた成長と変化を理解するための学問です。この学問分野は、子どもから大人になるまで、そして老年期までの発達過程を研究対象としており、ヒトの一生とともにある学問です。
発達心理学の研究は、教育・健康・福祉など、さまざまな分野に応用されており、その成果はわたしたちの生活、そして社会に大きな影響を与えています。今回は、そんな発達心理学からみた、“子育て”について取り上げてみることにします。発達心理学の学知を基に、子どもの発達段階に応じた支援・親子関係・社会的支援の構築などから、ヒトの子育てがいかに特殊であるかを深掘りしていきます。
ヒトの子育ての特殊性
ヒトの子育ては他の動物と比較して非常に特殊です。では、それは一体どのような点においてなのでしょうか。今回ご紹介する『東京大学公開講座「人間は進歩しているか?」-発達心理学から見た人間の進歩』(2014年開講)では、遠藤利彦先生がヒトの子育てについて詳しく解説されています。
UTokyo Online Education 発達心理学から見た人間の進歩 Copyright 2014, 遠藤 利彦
子育ての進歩の“光”と“陰”
遠藤先生によると、子どもの育ちをめぐる全体的状況は確実に進歩しているといえます。例えば、乳児死亡率の大幅な低下、識字率の改善など、多くの点において進歩が見られ、「子どもの発達・人の生涯発達に関わる科学は様々な新しい方法論を得て、めざましい発展を遂げている」と遠藤先生はおっしゃっています。
一方で、子育てをめぐる全体的な状況が進歩しているにもかかわらず、本質的な部分においては「果たして進歩しているといえるのか?」と疑問視しています。例えば、子育ての知識が蓄積されているのにも関わらず、それらの知識の進歩が実践的な場面において生かされていないという問題です。
遠藤先生は、現代の子育ては、知識ばかり蓄積された頭でっかちな状況に陥ってしまっていることを危惧しています。では、改めて子育ての現状を捉えるために、子育てが元来どのようなものであったかについて考えてみましょう。
ヒトの子どもはどうやって育てられてきたのか?
ヒトの赤ちゃんは、他の動物に比べて未熟な状態で生まれます。さらに、他の動物の新生児よりも重いという特徴もあります。また、養育期間も他の動物に比べてとても長期間に渡り、養育者の負担が重くのしかかってきます。これらの特徴は、子育てに大きな影響を与えます。
ヘルパー・サポーターの必要性
ヒトの子どもを育てるには、さまざまな形での協力が必要です。
UTokyo Online Education 発達心理学から見た人間の進歩 Copyright 2014, 遠藤 利彦
ヒトの子育てには膨大な時間がかかります。そのため、子どもを支えるために両親が長期的なパートナーの関係を築くことになります。これは、我々人間にとっては当たり前のことでしょう。しかしながら、実はこれは動物の世界では一般的ではないのです。他の動物では、同じパートナーと長期的に過ごすことは多くはありません。ヒトの子育ては、単なる一対一の親子関係ではなく、両親と子どもからなる、規模としては小さいながらも非常に強力な共同体のなかで行う形態を発展させてきたのです。
一般に、他の動物では、メスは死ぬまで子どもを産み続け、子どもと、「母-子」の直接的な親子関係のもとで育てます。言い換えると、子どもを産めなくなったら、それは死を意味するのです。しかしながら、ヒトは子どもを産めなくなった後も長く生き続けます。
ではおばあさんはどのような形で子育てに参入するのでしょうか。例えば、おばあさんが、孫などの次世代の子どもの世話をすることで、子どもの母親はより多くの子どもを育てることが可能となります。これにより、結果的に集団としての生存率を向上させることができるのです。よってヒトの子育てにおいておばあさんという存在の重要性は非常に高いのです。
ヒトの子育ては集団でおこなわれてきた
子育ては親だけが行うものではありません。サラ・ハーディーの著書「マザー・ネイチャー」では、「人の子育ては集団で行われてきた」という記述があります。これについては、たとえ子育てを経験したことがない人たちにとっても、私たちがどのように育ってきたかを考えるとわかりやすいです。子ども時代を思い返したときに、我々が関わったのは両親だけでしょうか。決してそんなことはないはずです。幼稚園の先生、風邪をひいたときに診てくれたお医者さん、お母さんが買い物に行く間に預けられた先の近所のおばさんなど、挙げたらきりがないほど多くの人々に支えられて生きてきたことでしょう。
子どもは、非常にかよわい存在であり、特に幼い子どもは放っておくとすぐに命の危険に晒されてしまうほどです。支えてくれる大人がいない状況においての子どもは無力であるといっても過言ではないです。これは子ども目線でも、同様に己の無力さを感じるでしょう。
実際、私が5歳のときにショッピングモールで迷子になってしまった際には、冗談抜きで「死ぬ」と思った経験があります。今考えれば、迷子が死に直結することなどあり得ないですが、当時の私にとって、すぐに助けてくれる大人がいないことへの不安は非常に大きいものでした。
話は逸れましたが、ヒトの子育ては親以外による養育も重要な鍵を握っており、多くの人々の存在から成り立つ集団型子育てが、もともとのヒトの子育ての姿なのです。
現代の子育ては…
UTokyo Online Education 発達心理学から見た人間の進歩 Copyright 2014, 遠藤 利彦
現代は、男女共同参画・「イクメン」・保育の拡充など、子育てに対してさまざまな角度からアプローチする試みが行われており、確かに、母子関係中心主義は薄れつつあります。しかしながら、いまだに子育てが母親中心のものと考えられる傾向が根強く残っており、子どもが非行に走るなどの原因を全て母親に依拠するといった考えは、依然として存在します。
現代における子育ての理想の形とは
では、どのような子育てがなされることが理想といえるのでしょうか。遠藤先生によると、現代の事情に適った集団型子育てを模索する必要があるそうです。また「子どもの発達を阻害するのは母親の有無ではなく、サポートネットワークの剥奪である」とおっしゃっています。
まとめ
発達心理学から見た人間の進歩は、子育ての実践において非常に重要なことを私たちに気づかせてくれます。本講義は、親子関係にとどまらず子育て全体を広い視野で捉えるものとなっています。私は記事を書きながら、自分はどのような子ども時代を過ごしてきたか、当時の大人たちは自分にどのように関わってくれたかなどを思い出すとともに、子育ての奥深さを感じました。おそらく、本講義はみなさんにとっても、子育て、ひいては現代社会における育児の課題などについて考える、よいきっかけを与えてくれるでしょう。子どもの認知発達、情緒の発達、生涯にわたる成長など、多岐にわたる領域での研究が、現代の子育てにおける課題解決や新しいアプローチの開発に役立ちつつも、果たしてそれが実践に繋がっているのかなど、まだまだ課題が残るのが、現代の子育てです。私たちがより良い子育て環境を築くには、子どもたちの健全な成長を支えるには、一体どのようなことが考えられるでしょうか。詳しい内容が気になる方はぜひ講義動画をチェックしてみてください。
https://youtu.be/Or9LBKyO8tg?si=z02ErZAlnqoy-C50
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「人間は進歩しているか?」発達心理学から見た人間の進歩 遠藤利彦先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/04/09
犬と暮らしている人は、「私が帰ってくるといつもうれしそうに尻尾を振っている。動物にも心があるに決まっている!」と思うかもしれません。
そのような経験がない方でも、動物には心がある、と考える方が多いのではないでしょうか?
しかし実のところ、研究者の世界では「動物に心がある」ことが当たり前とされてきたわけではありません。
そもそも私たち人間にとっても、自分以外の人間に心があるかどうかを科学的に検証することはできません。
今回は、動物に心があることを示すことは原理上不可能かも知れないとした上で、それでも動物の心を知ろうと試みる岡ノ谷一夫先生の講義、2021年度高校生と大学生のための金曜特別講座「動物に心はあるか?」を紹介します。
様々な実験を通して、生物心理学や動物行動学の観点から、動物の心について一緒に考えてみませんか?
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
感情
早速、動物の感情に関する実験を見ていきましょう。
鳥の感情
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
ジュウシマツという小鳥をご存知でしょうか?重さ約12gで片手に乗るほどの小さな鳥です。
実は、このジュウシマツに新しい餌を与えると、一羽が餌場に行くのを見てから他の鳥が次々とそれに続いていくという行動が見られます。
まずは勇気のある一羽が向かい、他の鳥はその餌が安全であることを確認してから向かいます。この行動は「社会的促進」とも呼ばれますが、観察しているとまるでジュウシマツに感情があるかのように見えます。
ラットの感情
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
続いては、ラットを対象にした実験です。
実は、ラットは、私たちには聴こえない音で鳴いていて、嬉しいときには50kHz、悲しいときには20kHzの超音波で鳴くという性質があります。
そこで、他のラットが鳴く音を聴いたラットがどのように感じるかを調べてみます。
まずは画像のように、8の字型の迷路の一カ所にスピーカーを置き、私たち人間にも聴こえる高さに設定した上でラットが鳴く音を流します。
すると、嬉しい鳴き声を聴いたラットはスピーカーに近づいていき、悲しい鳴き声を聴いたラットはその場でうずくまるという結果が得られます。
このことは、他の個体の声によってその個体と同じような気持ちになる「情動伝染」が起こっていることを示しています。これは同情や共感のもとになる現象です。
時間感覚
次に、私たち人間がもつ「時間感覚」に関する実験です。
皆さんはもし「30秒後に手を挙げてください」と指示されたら、心の中で30秒を数えてみるかと思います。
そしてこの時間の計測は、何回か繰り返すうちにより正確になっていきます。
私たち人間はこのような時間感覚を持っているのです。
では動物については、どうでしょうか?
ラットの時間生成行動
ここで、ラットの時間感覚にまつわる実験を紹介します。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
今回の実験では、画像のようにラットに、ある一定時間以上レバーを押してもらいます。例えば、一定の時間を16秒と設定した場合、ラットが16秒以上レバーを押すと真ん中の隙間から餌がもらえる仕組みです。16秒未満でレバーを離してしまうと、餌はもらえません。
人間の私たちからすると、一定の時間以上なのであれば、特に考えずにできる限り長くレバーを押しておけばいいのではないかと考えますが、ラットはお腹がすいているので、16秒ちょうどくらいでレバーを離したい状況です。
さて、どのような結果になるでしょうか?
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
画像をご覧ください。こちらは一定の時間を16秒とした場合の結果です。
グラフの右側と左側は、それぞれ違うラットの結果ですが、どちらも17秒程度でレバー離す回数が最も多くなっていることがわかります。
ラットも人間と同じように、時間の計測を繰り返すと、より正確に時間を測ることができるようになっているのです。
ここで、ラットはどのように時間を測っているか、気になる方も多いと思います。
実はラットの脳には、「後部帯状回」と呼ばれる部分があり、そこには刺激を与えてから約200ミリ秒後に反応する神経細胞があります。
その部分に電極を指して先ほどの実験を行うと、レバーを押す際に反応があり、レバーを離す際に反応が戻ることから、この神経細胞が時間感覚に対応していると考えられます。
コミュニケーション
最後に、コミュニケーションに関する実験を見ていきましょう。
ハダカデバネズミの話者交代
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
この写真に映っているハダカデバネズミは、西アフリカの地下にトンネルを掘って暮らしている動物です。
ハダカデバネズミは真社会性動物と言い、アリや蜂のように繁殖する個体が限定されていて、他の個体は繁殖個体を助けるために、餌を運んだり敵と戦ったりします。
そして、このハダカデバネズミは発声信号をやりとりして、互いの情報を獲得したり、親和性を高めたりしていることがわかっています。
実際に例を見てみましょう。
このハダカデバネズミが実際に住むトンネルをアクリルパネルで実寸大に再現してみると、実は二匹が横にすれ違う幅はありません。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
そこで、トンネルで二個体がすれ違う時は、お互いに鳴き合い、より低い音声で鳴く個体が上を通るようにしているのです。
重ねて鳴くことはなく、必ず片方が鳴き終わってからもう片方が鳴くことから、話者交代と呼ばれています。
体の構造上、声が低い個体の方が体が大きいというのは物理的特性として決まっているため、このようなコミュニケーションにより、無駄な争いを避けることができます。
ラットの援助行動
続いてラットに関する実験です。
ラットは泳ぐことはできるものの、進んで泳ぐ生き物ではなく、水の中に落とされてしまうともがくような動作をします。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 岡ノ谷一夫
実はこれまでの実験で、プールから出られないラットがいると、それを観察するラットがドアをあけて救い出そうとすることがわかっています。
この行動はメス同士で特によく見られており、ラットのメスは共同で子育てをするため、互恵的な行動として定着した可能性があると考えられます。
ただし、溺れているラットからどのような信号が出ているかは不明で、溺れている状況全体が救助行動を生んでいるかもしれません。
人間も、道端で人が倒れていれば、自然に助けようとします。
しかしこれは同情からくる行動なのか、自分の社会的評価のためなのか、など理由は様々だと言えます。
このように援助行動というかなり複雑な社会的行動が、ラットにも見られるということがわかります。
まとめ
ここまでの研究を通して、岡ノ谷先生は、少なくとも鳥類や哺乳類については心を持っていると推測するのに無理のない行動が観察できていると結論づけています。
しかし一方で、この結論は私たち人間が他者に自分と同様な内的過程を投射しやすい、擬人化・擬自分化という傾向からの結論でもあり、客観性はないと話しています。
心とは、意思決定を必要とする複雑な行動の副産物として生じる主観的な体験であると考えられますが、主観的体験の有無について科学的に検証する手段は現時点ではありません。
そのうえで、岡ノ谷先生は心の研究はまだまだ始まったばかりであるため、ぜひ心の研究をしていってほしいと受講生たちにメッセージを送っています。
講義では、こちらの記事で紹介しきれなかった実験やエピソードが盛りだくさんです。興味のある方はぜひ講義動画をご覧ください!
https://youtu.be/s6CoZpZ85w0?si=iyHPgS6LfE2u1CkG
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:2021年度:高校生と大学生のための金曜特別講座 動物に心があるか 岡ノ谷一夫先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/03/31
皆さんは、自分の言葉が、相手に意図しない意味で伝わってしまったことはないでしょうか?逆に、相手の言葉を、意図されてない意味で受け取ってしまったことはないでしょうか?
言葉を介するコミュニケーションの中で、私たちは日々このようなことを経験しています。
時には自分が考えていることですらわからないこともある中で、他者が何を考えているかを理解することは簡単ではありません。
では、私たちが言葉を通して相手を理解するにはどうすればよいでしょうか?
それには相手が意図的に送るメッセージだけでなく、言葉の周囲に埋め込まれたヒントにも目を配る必要があります。
今回は文学を専門とする阿部公彦先生が、言葉から相手を理解するための実践的で具体的な方法を、様々な題材を通じて解説していきます。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 阿部公彦
「声」を聞くとはどういうことか?
声という言葉は、「読者の声」や「政府を非難する声」という場合のように主張や願いを指す意味でも使われます。
相手を理解しようとする、相手の「声」を聞くとはどういうことなのか考えてみましょう。
言葉の起源
言葉は、うなりのような音声、ジェスチャー、絵、から書き言葉まで、さまざまな形をとりながら今も変化し続けています。
しかし、あらゆる言葉的なものに共通しているのは、「媒体(メディア)」に乗って伝えられるということです。例えば、音声であれば音の信号に乗り、書き言葉であれば石や紙に乗って伝えられます。
つまり、相手の「声」を聞くというのは「媒体(メディア)」のかたちを捉えることとも言えるのです。
名作の声を聞く「らくがき式」
突然ですが、皆さんは「らくがき」と聞いて何を思い浮かべますか?もしかすると、あまりよくないイメージを持たれている方も多いかもしれません。
しかし、実はテキストへの「らくがき」こそが文章の声を聞くうえで有効な手段になりうるのです。では早速、「らくがき式」を実践してみましょう。
江戸川乱歩『怪人二十面相』
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 阿部公彦
まずはこちらをご覧ください。テキストにさまざまなツッコミが入っているのがわかります。
「らくがき式」ではこのように気になる箇所、特徴的な箇所に書き込みを入れることからスタートします。
一見難しく感じるかもしれませんが、「何度も繰り返される表現」や「わかりにくいところ」、「違和感を覚えるところ」を意識してみましょう。
実際にやってみると、今回は、・ですます調や「お」天気という表現などの、やけに丁寧な口調・毎日を「毎日毎日」、東京の町を「東京中の町という町」と表現するくどさ・「どんなに」や「誰ひとり」などの副詞を多用する力みなどの特徴が浮かび上がります。
次に、これらの特徴が読者にどのような印象を与えるかを考えてみましょう。
前提として本作品は、江戸川乱歩が初めて子ども向けに書いた作品であることを踏まえると、丁寧な口調は、大人が子どもに語り掛けるようなあたたかみを与えていると言えます。
よく考えてみると、子ども向けの作品ではですます調のような敬体で書かれることが一般的です。例えば、昔々あるところにおじいさんとおばあさんが「いた。」ではなく「おりました。」の方が聞き馴染みがあると思います。
敬体を使う理由は未だ結論付けられていないものの、優しく腰を低くすることで子どもを物語世界に誘い込みやすくしているのではないかと考えられます。(しかし、ある程度年齢があがると、逆にそのような文章では物足りなさを感じたり、嫌味に感じたりするようになります。)
そして、前のめりで力んでいる過剰な語りは、面倒くさくてしつこい、押し売りの気配を感じさせる一方で、語り手が善意にあふれた人なのではないか、とも感じ取ることができます。
それでは、このような印象は作品にどう作用しているでしょうか?
ご存知の方も多いかもしれませんが、本作は探偵小説です。物語では日常生活に犯罪という危機が訪れつつ、名探偵明智小五郎のおかげで元の日常に戻ります。
優しい文章が、このような危機的状況である非日常との間を行ったり来たりするストーリーに安心感を与えていると考えられます。
「らくがき式」の利点と狙い
先の例のように、「らくがき」は、言葉の細部に注目し兆候を可視化することに役立ちます。ここで重要なのは、それにより文章を意味のあるメッセージを伝えるものとしてだけでなく、いろいろな「声」が飛び交う場所だと認識できる点です。
文章には書き手の気分や情緒、精神状態が無意識のうちに現れることもあり、書き手が意図していない意味で伝わってしまうこともあります。例えば、単に忙しいときに簡単に送ったメッセージが、無愛想な印象で受け取られてしまったり…。
しかし、このような自分が想定していない解釈の仕方に気づくのは簡単なことではありません。
「らくがき式」は、多義性を存分に持つ文学作品を「読む」プロセスを自覚することや、自分の「読み」を他者に向けて表現することを通じて、多義性に対する感性を磨くよい練習になり得ます。
告辞の「声」を聞く
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 阿部公彦
今度はより身近な題材である告辞の「声」を聞いてみましょう。こちらは、2020年3月の東京大学学位授与式で当時の五神真総長が述べた告辞の冒頭部分です。
ぜひ実際に読んでみてください。皆さんはどのような印象を受けましたか?
赤字部分に目を向けてみると、「おめでとう」というスタンスが強調されていることがわかると思います。当たり前だと思われるかもしれませんが、よく考えてみると、お祝いの場であることがわかりきっている授与式で、祝いの言葉を繰り返す必要はないのではないか?という疑問が生まれます。
では、なぜ祝いの言葉を省略しないのでしょうか?
ここでポイントとなるのは、情報伝達を目的としない、「挨拶」という行為として言葉が発せられているという点です。
この告辞には、行為としてことばを発することで「私はあなたを祝っているよ」という私とあなたの関係性を樹立し構築する役割があります。この場を持ってさようならという訳ではなく、これからも関係性を続けていこうという意志が伝わります。
そして、挨拶を交わすことは決まり事や約束事の確認でもあります。互いの存在を社会化し、同じ社会にいる、社会という場を共有していることを認識させます。話し手と受け取り手が社会の中である共有された位置を占めていることが確認できるということです。
また、この時間と場を祝うことに費やしているのだと示すことで「今この時間はめでたいときなのである」という場の演出にもつながります。このように、言葉の「声」には情報伝達にとどまらない作用があります。それを意識してみると、普段目に触れる文章の受け取り方が変わるかもしれません。
まとめ
文章を読むとき、皆さんはまず「何」が書かれているかが気になるのではないかと思います。しかし、私たちは知らず知らずのうちに文章の「声」を読み、言葉の周囲にあるヒントを受け取っているのです。
この講義では実例を使いながら、文章の「声」がどのように表現されるか、そもそも文章の「声」を聞くとはどういうことか、を紐解きます。
自分が読みたいものを読むのではなく、相手から聞こえてくるものを読むという立場に立った時、これまで意識していなかった文章の新しい側面に気づくことができるかもしれません。
本記事はここで終わりになりますが、動画では他にも気になる例が紹介されています。約1時間の質疑応答タイムでも、多くの人からあがった質問に先生が丁寧に回答しています。続きが気になる方はぜひチェックしてみて下さい!
https://youtu.be/41Gw6VJXEdA?si=v4PGF7zOmxLJ0RIg
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:2021年度:高校生と大学生のための金曜特別講座 あなたはふだん文章の「声」を読んでいますか? 阿部公彦先生
さらに深く文学について学びたい方は、同センターで開発・開講されているオンライン講座『UTokyo MOOC』の「The Power of Words」を受講することをお勧めします。阿部先生が講師を務め、言葉がどのように力を持ちうるか(続けるか)を、日本文学と英文学に焦点を当てて探求していく講義となっています。こちらは無料で受講できるコンテンツです。
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/03/12
教育とは、何のためにあるのでしょうか。より良い企業に就職して、より良い暮らしを手に入れるためでしょうか。それとも、社会で生きていくために必要な能力を養うためでしょうか。
私たちは、国の制度として義務教育を受けます。それにとどまらず、高等教育機関に進学し、さらなる教育を受ける人も多くなっています。
文部科学省の「大学等進学数に関するデータ」を参照すると、令和5年度の大学、短大、高専、専門学校を合わせた高等教育機関に進学する18歳人口の割合は83.8%だということがわかります。
文部科学省「参考資料集」令和5年9月25日 
このことは、単純に喜ばしいこととして受け取ってよいのでしょうか。
「教育」の意図やその内容というものは、時代や社会によって変化せざるを得ません。例えば、国全体が貧しい時代と、反対に豊かな時代では教育の目的や実際の効果も変わってくるように思います。
だとすると、多くの若者に教育の機会が開かれている現代においては、そうではなかった時代とはまた異なる問題が存在しているのではないでしょうか。
今回紹介する講義を担当するのは、当時東京大学大学院教育学研究科に所属し、現在はオックスフォード大学社会学科の教授をしていらっしゃる苅谷剛彦先生です。
先生は授業の冒頭で、「社会が成熟すればするほど、個人の成熟が難しくなる」と言いました。これは、いったいどういう意味なのでしょうか。
「福祉国家の変容」をキーワードに、読み解いていきましょう。
「経済ナショナリズム」と「福祉国家」
戦後から90年代ごろまでの時代は「経済ナショナリズム」の時代だった、と苅谷先生は言います。「ナショナリズム」とは、国家という共同体に対しての強い帰属意識や、それを標榜する運動のことです。
「経済ナショナリズム」という言葉は、そうしたナショナリズム的思想・運動と「経済」の状況が離れがたく結びついていたということを意味しています。
それはつまり、一国の経済の成長が、その国の人々に豊かさをもたらすという考え方です。単純化すれば、その国のGDPが増加すればするほど、国民はより幸せになれるということです。現代を生きる私たちからするとあまりにも楽観的に映るかもしれませんが、高度経済成長などの時代の流れに牽引され、人々や社会制度は無邪気にも「経済ナショナリズム」を前提としてきました。
「経済ナショナリズム」は、戦後の「福祉国家」という国家のあり方によって後押しされました。
「福祉国家」とは、第二次世界大戦後のイギリスでスローガンとなった「ゆりかごから墓場まで」という言葉に代表されるように、社会保障などの福祉政策を充実させることによって、国家の力で国民の一生を守っていこうとする、国家のあり方です。
そのような福祉国家的な福祉制度の拡充は、「教育」を対象としても行われました。
社会における「教育」の役割
福祉国家体制においては、人々の「平等」が尊重されます。例えば、完全雇用の実現を理想とはしつつも、そこから漏れてしまった人には、社会保障や公的扶助のような富の再配分によって救済する措置が取られるというような、「結果・機会の平等」です。
そうした中で教育は「平等と自由と個人の発達」を担う、極めて重要なものとみなされました。
そもそも教育とは、「子どもが大人になるための過程に関わる社会的な営み」だと、苅谷先生は言います。
子どもとは、「誰でもないが誰にでもなれる」存在です。そんな子どもを「誰か」にしていくのが、近代以降の「教育」なのです。
UTokyo Online Education 福祉国家の変容と「成熟」:大人になることの難しい社会と教育 Copyright 2006, 苅谷 剛彦
伝統社会では、多くの人々が社会的地位や階級によって生まれながらにして将来が決められていました。それに対して、近代社会では「誰にでもチャンスを与える」ことを目標とし、それに向けて「自己実現」の機会としての教育を拡大させていきました。
教育とは、子どもの「自己実現」を、社会の構成員である大人たちが手を取り合ってサポートする制度であるということです。
このように、経済ナショナリズムを実現しようとする福祉国家においては、経済・社会の成長・開発(development)と個人の成長・発達(development)は予定調和的に好循環を生み出していくという前提のもと、教育に力が注がれていきました。
グローバル化と「個人化」
しかし、90年代が近づくと、福祉国家も行き詰まりを見せるようになりました。同時に、経済ナショナリズムも限界を迎えることになります。「グローバル化」の時代が到来したのです。
人・モノ・情報が国境を越えた市場で行き交うようになり、世界中が過酷な経済競争に巻き込まれる中で、国家の方向性も変わっていきました。
人々は国家による規制の緩和を求め、国家も経済成長力を高めるための余念のない政策に切り替えていく必要が生じました。歳出の少ない国家運営が新たな目標とされ、効率化や、福祉予算の削減が行われました。
生涯の面倒を見ていた福祉国家から、「小さな政府」へと転換したのです。
こうした時代の変遷の中で、人々はもはや福祉の力に頼りきりになることは許されなくなりました。
苅谷先生は、こうした動きを「二重の個人化」と呼びます。「個人としての自立」が求められる一方で、そうした個人の行いが「自己責任」として受け取られ、以前のような救済を得ることが難しくなったということです。
そうした時代において教育は、どのように「個人化」の支援をしていくか、ということが問われることとなりました。
子どもの「自己実現」を手助けするという教育の理想は維持され、むしろますます強くなっていきます。「個性」や「自分らしさ」を獲得できなければ、社会を勝ち抜いていくことが難しくなってしまったからです。
このようにして、グローバル化の時代における進路指導は、「自己理解」をし、「自分らしさ」を発揮できる仕事に就き、「自己実現」できる進路を、「自分で選択」する、というように、新自由主義的な個人化の流れに則った形で、従来の教育の理想をむしろ徹底していく形で行われるようになりました。
「自己実現アノミー」と格差問題
こうした流れに押され、高等教育の進学率はますます伸びていきました。
しかし一方で現実には、教育の機会に恵まれているにもかかわらず、競争社会を勝ち抜くことのできなかった人々の存在がありました。
苅谷先生が紹介していたのは2006年当時のものですが、進学率と正比例するようにして、フリーター、若年無業者(いわゆる「ニート」)、非正規雇用者の割合は増加していました。厚生労働省の統計を調べてみると分かりますが、こうした「正規」の労働者から外れた人々の存在は、現在(2024年)に至るまで増加・維持傾向にあります。
過酷な競争や、「自己実現」をしなければならないという圧力に晒され、容赦無く勝者と敗者に振り分けられてしまうというこの状態を、先生は「自己実現アノミー」と呼びました。「アノミー」とは無秩序・無規律を意味する言葉です。
「自己実現」が理想的なゴールとして社会に広く共有されているのにもかかわらず、それを達成する手段や機会が十分に与えられていないことにより、「望ましい生き方」と「現実」との間にギャップが生まれてしまっているということです。
こうした状況は、「ワーキングプア」の問題のように、現在に至るまで継続しています。また、仮に「自己実現」のできる職業につけたとしても、「やりたい仕事」なのだから過重労働でも文句は言えないだろうという理由で長時間や低賃金の労働を強いられてしまう「やりがい搾取」の問題も見過ごせません。 
教育の機会が開かれたことや、教育が本来理想としていること自体は、喜ばしいことなのかもしれません。しかしそれがこのように、競争の激化や「自己実現」・「個性」を持たなければならないという圧力に変わって、若者を中心とする人々を苦しめている現状があります。そこには、教育だけでなく社会・経済を含む時代的な状況・構造があることを見過ごしてはなりません。
今回の講義は2006年に行われたものですが、それから20年近くが経過する現在、こうした社会と教育についての状況は、どのように変化したでしょうか。今改めて、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
公開講座
こちらの講義は、2006年開講の東京大学公開講座「成熟」で行われました。
https://youtu.be/vmS9GZcl17k?si=yJ_8FS0Hre2DZFID
今回紹介しました苅谷先生の講義以外にも、戦後社会の福祉や経済の「成熟」にまつわる課題を扱ったものがありますので、併せてご覧になると参考になるかと思います。
東大TVでは過去の公開講座の模様を公開しておりますので、興味のある講義があればぜひご覧ください。
東京大学公開講座:東大TV Youtube再生リスト 
<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「成熟」 福祉国家の変容と「成熟」:大人になることの難しい社会と教育 苅谷剛彦先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/02/27
これまでの人生で、生き物を殺したという経験はありますか?おそらく、確信を持って「私は殺したことはない」と言い切れる人は少ないのではないかと思います。もし言い切れたとしても、誰かの手によって殺された生き物を生活の中で消費する限り、私たちは、間接的とはいえ動物の殺しに関わっているといえます。「殺し」は私たちが生きていく上で避けることのできない行為なのです。
しかし、だからといってそうした「殺し」を仕方がないこととして割り切れるわけではありません。生きていくためとはいえ、他の命を殺すという行為が避けられないことは、私たちに罪悪感をもたらすかもしれません。
人間の文化には、そうした罪悪感を処理するために、動物を「供養」するという営みがあります。まるで死んだ人間を弔うように、動物の中に「霊魂」のような存在を認め、それらを慰霊することによって、湧き上がる罪の意識と折り合いをつけてきたのです。
しかし、そうした動物の「供養」とは、人間にとって普遍的なものなのでしょうか。また、動物を人間のように供養しなければならないとする価値観は、疑いようもなく正しいものとして全体的に信頼してもいいのでしょうか。
今回紹介する講義は、東洋文化研究所で民俗学を研究されている、菅豊先生によるものです。民俗学の知見から、「供養」や「動物の殺し」をめぐる文化を、批判的な視点で捉え直してみましょう。
「供養」の文化
私たちの生活は、「殺す」ということを通じて成り立っています。「殺す」とは、生き物の生命を絶つということです。「生き物」や「生命」という言葉をどの範囲で定義づけするかは難しく、議論の分かれるところではありますが、少なくとも我々の生活がその「殺し」によって成立していることには同意していただけるのではないでしょうか。
しかし、私たちが皆一様に「殺し」を担っているわけではありません。多くの人々は「殺す」という行為を、それを担う一部の専門的な職業の人々に外部委託することによって「殺し」を意識せずとも生活を送ることができているのです。私たちの生活は、その維持に不可欠な「殺し」を直接的に担う他者に依存して成り立っているといえます。
例えば、動物を猟師や畜産家が殺し、魚介類を漁師が殺します。そうした人々は習慣化されているために一連の動作として躊躇なく「巧く」殺すことができます。とはいえ、そうした人々が、動物の死、そして自身がその死を招いたという事実に常に冷徹かつ冷静に向き合えるわけではありません。「殺し」の事実は、時として罪悪感や贖罪の意識をもたらします。
「供養の文化」は、そうした感情に巧く向き合うために生み出されました。人々は動物を、人間と同じような仕方で弔うことによって、その罪悪感を鎮めようとしました。つまり、動物を擬人化することが、殺してしまった命を供養するために必要とされたのです。
現代における「供養」の文化の広がり
こうした「供養の文化」やそれに近しい実践は、科学的な知見が溢れる現代社会においても、むしろ盛んになっていると菅先生は言います。
例えば動物のペットを弔うとき、私たちは人間と近しい方法で供養しますよね。それ以外にも、テレビの動物番組が動物に声をあて、まるで人間が話しているかのような「擬人化」を施しているものもみたことがあるのではないでしょうか。
このように、動物を人格的なものとして捉え、扱おうとする思考や習慣は、現代においても繰り返し現れています。
UTokyo Online Education 民俗学から考える動物の恵みと供養 Copyright 2014, 菅 豊
しかしここで、菅先生はその価値観に疑問を投げかけます。供養をするという行為には、その生き物を殺すことや生き物の死を否定的なものと捉える見方があり、それによって、どうにかしてその死を処理しなければならないと考える意識が生まれるのだと考えられます。
民俗学者の中村生雄は、それを「『負』の感情の正当化」と呼びました。私たちには、「殺し」や「死」によって生じる感情を何らかの解釈によって正当化し、合理化したいという意識があります。「供養の文化」とは、そのような要請に応えようとするものでした。
ですが、こうした価値観は、普遍的あるいは必然的、本質的なものなのでしょうか。例えば、別の文化圏に属する人々が動物を殺し、そしてそれに対する供養をしていないように見えたとき、私たちがそれを「罪深い」ことだとか、「野蛮」な行為だとして糾弾することは、正当化されるのでしょうか。
このように考えると、「供養の文化」とは異なる見方を想像する視点が生まれてきそうです。
「供儀」の文化
ここで菅先生は、新潟県村上市大川で見られる伝統的なサケ漁である「コド漁」にまつわるフィールドワークの例を出しながら説明をします。コド漁を巡る魅力的な民俗誌の詳細は講義内で豊富に語られますので、ぜひご覧ください。
重要なことは、「コド漁」に代表されるような文化体系において、対象である動物を殺すことは「罪」のような形で表現されてはいないということです。ここでは、サケ漁を取り巻く人間と動物の関わりを、エビス神・人間・鮭という三者の接触関係という形で説明するのです。
この神話的な語りにおいて、鮭が殺されることはエビス神に捧げられることを意味し、鮭の「本懐」でさえあると説明されます。こうした説明体系の中に位置付けられる人間は、あくまで神・動物・人間という三者関係のひとつのアクターに過ぎず、その中に、現代人が抱くような「殺すこと」や「死」に対する恐怖や罪の意識が存在している訳ではありません。
すると、「殺し」に対する負の感情も、「自然」と「人間」と「超自然(神)」からなる体系から、人間だけを切り離したときに抱く感覚なのではないか、と考えられます。
先ほども紹介しました民俗学者の中村生雄は、こうした文化を「供養の文化」と対比させて「供儀の文化」と呼びました。両者ははっきりと区別できるものではなく、文化の中で混じり合って見出されるものですが、動物を擬人化し弔うことで罪悪感を解消する「供養の文化」とは異なる、自然と真正面から向き合う文化の形も存在するのだ、と菅先生は言います。
殺すことは罪か?
「供儀の文化」を対比させて考えてみたときに、ますます加速する「供養の文化」とそれが浸透した社会とは、どのように考えることができるでしょうか。
例えば20世紀の後半から、「動物の権利」や「動物の福祉」といった言葉が使われるようになったことからも分かるように、動物を人格的に尊重しようとする風潮は強くなっています。そんな中で、現代人は「殺し」を負のものとし、「死」を忌み嫌うものとするまなざしを強化しているのではないか、と菅先生は警鐘を鳴らします。
ここで、菅先生は食肉処理の場面を提示します。食肉処理を行う人々は、生活において不可欠な「殺し」を担う役割を果たしているのにもかかわらず、市井の人々から「負」のまなざしで見つめられ、不当な差別を受けてきました。そのため、従来の屠場(食肉処理を行う場所)は、辺鄙な場所に建てられ、塀を高くすることで俗世間から切り離されてきました。
UTokyo Online Education 民俗学から考える動物の恵みと供養 Copyright 2014, 菅 豊
しかし、こうした眼差しは、食肉として処理される牛を「かわいそうだと考える心情」によって増幅されてきたのではないかと言います。殺される牛を擬人化し、そのことによって、牛を殺す屠場の人々を「かわいそうなことをする人」とみなす視点が、不可分なものとして結びついてしまうーーー「供養の文化」と紐ついた擬人化および贖罪の意識が、動物の「殺し」に携わる人々をあたかも罪人のように扱ってしまう危険性を孕んでいるのではないかというのです。
もちろん、動物を供養することによって救われたり、人格的に扱うことで通じ合ったりする人がたくさんいるであろうことは、言うまでもありません。しかし、「供養の文化」を一面的に肯定することは、動物を殺すことが人間を殺すことに準じる逃れ難き罪であり、負債であるという価値感をまるで当然のことのように受け入れてしまう危険性があり、そうした危うさを見過ごしてはならないのです。
https://youtu.be/ZKSm_YTMPOI?si=W2qcS9BpXee75Utq
公開講座
こちらの記事は、2014年開講の東京大学公開講座「恵み」で行われました。
東大TVでは過去の公開講座の模様を公開しておりますので、興味のある講義があればぜひご覧ください。東京大学公開講座:東大TV Youtube再生リスト 
また、菅先生の別の講義の記事がすでにだいふくちゃん通信の方で公開されていますので、ご興味があればぜひご覧ください。
<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「恵み」 民俗学から考える動物の恵みと供養 菅豊先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/01/17
 みなさんは生命をデザインする、と聞くとどのように感じますか。 「科学技術を使い、人間にとって都合のよい新たな種の生命を創りだす」というと心理的抵抗を感じる方もいるかもしれません。しかし研究の現場では、日々、様々な研究が行われており、遠くない未来において社会実装されるかもしれない数多くの研究が存在します。
 本記事では、そのような研究の一例として、植物と動物の境界をまたぐ研究、またその研究に付随して発生する倫理問題についての講演動画をご紹介いたします。
 こちらの動画は2022年秋季、「境界」というテーマで開催された東京大学公開講座にて登壇された生命科学研究系の松永幸大(まつながさちひろ)先生の講演動画です。
 松永先生は、動物の中に植物細胞を取り込み、植物的特性を利用した二次共生と呼ばれる細胞を持つ動物の例をもとに、人工的に植物細胞を持った動物細胞を創りだす研究をされています。かみ砕いた表現にすると、動物でありながら植物のように光合成をする生物を新たに創りだす、という研究です。
植物と動物を融合させる研究
 地球に生命が誕生したのは、40億年前になりますが、35億年前にはすでに光合成を行う生命が誕生していました。これはみなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、最古の光合成生物であるシアノバクテリアの祖先です。それらを食べ、体内に取り込むことで様々な藻類がつくられ、植物が生まれていきました。
 ここで、植物と動物の分類の違いについて、確認しておきます。植物と動物の最も大きな違いは光合成をするかしないか、です。しかし、珊瑚や特定のウミウシは動物でありながら光合成を行います。これらの生物は体の中に藻類を取り込み、共生させることで光合成を行い養分を得ています。サンショウウオのように、脊椎動物の中にも体内に藻類を共生させる種類が存在します。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
 これらのような、動物でありながら藻類を体内に取り込み、光合成を行う動物を参照し、植物細胞を取り込んだ動物細胞を新たに創りだす研究が松永先生の研究チームにより行われています。動画内では「細胞融合」という、細胞の膜と膜の境界を融合させる方法をご説明されています。細胞融合を正常に機能させるためには、ただ細胞の膜と膜を融合させるだけではなく、それぞれのDNA(ゲノム)を融合させた、ハイブリッド染色体を創る必要があります。そうしなければ、生きた細胞として維持できません。これまでに多くの研究機関でこの細胞融合の研究がなされ、ゲノム操作による新たな生物が創りだされてきました。
 動画内では、トマトとジャガイモのハイブリッド種など、植物同士の近縁種を掛け合わせた農作物がいくつか例として提示されます。それらはあまり市場では成功しなかったようですが、それらのような前例を踏まえ、現在はより有用な遺伝子の形質を選択し、発現させる研究が行われています。
 このように、人間にとってより有用なものを新たに創造することが、科学技術の正当性を担保するものとして、研究の世界を支えています。
もし光合成ができるとどうなる? ーメリットとデメリット
 植物と動物が進化の過程で枝分かれしてから16億年が経ちました。植物と動物を融合させるという松永先生の研究は、地球上の生物の進化の歴史を遡り、生物が植物と動物に分岐する以前の状態に戻すこと、また16億年前に進化の過程で何が起きたのかを探る研究とも言えます。進化の過程を巡る研究は私たちに様々な示唆を与えてくれます。このような研究、技術開発が進むと、私たち人類もいつか光合成ができるようになるのでしょうか。それについては動画内で先生がお話されているので、ぜひ確認してみてください。
 こちらの記事内では、光合成が人間の皮膚上で、ある程度できるようになった場合に考えられる未来の可能性について少しご紹介しようと思います。動画内では、まず先生がいくつかのメリットについてご提案されています。人間が半分植物のように”進化”すれば、その分エネルギー消費量、二酸化炭素排出量も減るので、持続的社会の実現が可能になります。また、光照射によるエネルギー供給が可能になれば、コールドスリープも可能となります。まるでSF映画のように聞こえるかもしれませんが、人間の体を仮死状態にし、光によって最低限のエネルギーを供給することで、長期間の生命維持を可能にし、遠い惑星に進出できるようになるかもしれないということです。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
 しかし、研究者である松永先生は、新しい科学技術に対してメリットと同時にあらゆるデメリットも考慮するべきである、とお話されています。動画内では、ご自身の研究を例にデメリットについても提示されています。さらにこれらのメリット・デメリットについて、特に専門分野外のあらゆる人々と意見を交え、その効果の倫理的側面について考えていかなくてはいけない、と強調されます。ある科学技術が、本来の研究目的とは違った形で利用され最終的に大きな悲劇を招くことは、第二次世界大戦下のロバート・オッペンハイマーをはじめとする数多くの研究者たちの体験としてよく知られています。また、昨今の温暖化現象や、その他種々の社会問題を鑑みると、科学技術の恩恵が諸刃の剣であることは多くの人々が認識するところでしょう。環境問題は、科学技術そのものが問題ではなく、資本主義経済と結びついた結果であり科学自体に罪はない、と考える人もいるかもしれません。しかし、現在の多くの研究の現場では、企業のサポートに依っているところも少なくありません。また、近代から現代に至るまで、研究の世界全体で、有用性や有効性のある研究に資本が投入され、人材もそこに集中してきました。その結果、技術開発のスピードが社会的合意形成よりもはるかに上回り、社会に浸透、実装されてきたと言えるでしょう。松永先生がされているような、知的資産の蓄積を目的とした基礎研究はすぐに社会で応用されるわけではありませんが、段階を経ることで、その研究成果や知見を活かした応用技術が実際に社会実装されることもあります。
 研究者が自由に研究をするためには、その研究内容や成果について研究者自身が責任を持たなければなりません。松永先生のおっしゃる、「あらゆる分野の人々と対話し、考えること」は、1つの科学技術に対して、どのように使用、管理していくべきかをみなで考え、地球上の生物や環境を守り、維持していくことにあらゆる人々が関心を持つことに繋がっていきます。
 ”ある技術をどのように使用するか”、という問いはシンプルでありながら様々な問題を内包した問いであると言えるでしょう。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
生物種の謎
 ヒトとチンパンジーのDNAの違いはわずか1.2%しか違わないそうです。しかし、私たち人間とチンパンジーの違いとは、その約1%に集約されるのでしょうか。生物種とは一体何なのか、この問いに対する答えはまだ出ていません。松永先生が研究されている合成生物学という研究分野の目的は「新しい生物種を創りだすこと」であり、それは地球上に存在する”生物種とは何か”という深淵な問いを追求することに他なりません。研究の進捗によっては、数十年後に新しい生物種がいくつも創製されていることが予見されます。これまでにも人類は、長い年月をかけ人工的な交配によって新たな生物種を創りだしてきましたが、それらは近縁種による交配に限られていました。合成生物学は、全く違う種同士を組み合わせ、互いの有用な遺伝子のみを発現させる技術研究です。新しい研究分野であり、食糧不足などの現在の地球規模の社会問題を解決する糸口となるような可能性を秘めた分野でもあります。しかし、動画内で松永先生がご自身の研究で得られる成果のデメリットもご提示されたように、これまでの生物体系の概念を大きく覆すようなことが起きてくることも考えられます。みなさんもぜひこちらの動画をご覧いただき、生命科学研究における可能性、その正負、両側面からの思索を巡らせてみてください。
https://youtu.be/c8BuaswvJCc?si=eRVoqXxEjXQkxCZN
今回紹介した講義:第135回(2022年秋季)東京大学公開講座「境界」 植物と動物の融合から生じる研究と倫理の境界 松永 幸大先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
〈文/みの(東京大学学生サポーター)〉
2024/12/23
東京大学で行われた公開講座や講演の映像をお届けしている東大TVでは、より多くの方に興味を持ってもらうべく、今年(2024年)から「ぴぴりのイチ推し!」と題して動画の概要を紹介するコラム記事の投稿を始めました。1周年を迎えたということで、本記事では、特に人気の記事をランキング形式でご紹介します。ぴぴりのイチ推し!を初めて読むという方は面白い記事を見つける機会に、普段から読んでくださっている方は再発見や復習の機会に、ぜひお楽しみください!
なお、東京大学の講義映像を公開しているUTokyo OCWのコラム「だいふくちゃん通信」でも今年のアクセス数ランキングを紹介しています。ぜひこちらもご覧ください!2024年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング
2024年ぴぴりのイチ推し!アクセスランキング TOP5
これまで公開されたぴぴりのイチ推し!の記事は18本でした。まずは、その中から特にアクセス数の多かった記事TOP5をご紹介します!(集計期間:2023年12月1日〜2024年11月30日)
第5位 【名探偵とは詩人である】エドガー・アラン・ポーにおける「想像力」とは?
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4269/   コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2010_koukaikouza_hiraishi/  
世界的に知られる推理小説家 エドガー・アラン・ポーの小説家・詩人としての活躍を通して「想像力」について深堀りしていきます。「想像力」とは何なのか、そしてエドガー・アラン・ポーの何がすごいのか、気になる方はぜひ記事や講義をご覧になってください。
第4位 【なぜ貞子は怖いのか】映画『リング』から映像と視覚の謎に迫る
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5182/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2018_komabakoukaikouza_takemine/ 
日本のホラー映画の代表作『リング』といえば、見たことはなくとも名前は聞いたことがあるという方や、登場人物の「貞子」なら知っているという方が多いでしょう。記事・講義では、『リング』の怖さをテーマに、「映画を見る」とはどういうことなのかについて分析がなされています。映画をはじめ「見ること」の分析を通じ、ホラー映画の怖さの秘密について、皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?
第3位 これから哲学を学ぶ人へ【ギリシア哲学のイントロダクション】
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5966/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2022_friday_noutomi/ 
哲学と聞くとギリシア哲学を思い浮かべる方は少なくないでしょう。そんなギリシア哲学の歴史や思考について学ぶことで、哲学の世界の入り口に立ち、「『哲学』を学ぶとは何か」について知ることができるかもしれません。哲学に触れたことがない方や敬遠してきた方でもきっと楽しむことができる記事です。また、講義はYoutubeで34万回再生されている人気の動画となっています。
第2位 【日本語と英語で見える世界が違う?】直訳はなぜ問題があるのかー言語によって異なる認知モード
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5515/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2020_friday_watanabe/ 
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」という川端康成の小説『雪国』の冒頭文を英語に訳すとどうなるのか? という導入から始まるこちらの記事。日本語や英語、フランス語などの文法・表現の違いという側面から、「認知モード」の違いについて考えています。認知モードの違いを知ることは、言語習得のコツにもなるかもしれません。
記念すべきぴぴりのイチ推し!1本目のコラムが2位にランクインしました。
第1位 【地球以外の星には生命体がいるのか?】生命の起源の謎に迫る
講義動画はこちらから: https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5511/   コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2020_friday_totani/ 
記事タイトルにもある「地球以外の星には生命体がいるのか?」という問いについて考えるため、「生命の起源の謎」に迫った講義・記事です。
記事で紹介している講義を担当された戸谷友則先生はメディアや書籍などでも積極的に発信されており、難しそうな(というか難しい)テーマを分かりやすく面白く紹介されています。
そんな講義をうまくまとめ、宇宙や生命についてもっと知りたいと思わせてくれるこちらの記事が、納得の1位となりました。
番外編 その1 おすすめ記事3選
比較的最近公開された記事はなかなかランキングに入り辛いのですが、面白いものが多くあります。
そこで、ここでは当ランキング記事執筆者が独断と偏見で選んだおすすめ記事をご紹介します。
【差別と多様性】カーストの特異性
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5783/     コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_friday_tanabe/    
インドのカースト制度といえば誰しも知るところですが、現代のインドはどうなっているのでしょうか?今年人口が世界一になったといわれているインド。そんなインドの社会構造や多様性について学ぶことで、急成長を遂げているインドのことを知ることができます。また、インドの多様性を理解することで、現代の日本や欧米の抱える問題も見えてくるかもしれません。
「中央ユーラシア」から見る新しい世界史
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5797/      コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_friday_sugiyama/     
東アジアとヨーロッパに挟まれた草原地帯と砂漠地帯を中心とする「中央ユーラシア」。
紀元前から現代まで、多くの人が行き交い重要な役割を果たしてきたエリアですが、「世界史」の授業で深く学んだという方は多くないかもしれません。
そんな中央ユーラシアを中心に世界史を考えるという新しいアプローチを紹介しています。
実際にモンゴルに行ったことがある筆者の熱い想いも伝わってくる記事になっています。
日本のうなぎを守る!
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4487/       コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2014_unagi_symposium2/      
皆さん、うなぎは好きですか?好きですよね??とってもおいしいうなぎですが、絶滅の危機に瀕していることも皆さんご存知でしょう。こちらの記事では、そんなうなぎを守るための、研究者、生産者、流通などさまざまな立場の取り組みを紹介した講演をまとめています。大学の先生だけでなく、実際に現場で活躍されている方の講演を聞けるのも、東大TVの魅力の一つです。うなぎの現状やうなぎを守る取り組みを知るだけでも、未来のうなぎを守る一助になるかもしれません。
番外編 その2 アクセスランキング第6位〜10位
惜しくもTOP5を逃した記事を紹介します。もちろんこちらの記事も面白いものばかりなので、ぜひご覧ください。
第6位 【地震の予測はなぜ難しいのか?】地震研究の大変さを知る
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5320/  コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2019_koukaikouza_kouketsu/ 
第7位 【悲惨な歴史の舞台を観光する】ダーク・ツーリズムについて考える
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5242/  コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2019_tokyocollege_andrew/ 
第8位 【農学部出身の女性たちのその後の進路とは!?】オープンキャンパスで聞く農学女子の最前線
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5434/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2020_nougakukeijoshi-saizensen/ 
第9位 学校が「障害」を作り出す!?インクルーシブ教育の未来を考える
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5843/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_koukaikouza_kokuni/ 
第10位 【「だます」のは悪か?】歴史における「語り」と「騙り」
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4230/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2011a_koukaikouza_kojima/ 
2025年もぴぴりのイチ推し!をよろしくお願いいたします
今年から始まった「ぴぴりのイチ推し!」ですが、すでに多くの方に読んでいただき、ランキングで1位となった「【地球以外の星には生命体がいるのか?】生命の起源の謎に迫る」は東大TVサイトのトップページと講義検索ページの次に高いPV数(16,302PV)となりました。来年は、さらに多くの記事をより多くの人に楽しんでいただき、東大TVを盛り上げていきたいと思います。
東大TVには中高生向けの動画なども多くあるので、ぜひ多くの世代の方に、東京大学や東京大学で行われている研究の面白さを知っていただけたら幸いです。ぜひ引き続きお楽しみください!
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/12/05
今年、2024年の夏頃から、日本では「米不足」が話題になり、ニュースでもさかんに報道されました。スーパーマーケットなどの商店で入手しにくくなっただけでなく、値段も上がりました。お米といえば和食には欠かせない主役の食材なので、多くの人が困ってしまいました。
今回ご紹介する講義は、そんなお米の素晴らしさを教えてくれる『和食の中心〜米と魚』です。この講義は、2015年に開催された『農学部公開セミナー 第48回「食卓を彩る農学研究」』にて、潮秀樹(うしおひでき)先生が担当したパートです。
途中、日常で聞き慣れない薬品や化学物質の名前が登場しますが、分かりやすい図や、先生のゆったりした口調とユーモアたっぷりの説明で、楽しくご覧いただけると思います。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
まず和食とは?
和食と言えば、こんなちゃぶ台で食べるイメージがあるでしょうか。アニメの『サザエさん』でお馴染みの、昭和の食卓です。実際にこのような食卓を大人数の全員で囲んでお食事をしているお宅は、現在、とても減っていると思われます。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
このような食卓に並ぶ典型的な和食といえば、次のようなメニューが挙げられるでしょう。「なんだ、毎日のように食べているものじゃないか」という感想を持つ人もいれば、「近頃はこんなにきちんと用意して食べていないなぁ」と感じる人もいるでしょう。(筆者は、一番に民宿や旅館の朝ごはんを思い出しました。)
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
和食は、なんと、平成25年(2013年)にユネスコの無形文化遺産に登録されました。それまで、既にフランス・地中海・メキシコ・トルコの食事が登録されており、そこに新たに加わることができました。(本講義の後には、韓国のキムチ、トルココーヒー、ジョージアのクヴェヴリなどが登録されており、2024年に新たにタイのトムヤムクンや日本酒が加わることが決定しました!)和食については、その食材の多様さや、自然や年中行事を重んじるバックグラウンドといった特色が評価されました。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
登録されたこと自体はたいへん喜ばしいことですが、決して日本中の誰もが日常的に盛んに「和食」を作って食べているわけではないのが現状です。ちなみに、筆者は2024年度の『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』の収録に携わっていましたが、農学の高橋伸一郎先生の回でも、「文化遺産に指定されるということは、失われつつあるということだから、喜んでばかりもいられない」という主旨のことが述べられていて、とても記憶に残っていました。(よろしければ、そちらの動画も「食」について詳しく説明しているので、あわせてご覧ください!)
主役「お米」の強みを知ろう
さて、和食の中でも、最も中心をなしてきた食材は、お米です。ただし、現代人の我々が食べているような白米については、庶民がなかなか口にできなかった時代もあり、ヒエやアワなど他の穀類がそのパートを担うこともあります。お米は、その貴重さから、税として納められていた時代もあります。
しかしながら、日本人の食生活が徐々に変化していることが影響して、お米の摂取量は減ってきています。伴って、生活習慣病は増加傾向にあります。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
講義では、ここからインスリン感受性とお米との関係——すなわち糖尿病とお米を食べることの関係、またそれらを研究する実験の結果などを詳しく説明していますが、ここでは省略します。ぜひ、講義をご覧ください。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
とはいえ、お米と健康の関係、皆さんとても気になると思うので、簡単な情報だけご紹介しましょう。
まず、お米の本当の本当に栄養価が高い部分は、精米で落としてしまう部分なのだそうです。精米では、籾殻(もみがら)や胚芽の部分を落としますから、私たちは胚乳の部分だけを食べることになります。お米を生物としてとらえると、本来、より「生きていた」のは外側にあったものたちなので、より多くの栄養素がそちらに含まれているということになります。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
私たちの食卓に届く際には取り除かれていることが多い米糠(こめぬか)ですが、これを摂取するには、いくつかの方法があります。まずは、糠漬けです。先生は、「昔の人というのは、当然データなどは持っていないが、経験に基づいて、分かってこういうものを食べている」と語ります。次に、玄米。玄米は、籾殻だけを取り除いて、糠や胚芽が残された状態です。二日酔いになりやすい人には、玄米が良いとのことでした。(下の写真は、「二日酔いになりやすくて困っている」と挙手してくれた人を、笑顔で歓迎しているところです。)
明日から取り入れられそうな情報のご紹介でした!
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
酒の肴? 「お魚」も忘れずに
その昔、日本では魚類のことを「いを」と呼んでおり、やがて「うお」に変化したといいます。お酒を飲む際、おつまみ——つまり「酒菜(肴)」として魚を食べることが多かったため、「さかな」という発音がそのまま呼び名になったという説もあるようです。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
日本やアイスランドなど、魚の消費量が多い国では、平均寿命が長いそうです。講義では、魚に含まれる栄養素について語られますが、ここでは省略いたします。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
魚には栄養があるので、中国・ヨーロッパ・アメリカなどの国々では「たくさん魚を作って食べよう」という考え方が強くなりましたが、日本では逆行して(洋食が増加して肉を食べる機会が増えたことを受けて)魚の摂取量が減ってきているようです。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
皆さん、ぜひ魚をたくさん食べましょう。
塩分にご注意
和食を食べる際には、気を付けるべきことがあります。それは、塩分の摂りすぎ。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
冒頭で挙げたような典型的な日本食を3食しっかり食べると、1日あたり13gほど摂取することになるそうです。ところが、WHOが2014年に発表した理想的な塩分の推奨量は、成人で「1日あたり5g未満」とのこと。日本では、成人男性が平均11.4g、成人女性が平均9.6gほどの塩分を摂っているそうで、北方ではやや料理の味付けが濃くなるため、13gを超える人もいるようです。これはWHOが示した推奨量よりもかなり多いですね。
先生がご自身で塩分を減らすことを試みたところ、限界は8〜9gだったそうです。つまり、それよりも少ないと、やはり味気なく感じてしまうようです。
では、どうしたら健康的に和食をたくさん食べられるのか。秘密は、「だし」にありました。だしをしっかり取って風味を増すことによって、塩分の方を控えても味気なさを解消できるというわけですね。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
塩分摂取量や栄養については、他にもUTokyo OCWに詳しい講義があるので、よろしければご覧ください。
紹介記事(だいふくちゃん通信):栄養ってどれくらい採れば良い?~観察と実践の疫学~
講義動画:2018年度開講「ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)」より「第5回 栄養疫学の視点から」佐々木 敏 先生
みんなで和食を盛り上げていこう
現代社会では、みんな忙しく、家族揃ってごはんを食べる機会や、しっかりと何品も作って食べる機会が減っていっています。しかし、先生は「食育は子どもだけの問題ではない、大人も自分のごはんを考える必要がある」と言います。ときどきは、しっかりおだしを取って、お米やお魚の料理を食べる機会を増やし、おいしく楽しく文化遺産を守っていきましょう!
ちなみに、下の画像は、先生の前日のお夕飯のメニューで、「やっぱり塩分は少し多め」という、お茶目なお話でした。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
今回のコラムでは、具体的な栄養素や糖尿病予防など化学的な説明を、(説明が長く複雑になってしまうので)省略してしまいました。ぜひ、講義動画で詳しくご覧になって、和食に詳しくなってください。とても分かりやすく解説されているので、心配ご無用です。
https://youtu.be/LUYuhiZghzs?si=ozTyTovuOp0b14-S
今回紹介した講義:農学部公開セミナー 第48回「食卓を彩る農学研究」 和食の中心~米と魚 潮 秀樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文・加藤なほ>
2024/11/28
サスティナビリティについて
“サスティナビリティ”という言葉は皆さんにとっても馴染みのある言葉であり、日本のみならず世界中で広く使われています。それでは、今一度この言葉の意味、使われるようになった背景について考えてみましょう。
言葉の意味と使用背景
サスティナブルな世の中を目指すとは、
・自然環境が維持されながら社会の経済活動も持続される世の中を目指す
ということです。
この目標自体はもちろん素晴らしいものであり、我々がこの先目指すべき姿です。しかしながら、この“サスティナブル”が目指されるようになった背景には、今までの我々の生き方では、自然を壊さずに経済発展を維持するということが難しくなってきたという事実があります。
そのため、どうやらサスティナビリティの追求は、我々の生き方に大きな変更を迫るという認識をする必要がありそうです。
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
今回は東京大学公開講座(2023年春季)「サスティナビリティと人口減少-反出生主義へと向かわせるもの」から、サスティナビリティについて改めて考えてみましょう。講師は、東京大学人文社会系研究科の堀江宗正(ほりえのりちか)先生です。
サスティナビリティと人口抑制
今回の講義でも取り上げられているように、実は“サスティナビリティ”という観点で“人口抑制”というトピックが度々取り上げられてきました。一体どのような点でサスティナビリティと人口抑制が結びついているのか疑問に感じた人も多いのではないでしょうか。この糸口を掴むには、世界の人口の推移に目を向けるとわかりやすいかもしれません。
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
日本の人口減少から学ぶこと
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
世界的に見れば人口は増加の一途を辿っています。しかしながら、出生率が高いアフリカ諸国や、人口が多い国として知られる中国やインドでさえ、出生率の低下や、将来的な人口減少が予測されています。
これらの世界的な傾向から、日本における人口減少・少子高齢化は日本に極端な欠陥があることを意味するものではないと先生は語っています。
むしろ、世界中が目を向けるべき普遍的な問題を孕んでいると言うのです。その普遍的な問題とは一体何なのでしょうか。気になる方は講義動画をご覧になって確かめてみてください。
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
https://www.youtube.com/watch?v=zy3apkkEcmU
今回紹介した講義:第136回(2023年春季)東京大学公開講座「少子化」 サスティナビリティと人口減少-反出生主義へと向かわせるもの 堀江 宗正
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