ぴぴりのイチ推し!

2025/03/31
皆さんは、自分の言葉が、相手に意図しない意味で伝わってしまったことはないでしょうか?逆に、相手の言葉を、意図されてない意味で受け取ってしまったことはないでしょうか?
言葉を介するコミュニケーションの中で、私たちは日々このようなことを経験しています。
時には自分が考えていることですらわからないこともある中で、他者が何を考えているかを理解することは簡単ではありません。
では、私たちが言葉を通して相手を理解するにはどうすればよいでしょうか?
それには相手が意図的に送るメッセージだけでなく、言葉の周囲に埋め込まれたヒントにも目を配る必要があります。
今回は文学を専門とする阿部公彦先生が、言葉から相手を理解するための実践的で具体的な方法を、様々な題材を通じて解説していきます。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 阿部公彦
「声」を聞くとはどういうことか?
声という言葉は、「読者の声」や「政府を非難する声」という場合のように主張や願いを指す意味でも使われます。
相手を理解しようとする、相手の「声」を聞くとはどういうことなのか考えてみましょう。
言葉の起源
言葉は、うなりのような音声、ジェスチャー、絵、から書き言葉まで、さまざまな形をとりながら今も変化し続けています。
しかし、あらゆる言葉的なものに共通しているのは、「媒体(メディア)」に乗って伝えられるということです。例えば、音声であれば音の信号に乗り、書き言葉であれば石や紙に乗って伝えられます。
つまり、相手の「声」を聞くというのは「媒体(メディア)」のかたちを捉えることとも言えるのです。
名作の声を聞く「らくがき式」
突然ですが、皆さんは「らくがき」と聞いて何を思い浮かべますか?もしかすると、あまりよくないイメージを持たれている方も多いかもしれません。
しかし、実はテキストへの「らくがき」こそが文章の声を聞くうえで有効な手段になりうるのです。では早速、「らくがき式」を実践してみましょう。
江戸川乱歩『怪人二十面相』
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 阿部公彦
まずはこちらをご覧ください。テキストにさまざまなツッコミが入っているのがわかります。
「らくがき式」ではこのように気になる箇所、特徴的な箇所に書き込みを入れることからスタートします。
一見難しく感じるかもしれませんが、「何度も繰り返される表現」や「わかりにくいところ」、「違和感を覚えるところ」を意識してみましょう。
実際にやってみると、今回は、・ですます調や「お」天気という表現などの、やけに丁寧な口調・毎日を「毎日毎日」、東京の町を「東京中の町という町」と表現するくどさ・「どんなに」や「誰ひとり」などの副詞を多用する力みなどの特徴が浮かび上がります。
次に、これらの特徴が読者にどのような印象を与えるかを考えてみましょう。
前提として本作品は、江戸川乱歩が初めて子ども向けに書いた作品であることを踏まえると、丁寧な口調は、大人が子どもに語り掛けるようなあたたかみを与えていると言えます。
よく考えてみると、子ども向けの作品ではですます調のような敬体で書かれることが一般的です。例えば、昔々あるところにおじいさんとおばあさんが「いた。」ではなく「おりました。」の方が聞き馴染みがあると思います。
敬体を使う理由は未だ結論付けられていないものの、優しく腰を低くすることで子どもを物語世界に誘い込みやすくしているのではないかと考えられます。(しかし、ある程度年齢があがると、逆にそのような文章では物足りなさを感じたり、嫌味に感じたりするようになります。)
そして、前のめりで力んでいる過剰な語りは、面倒くさくてしつこい、押し売りの気配を感じさせる一方で、語り手が善意にあふれた人なのではないか、とも感じ取ることができます。
それでは、このような印象は作品にどう作用しているでしょうか?
ご存知の方も多いかもしれませんが、本作は探偵小説です。物語では日常生活に犯罪という危機が訪れつつ、名探偵明智小五郎のおかげで元の日常に戻ります。
優しい文章が、このような危機的状況である非日常との間を行ったり来たりするストーリーに安心感を与えていると考えられます。
「らくがき式」の利点と狙い
先の例のように、「らくがき」は、言葉の細部に注目し兆候を可視化することに役立ちます。ここで重要なのは、それにより文章を意味のあるメッセージを伝えるものとしてだけでなく、いろいろな「声」が飛び交う場所だと認識できる点です。
文章には書き手の気分や情緒、精神状態が無意識のうちに現れることもあり、書き手が意図していない意味で伝わってしまうこともあります。例えば、単に忙しいときに簡単に送ったメッセージが、無愛想な印象で受け取られてしまったり…。
しかし、このような自分が想定していない解釈の仕方に気づくのは簡単なことではありません。
「らくがき式」は、多義性を存分に持つ文学作品を「読む」プロセスを自覚することや、自分の「読み」を他者に向けて表現することを通じて、多義性に対する感性を磨くよい練習になり得ます。
告辞の「声」を聞く
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 阿部公彦
今度はより身近な題材である告辞の「声」を聞いてみましょう。こちらは、2020年3月の東京大学学位授与式で当時の五神真総長が述べた告辞の冒頭部分です。
ぜひ実際に読んでみてください。皆さんはどのような印象を受けましたか?
赤字部分に目を向けてみると、「おめでとう」というスタンスが強調されていることがわかると思います。当たり前だと思われるかもしれませんが、よく考えてみると、お祝いの場であることがわかりきっている授与式で、祝いの言葉を繰り返す必要はないのではないか?という疑問が生まれます。
では、なぜ祝いの言葉を省略しないのでしょうか?
ここでポイントとなるのは、情報伝達を目的としない、「挨拶」という行為として言葉が発せられているという点です。
この告辞には、行為としてことばを発することで「私はあなたを祝っているよ」という私とあなたの関係性を樹立し構築する役割があります。この場を持ってさようならという訳ではなく、これからも関係性を続けていこうという意志が伝わります。
そして、挨拶を交わすことは決まり事や約束事の確認でもあります。互いの存在を社会化し、同じ社会にいる、社会という場を共有していることを認識させます。話し手と受け取り手が社会の中である共有された位置を占めていることが確認できるということです。
また、この時間と場を祝うことに費やしているのだと示すことで「今この時間はめでたいときなのである」という場の演出にもつながります。このように、言葉の「声」には情報伝達にとどまらない作用があります。それを意識してみると、普段目に触れる文章の受け取り方が変わるかもしれません。
まとめ
文章を読むとき、皆さんはまず「何」が書かれているかが気になるのではないかと思います。しかし、私たちは知らず知らずのうちに文章の「声」を読み、言葉の周囲にあるヒントを受け取っているのです。
この講義では実例を使いながら、文章の「声」がどのように表現されるか、そもそも文章の「声」を聞くとはどういうことか、を紐解きます。
自分が読みたいものを読むのではなく、相手から聞こえてくるものを読むという立場に立った時、これまで意識していなかった文章の新しい側面に気づくことができるかもしれません。
本記事はここで終わりになりますが、動画では他にも気になる例が紹介されています。約1時間の質疑応答タイムでも、多くの人からあがった質問に先生が丁寧に回答しています。続きが気になる方はぜひチェックしてみて下さい!
https://youtu.be/41Gw6VJXEdA?si=v4PGF7zOmxLJ0RIg
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:2021年度:高校生と大学生のための金曜特別講座 あなたはふだん文章の「声」を読んでいますか? 阿部公彦先生
さらに深く文学について学びたい方は、同センターで開発・開講されているオンライン講座『UTokyo MOOC』の「The Power of Words」を受講することをお勧めします。阿部先生が講師を務め、言葉がどのように力を持ちうるか(続けるか)を、日本文学と英文学に焦点を当てて探求していく講義となっています。こちらは無料で受講できるコンテンツです。
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/03/12
教育とは、何のためにあるのでしょうか。より良い企業に就職して、より良い暮らしを手に入れるためでしょうか。それとも、社会で生きていくために必要な能力を養うためでしょうか。
私たちは、国の制度として義務教育を受けます。それにとどまらず、高等教育機関に進学し、さらなる教育を受ける人も多くなっています。
文部科学省の「大学等進学数に関するデータ」を参照すると、令和5年度の大学、短大、高専、専門学校を合わせた高等教育機関に進学する18歳人口の割合は83.8%だということがわかります。
文部科学省「参考資料集」令和5年9月25日 
このことは、単純に喜ばしいこととして受け取ってよいのでしょうか。
「教育」の意図やその内容というものは、時代や社会によって変化せざるを得ません。例えば、国全体が貧しい時代と、反対に豊かな時代では教育の目的や実際の効果も変わってくるように思います。
だとすると、多くの若者に教育の機会が開かれている現代においては、そうではなかった時代とはまた異なる問題が存在しているのではないでしょうか。
今回紹介する講義を担当するのは、当時東京大学大学院教育学研究科に所属し、現在はオックスフォード大学社会学科の教授をしていらっしゃる苅谷剛彦先生です。
先生は授業の冒頭で、「社会が成熟すればするほど、個人の成熟が難しくなる」と言いました。これは、いったいどういう意味なのでしょうか。
「福祉国家の変容」をキーワードに、読み解いていきましょう。
「経済ナショナリズム」と「福祉国家」
戦後から90年代ごろまでの時代は「経済ナショナリズム」の時代だった、と苅谷先生は言います。「ナショナリズム」とは、国家という共同体に対しての強い帰属意識や、それを標榜する運動のことです。
「経済ナショナリズム」という言葉は、そうしたナショナリズム的思想・運動と「経済」の状況が離れがたく結びついていたということを意味しています。
それはつまり、一国の経済の成長が、その国の人々に豊かさをもたらすという考え方です。単純化すれば、その国のGDPが増加すればするほど、国民はより幸せになれるということです。現代を生きる私たちからするとあまりにも楽観的に映るかもしれませんが、高度経済成長などの時代の流れに牽引され、人々や社会制度は無邪気にも「経済ナショナリズム」を前提としてきました。
「経済ナショナリズム」は、戦後の「福祉国家」という国家のあり方によって後押しされました。
「福祉国家」とは、第二次世界大戦後のイギリスでスローガンとなった「ゆりかごから墓場まで」という言葉に代表されるように、社会保障などの福祉政策を充実させることによって、国家の力で国民の一生を守っていこうとする、国家のあり方です。
そのような福祉国家的な福祉制度の拡充は、「教育」を対象としても行われました。
社会における「教育」の役割
福祉国家体制においては、人々の「平等」が尊重されます。例えば、完全雇用の実現を理想とはしつつも、そこから漏れてしまった人には、社会保障や公的扶助のような富の再配分によって救済する措置が取られるというような、「結果・機会の平等」です。
そうした中で教育は「平等と自由と個人の発達」を担う、極めて重要なものとみなされました。
そもそも教育とは、「子どもが大人になるための過程に関わる社会的な営み」だと、苅谷先生は言います。
子どもとは、「誰でもないが誰にでもなれる」存在です。そんな子どもを「誰か」にしていくのが、近代以降の「教育」なのです。
UTokyo Online Education 福祉国家の変容と「成熟」:大人になることの難しい社会と教育 Copyright 2006, 苅谷 剛彦
伝統社会では、多くの人々が社会的地位や階級によって生まれながらにして将来が決められていました。それに対して、近代社会では「誰にでもチャンスを与える」ことを目標とし、それに向けて「自己実現」の機会としての教育を拡大させていきました。
教育とは、子どもの「自己実現」を、社会の構成員である大人たちが手を取り合ってサポートする制度であるということです。
このように、経済ナショナリズムを実現しようとする福祉国家においては、経済・社会の成長・開発(development)と個人の成長・発達(development)は予定調和的に好循環を生み出していくという前提のもと、教育に力が注がれていきました。
グローバル化と「個人化」
しかし、90年代が近づくと、福祉国家も行き詰まりを見せるようになりました。同時に、経済ナショナリズムも限界を迎えることになります。「グローバル化」の時代が到来したのです。
人・モノ・情報が国境を越えた市場で行き交うようになり、世界中が過酷な経済競争に巻き込まれる中で、国家の方向性も変わっていきました。
人々は国家による規制の緩和を求め、国家も経済成長力を高めるための余念のない政策に切り替えていく必要が生じました。歳出の少ない国家運営が新たな目標とされ、効率化や、福祉予算の削減が行われました。
生涯の面倒を見ていた福祉国家から、「小さな政府」へと転換したのです。
こうした時代の変遷の中で、人々はもはや福祉の力に頼りきりになることは許されなくなりました。
苅谷先生は、こうした動きを「二重の個人化」と呼びます。「個人としての自立」が求められる一方で、そうした個人の行いが「自己責任」として受け取られ、以前のような救済を得ることが難しくなったということです。
そうした時代において教育は、どのように「個人化」の支援をしていくか、ということが問われることとなりました。
子どもの「自己実現」を手助けするという教育の理想は維持され、むしろますます強くなっていきます。「個性」や「自分らしさ」を獲得できなければ、社会を勝ち抜いていくことが難しくなってしまったからです。
このようにして、グローバル化の時代における進路指導は、「自己理解」をし、「自分らしさ」を発揮できる仕事に就き、「自己実現」できる進路を、「自分で選択」する、というように、新自由主義的な個人化の流れに則った形で、従来の教育の理想をむしろ徹底していく形で行われるようになりました。
「自己実現アノミー」と格差問題
こうした流れに押され、高等教育の進学率はますます伸びていきました。
しかし一方で現実には、教育の機会に恵まれているにもかかわらず、競争社会を勝ち抜くことのできなかった人々の存在がありました。
苅谷先生が紹介していたのは2006年当時のものですが、進学率と正比例するようにして、フリーター、若年無業者(いわゆる「ニート」)、非正規雇用者の割合は増加していました。厚生労働省の統計を調べてみると分かりますが、こうした「正規」の労働者から外れた人々の存在は、現在(2024年)に至るまで増加・維持傾向にあります。
過酷な競争や、「自己実現」をしなければならないという圧力に晒され、容赦無く勝者と敗者に振り分けられてしまうというこの状態を、先生は「自己実現アノミー」と呼びました。「アノミー」とは無秩序・無規律を意味する言葉です。
「自己実現」が理想的なゴールとして社会に広く共有されているのにもかかわらず、それを達成する手段や機会が十分に与えられていないことにより、「望ましい生き方」と「現実」との間にギャップが生まれてしまっているということです。
こうした状況は、「ワーキングプア」の問題のように、現在に至るまで継続しています。また、仮に「自己実現」のできる職業につけたとしても、「やりたい仕事」なのだから過重労働でも文句は言えないだろうという理由で長時間や低賃金の労働を強いられてしまう「やりがい搾取」の問題も見過ごせません。 
教育の機会が開かれたことや、教育が本来理想としていること自体は、喜ばしいことなのかもしれません。しかしそれがこのように、競争の激化や「自己実現」・「個性」を持たなければならないという圧力に変わって、若者を中心とする人々を苦しめている現状があります。そこには、教育だけでなく社会・経済を含む時代的な状況・構造があることを見過ごしてはなりません。
今回の講義は2006年に行われたものですが、それから20年近くが経過する現在、こうした社会と教育についての状況は、どのように変化したでしょうか。今改めて、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
公開講座
こちらの講義は、2006年開講の東京大学公開講座「成熟」で行われました。
https://youtu.be/vmS9GZcl17k?si=yJ_8FS0Hre2DZFID
今回紹介しました苅谷先生の講義以外にも、戦後社会の福祉や経済の「成熟」にまつわる課題を扱ったものがありますので、併せてご覧になると参考になるかと思います。
東大TVでは過去の公開講座の模様を公開しておりますので、興味のある講義があればぜひご覧ください。
東京大学公開講座:東大TV Youtube再生リスト 
<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「成熟」 福祉国家の変容と「成熟」:大人になることの難しい社会と教育 苅谷剛彦先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/02/27
これまでの人生で、生き物を殺したという経験はありますか?おそらく、確信を持って「私は殺したことはない」と言い切れる人は少ないのではないかと思います。もし言い切れたとしても、誰かの手によって殺された生き物を生活の中で消費する限り、私たちは、間接的とはいえ動物の殺しに関わっているといえます。「殺し」は私たちが生きていく上で避けることのできない行為なのです。
しかし、だからといってそうした「殺し」を仕方がないこととして割り切れるわけではありません。生きていくためとはいえ、他の命を殺すという行為が避けられないことは、私たちに罪悪感をもたらすかもしれません。
人間の文化には、そうした罪悪感を処理するために、動物を「供養」するという営みがあります。まるで死んだ人間を弔うように、動物の中に「霊魂」のような存在を認め、それらを慰霊することによって、湧き上がる罪の意識と折り合いをつけてきたのです。
しかし、そうした動物の「供養」とは、人間にとって普遍的なものなのでしょうか。また、動物を人間のように供養しなければならないとする価値観は、疑いようもなく正しいものとして全体的に信頼してもいいのでしょうか。
今回紹介する講義は、東洋文化研究所で民俗学を研究されている、菅豊先生によるものです。民俗学の知見から、「供養」や「動物の殺し」をめぐる文化を、批判的な視点で捉え直してみましょう。
「供養」の文化
私たちの生活は、「殺す」ということを通じて成り立っています。「殺す」とは、生き物の生命を絶つということです。「生き物」や「生命」という言葉をどの範囲で定義づけするかは難しく、議論の分かれるところではありますが、少なくとも我々の生活がその「殺し」によって成立していることには同意していただけるのではないでしょうか。
しかし、私たちが皆一様に「殺し」を担っているわけではありません。多くの人々は「殺す」という行為を、それを担う一部の専門的な職業の人々に外部委託することによって「殺し」を意識せずとも生活を送ることができているのです。私たちの生活は、その維持に不可欠な「殺し」を直接的に担う他者に依存して成り立っているといえます。
例えば、動物を猟師や畜産家が殺し、魚介類を漁師が殺します。そうした人々は習慣化されているために一連の動作として躊躇なく「巧く」殺すことができます。とはいえ、そうした人々が、動物の死、そして自身がその死を招いたという事実に常に冷徹かつ冷静に向き合えるわけではありません。「殺し」の事実は、時として罪悪感や贖罪の意識をもたらします。
「供養の文化」は、そうした感情に巧く向き合うために生み出されました。人々は動物を、人間と同じような仕方で弔うことによって、その罪悪感を鎮めようとしました。つまり、動物を擬人化することが、殺してしまった命を供養するために必要とされたのです。
現代における「供養」の文化の広がり
こうした「供養の文化」やそれに近しい実践は、科学的な知見が溢れる現代社会においても、むしろ盛んになっていると菅先生は言います。
例えば動物のペットを弔うとき、私たちは人間と近しい方法で供養しますよね。それ以外にも、テレビの動物番組が動物に声をあて、まるで人間が話しているかのような「擬人化」を施しているものもみたことがあるのではないでしょうか。
このように、動物を人格的なものとして捉え、扱おうとする思考や習慣は、現代においても繰り返し現れています。
UTokyo Online Education 民俗学から考える動物の恵みと供養 Copyright 2014, 菅 豊
しかしここで、菅先生はその価値観に疑問を投げかけます。供養をするという行為には、その生き物を殺すことや生き物の死を否定的なものと捉える見方があり、それによって、どうにかしてその死を処理しなければならないと考える意識が生まれるのだと考えられます。
民俗学者の中村生雄は、それを「『負』の感情の正当化」と呼びました。私たちには、「殺し」や「死」によって生じる感情を何らかの解釈によって正当化し、合理化したいという意識があります。「供養の文化」とは、そのような要請に応えようとするものでした。
ですが、こうした価値観は、普遍的あるいは必然的、本質的なものなのでしょうか。例えば、別の文化圏に属する人々が動物を殺し、そしてそれに対する供養をしていないように見えたとき、私たちがそれを「罪深い」ことだとか、「野蛮」な行為だとして糾弾することは、正当化されるのでしょうか。
このように考えると、「供養の文化」とは異なる見方を想像する視点が生まれてきそうです。
「供儀」の文化
ここで菅先生は、新潟県村上市大川で見られる伝統的なサケ漁である「コド漁」にまつわるフィールドワークの例を出しながら説明をします。コド漁を巡る魅力的な民俗誌の詳細は講義内で豊富に語られますので、ぜひご覧ください。
重要なことは、「コド漁」に代表されるような文化体系において、対象である動物を殺すことは「罪」のような形で表現されてはいないということです。ここでは、サケ漁を取り巻く人間と動物の関わりを、エビス神・人間・鮭という三者の接触関係という形で説明するのです。
この神話的な語りにおいて、鮭が殺されることはエビス神に捧げられることを意味し、鮭の「本懐」でさえあると説明されます。こうした説明体系の中に位置付けられる人間は、あくまで神・動物・人間という三者関係のひとつのアクターに過ぎず、その中に、現代人が抱くような「殺すこと」や「死」に対する恐怖や罪の意識が存在している訳ではありません。
すると、「殺し」に対する負の感情も、「自然」と「人間」と「超自然(神)」からなる体系から、人間だけを切り離したときに抱く感覚なのではないか、と考えられます。
先ほども紹介しました民俗学者の中村生雄は、こうした文化を「供養の文化」と対比させて「供儀の文化」と呼びました。両者ははっきりと区別できるものではなく、文化の中で混じり合って見出されるものですが、動物を擬人化し弔うことで罪悪感を解消する「供養の文化」とは異なる、自然と真正面から向き合う文化の形も存在するのだ、と菅先生は言います。
殺すことは罪か?
「供儀の文化」を対比させて考えてみたときに、ますます加速する「供養の文化」とそれが浸透した社会とは、どのように考えることができるでしょうか。
例えば20世紀の後半から、「動物の権利」や「動物の福祉」といった言葉が使われるようになったことからも分かるように、動物を人格的に尊重しようとする風潮は強くなっています。そんな中で、現代人は「殺し」を負のものとし、「死」を忌み嫌うものとするまなざしを強化しているのではないか、と菅先生は警鐘を鳴らします。
ここで、菅先生は食肉処理の場面を提示します。食肉処理を行う人々は、生活において不可欠な「殺し」を担う役割を果たしているのにもかかわらず、市井の人々から「負」のまなざしで見つめられ、不当な差別を受けてきました。そのため、従来の屠場(食肉処理を行う場所)は、辺鄙な場所に建てられ、塀を高くすることで俗世間から切り離されてきました。
UTokyo Online Education 民俗学から考える動物の恵みと供養 Copyright 2014, 菅 豊
しかし、こうした眼差しは、食肉として処理される牛を「かわいそうだと考える心情」によって増幅されてきたのではないかと言います。殺される牛を擬人化し、そのことによって、牛を殺す屠場の人々を「かわいそうなことをする人」とみなす視点が、不可分なものとして結びついてしまうーーー「供養の文化」と紐ついた擬人化および贖罪の意識が、動物の「殺し」に携わる人々をあたかも罪人のように扱ってしまう危険性を孕んでいるのではないかというのです。
もちろん、動物を供養することによって救われたり、人格的に扱うことで通じ合ったりする人がたくさんいるであろうことは、言うまでもありません。しかし、「供養の文化」を一面的に肯定することは、動物を殺すことが人間を殺すことに準じる逃れ難き罪であり、負債であるという価値感をまるで当然のことのように受け入れてしまう危険性があり、そうした危うさを見過ごしてはならないのです。
https://youtu.be/ZKSm_YTMPOI?si=W2qcS9BpXee75Utq
公開講座
こちらの記事は、2014年開講の東京大学公開講座「恵み」で行われました。
東大TVでは過去の公開講座の模様を公開しておりますので、興味のある講義があればぜひご覧ください。東京大学公開講座:東大TV Youtube再生リスト 
また、菅先生の別の講義の記事がすでにだいふくちゃん通信の方で公開されていますので、ご興味があればぜひご覧ください。
<文/中村匡希(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:東京大学公開講座「恵み」 民俗学から考える動物の恵みと供養 菅豊先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2025/01/17
 みなさんは生命をデザインする、と聞くとどのように感じますか。 「科学技術を使い、人間にとって都合のよい新たな種の生命を創りだす」というと心理的抵抗を感じる方もいるかもしれません。しかし研究の現場では、日々、様々な研究が行われており、遠くない未来において社会実装されるかもしれない数多くの研究が存在します。
 本記事では、そのような研究の一例として、植物と動物の境界をまたぐ研究、またその研究に付随して発生する倫理問題についての講演動画をご紹介いたします。
 こちらの動画は2022年秋季、「境界」というテーマで開催された東京大学公開講座にて登壇された生命科学研究系の松永幸大(まつながさちひろ)先生の講演動画です。
 松永先生は、動物の中に植物細胞を取り込み、植物的特性を利用した二次共生と呼ばれる細胞を持つ動物の例をもとに、人工的に植物細胞を持った動物細胞を創りだす研究をされています。かみ砕いた表現にすると、動物でありながら植物のように光合成をする生物を新たに創りだす、という研究です。
植物と動物を融合させる研究
 地球に生命が誕生したのは、40億年前になりますが、35億年前にはすでに光合成を行う生命が誕生していました。これはみなさんも聞いたことがあるかもしれませんが、最古の光合成生物であるシアノバクテリアの祖先です。それらを食べ、体内に取り込むことで様々な藻類がつくられ、植物が生まれていきました。
 ここで、植物と動物の分類の違いについて、確認しておきます。植物と動物の最も大きな違いは光合成をするかしないか、です。しかし、珊瑚や特定のウミウシは動物でありながら光合成を行います。これらの生物は体の中に藻類を取り込み、共生させることで光合成を行い養分を得ています。サンショウウオのように、脊椎動物の中にも体内に藻類を共生させる種類が存在します。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
 これらのような、動物でありながら藻類を体内に取り込み、光合成を行う動物を参照し、植物細胞を取り込んだ動物細胞を新たに創りだす研究が松永先生の研究チームにより行われています。動画内では「細胞融合」という、細胞の膜と膜の境界を融合させる方法をご説明されています。細胞融合を正常に機能させるためには、ただ細胞の膜と膜を融合させるだけではなく、それぞれのDNA(ゲノム)を融合させた、ハイブリッド染色体を創る必要があります。そうしなければ、生きた細胞として維持できません。これまでに多くの研究機関でこの細胞融合の研究がなされ、ゲノム操作による新たな生物が創りだされてきました。
 動画内では、トマトとジャガイモのハイブリッド種など、植物同士の近縁種を掛け合わせた農作物がいくつか例として提示されます。それらはあまり市場では成功しなかったようですが、それらのような前例を踏まえ、現在はより有用な遺伝子の形質を選択し、発現させる研究が行われています。
 このように、人間にとってより有用なものを新たに創造することが、科学技術の正当性を担保するものとして、研究の世界を支えています。
もし光合成ができるとどうなる? ーメリットとデメリット
 植物と動物が進化の過程で枝分かれしてから16億年が経ちました。植物と動物を融合させるという松永先生の研究は、地球上の生物の進化の歴史を遡り、生物が植物と動物に分岐する以前の状態に戻すこと、また16億年前に進化の過程で何が起きたのかを探る研究とも言えます。進化の過程を巡る研究は私たちに様々な示唆を与えてくれます。このような研究、技術開発が進むと、私たち人類もいつか光合成ができるようになるのでしょうか。それについては動画内で先生がお話されているので、ぜひ確認してみてください。
 こちらの記事内では、光合成が人間の皮膚上で、ある程度できるようになった場合に考えられる未来の可能性について少しご紹介しようと思います。動画内では、まず先生がいくつかのメリットについてご提案されています。人間が半分植物のように”進化”すれば、その分エネルギー消費量、二酸化炭素排出量も減るので、持続的社会の実現が可能になります。また、光照射によるエネルギー供給が可能になれば、コールドスリープも可能となります。まるでSF映画のように聞こえるかもしれませんが、人間の体を仮死状態にし、光によって最低限のエネルギーを供給することで、長期間の生命維持を可能にし、遠い惑星に進出できるようになるかもしれないということです。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
 しかし、研究者である松永先生は、新しい科学技術に対してメリットと同時にあらゆるデメリットも考慮するべきである、とお話されています。動画内では、ご自身の研究を例にデメリットについても提示されています。さらにこれらのメリット・デメリットについて、特に専門分野外のあらゆる人々と意見を交え、その効果の倫理的側面について考えていかなくてはいけない、と強調されます。ある科学技術が、本来の研究目的とは違った形で利用され最終的に大きな悲劇を招くことは、第二次世界大戦下のロバート・オッペンハイマーをはじめとする数多くの研究者たちの体験としてよく知られています。また、昨今の温暖化現象や、その他種々の社会問題を鑑みると、科学技術の恩恵が諸刃の剣であることは多くの人々が認識するところでしょう。環境問題は、科学技術そのものが問題ではなく、資本主義経済と結びついた結果であり科学自体に罪はない、と考える人もいるかもしれません。しかし、現在の多くの研究の現場では、企業のサポートに依っているところも少なくありません。また、近代から現代に至るまで、研究の世界全体で、有用性や有効性のある研究に資本が投入され、人材もそこに集中してきました。その結果、技術開発のスピードが社会的合意形成よりもはるかに上回り、社会に浸透、実装されてきたと言えるでしょう。松永先生がされているような、知的資産の蓄積を目的とした基礎研究はすぐに社会で応用されるわけではありませんが、段階を経ることで、その研究成果や知見を活かした応用技術が実際に社会実装されることもあります。
 研究者が自由に研究をするためには、その研究内容や成果について研究者自身が責任を持たなければなりません。松永先生のおっしゃる、「あらゆる分野の人々と対話し、考えること」は、1つの科学技術に対して、どのように使用、管理していくべきかをみなで考え、地球上の生物や環境を守り、維持していくことにあらゆる人々が関心を持つことに繋がっていきます。
 ”ある技術をどのように使用するか”、という問いはシンプルでありながら様々な問題を内包した問いであると言えるでしょう。
UTokyo Online Education 東京大学公開講座「境界」 2022 松永 幸大
生物種の謎
 ヒトとチンパンジーのDNAの違いはわずか1.2%しか違わないそうです。しかし、私たち人間とチンパンジーの違いとは、その約1%に集約されるのでしょうか。生物種とは一体何なのか、この問いに対する答えはまだ出ていません。松永先生が研究されている合成生物学という研究分野の目的は「新しい生物種を創りだすこと」であり、それは地球上に存在する”生物種とは何か”という深淵な問いを追求することに他なりません。研究の進捗によっては、数十年後に新しい生物種がいくつも創製されていることが予見されます。これまでにも人類は、長い年月をかけ人工的な交配によって新たな生物種を創りだしてきましたが、それらは近縁種による交配に限られていました。合成生物学は、全く違う種同士を組み合わせ、互いの有用な遺伝子のみを発現させる技術研究です。新しい研究分野であり、食糧不足などの現在の地球規模の社会問題を解決する糸口となるような可能性を秘めた分野でもあります。しかし、動画内で松永先生がご自身の研究で得られる成果のデメリットもご提示されたように、これまでの生物体系の概念を大きく覆すようなことが起きてくることも考えられます。みなさんもぜひこちらの動画をご覧いただき、生命科学研究における可能性、その正負、両側面からの思索を巡らせてみてください。
https://youtu.be/c8BuaswvJCc?si=eRVoqXxEjXQkxCZN
今回紹介した講義:第135回(2022年秋季)東京大学公開講座「境界」 植物と動物の融合から生じる研究と倫理の境界 松永 幸大先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
〈文/みの(東京大学学生サポーター)〉
2024/12/23
東京大学で行われた公開講座や講演の映像をお届けしている東大TVでは、より多くの方に興味を持ってもらうべく、今年(2024年)から「ぴぴりのイチ推し!」と題して動画の概要を紹介するコラム記事の投稿を始めました。1周年を迎えたということで、本記事では、特に人気の記事をランキング形式でご紹介します。ぴぴりのイチ推し!を初めて読むという方は面白い記事を見つける機会に、普段から読んでくださっている方は再発見や復習の機会に、ぜひお楽しみください!
なお、東京大学の講義映像を公開しているUTokyo OCWのコラム「だいふくちゃん通信」でも今年のアクセス数ランキングを紹介しています。ぜひこちらもご覧ください!2024年だいふくちゃん通信アクセス数ランキング
2024年ぴぴりのイチ推し!アクセスランキング TOP5
これまで公開されたぴぴりのイチ推し!の記事は18本でした。まずは、その中から特にアクセス数の多かった記事TOP5をご紹介します!(集計期間:2023年12月1日〜2024年11月30日)
第5位 【名探偵とは詩人である】エドガー・アラン・ポーにおける「想像力」とは?
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4269/   コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2010_koukaikouza_hiraishi/  
世界的に知られる推理小説家 エドガー・アラン・ポーの小説家・詩人としての活躍を通して「想像力」について深堀りしていきます。「想像力」とは何なのか、そしてエドガー・アラン・ポーの何がすごいのか、気になる方はぜひ記事や講義をご覧になってください。
第4位 【なぜ貞子は怖いのか】映画『リング』から映像と視覚の謎に迫る
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5182/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2018_komabakoukaikouza_takemine/ 
日本のホラー映画の代表作『リング』といえば、見たことはなくとも名前は聞いたことがあるという方や、登場人物の「貞子」なら知っているという方が多いでしょう。記事・講義では、『リング』の怖さをテーマに、「映画を見る」とはどういうことなのかについて分析がなされています。映画をはじめ「見ること」の分析を通じ、ホラー映画の怖さの秘密について、皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?
第3位 これから哲学を学ぶ人へ【ギリシア哲学のイントロダクション】
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5966/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2022_friday_noutomi/ 
哲学と聞くとギリシア哲学を思い浮かべる方は少なくないでしょう。そんなギリシア哲学の歴史や思考について学ぶことで、哲学の世界の入り口に立ち、「『哲学』を学ぶとは何か」について知ることができるかもしれません。哲学に触れたことがない方や敬遠してきた方でもきっと楽しむことができる記事です。また、講義はYoutubeで34万回再生されている人気の動画となっています。
第2位 【日本語と英語で見える世界が違う?】直訳はなぜ問題があるのかー言語によって異なる認知モード
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5515/    コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2020_friday_watanabe/ 
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」という川端康成の小説『雪国』の冒頭文を英語に訳すとどうなるのか? という導入から始まるこちらの記事。日本語や英語、フランス語などの文法・表現の違いという側面から、「認知モード」の違いについて考えています。認知モードの違いを知ることは、言語習得のコツにもなるかもしれません。
記念すべきぴぴりのイチ推し!1本目のコラムが2位にランクインしました。
第1位 【地球以外の星には生命体がいるのか?】生命の起源の謎に迫る
講義動画はこちらから: https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5511/   コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2020_friday_totani/ 
記事タイトルにもある「地球以外の星には生命体がいるのか?」という問いについて考えるため、「生命の起源の謎」に迫った講義・記事です。
記事で紹介している講義を担当された戸谷友則先生はメディアや書籍などでも積極的に発信されており、難しそうな(というか難しい)テーマを分かりやすく面白く紹介されています。
そんな講義をうまくまとめ、宇宙や生命についてもっと知りたいと思わせてくれるこちらの記事が、納得の1位となりました。
番外編 その1 おすすめ記事3選
比較的最近公開された記事はなかなかランキングに入り辛いのですが、面白いものが多くあります。
そこで、ここでは当ランキング記事執筆者が独断と偏見で選んだおすすめ記事をご紹介します。
【差別と多様性】カーストの特異性
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5783/     コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_friday_tanabe/    
インドのカースト制度といえば誰しも知るところですが、現代のインドはどうなっているのでしょうか?今年人口が世界一になったといわれているインド。そんなインドの社会構造や多様性について学ぶことで、急成長を遂げているインドのことを知ることができます。また、インドの多様性を理解することで、現代の日本や欧米の抱える問題も見えてくるかもしれません。
「中央ユーラシア」から見る新しい世界史
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5797/      コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_friday_sugiyama/     
東アジアとヨーロッパに挟まれた草原地帯と砂漠地帯を中心とする「中央ユーラシア」。
紀元前から現代まで、多くの人が行き交い重要な役割を果たしてきたエリアですが、「世界史」の授業で深く学んだという方は多くないかもしれません。
そんな中央ユーラシアを中心に世界史を考えるという新しいアプローチを紹介しています。
実際にモンゴルに行ったことがある筆者の熱い想いも伝わってくる記事になっています。
日本のうなぎを守る!
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4487/       コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2014_unagi_symposium2/      
皆さん、うなぎは好きですか?好きですよね??とってもおいしいうなぎですが、絶滅の危機に瀕していることも皆さんご存知でしょう。こちらの記事では、そんなうなぎを守るための、研究者、生産者、流通などさまざまな立場の取り組みを紹介した講演をまとめています。大学の先生だけでなく、実際に現場で活躍されている方の講演を聞けるのも、東大TVの魅力の一つです。うなぎの現状やうなぎを守る取り組みを知るだけでも、未来のうなぎを守る一助になるかもしれません。
番外編 その2 アクセスランキング第6位〜10位
惜しくもTOP5を逃した記事を紹介します。もちろんこちらの記事も面白いものばかりなので、ぜひご覧ください。
第6位 【地震の予測はなぜ難しいのか?】地震研究の大変さを知る
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5320/  コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2019_koukaikouza_kouketsu/ 
第7位 【悲惨な歴史の舞台を観光する】ダーク・ツーリズムについて考える
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5242/  コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili23_2019_tokyocollege_andrew/ 
第8位 【農学部出身の女性たちのその後の進路とは!?】オープンキャンパスで聞く農学女子の最前線
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5434/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2020_nougakukeijoshi-saizensen/ 
第9位 学校が「障害」を作り出す!?インクルーシブ教育の未来を考える
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_5843/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2021_koukaikouza_kokuni/ 
第10位 【「だます」のは悪か?】歴史における「語り」と「騙り」
講義動画はこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4230/ コラムはこちらから:https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/pipili24_2011a_koukaikouza_kojima/ 
2025年もぴぴりのイチ推し!をよろしくお願いいたします
今年から始まった「ぴぴりのイチ推し!」ですが、すでに多くの方に読んでいただき、ランキングで1位となった「【地球以外の星には生命体がいるのか?】生命の起源の謎に迫る」は東大TVサイトのトップページと講義検索ページの次に高いPV数(16,302PV)となりました。来年は、さらに多くの記事をより多くの人に楽しんでいただき、東大TVを盛り上げていきたいと思います。
東大TVには中高生向けの動画なども多くあるので、ぜひ多くの世代の方に、東京大学や東京大学で行われている研究の面白さを知っていただけたら幸いです。ぜひ引き続きお楽しみください!
<文/おおさわ(東京大学学生サポーター)>
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/12/05
今年、2024年の夏頃から、日本では「米不足」が話題になり、ニュースでもさかんに報道されました。スーパーマーケットなどの商店で入手しにくくなっただけでなく、値段も上がりました。お米といえば和食には欠かせない主役の食材なので、多くの人が困ってしまいました。
今回ご紹介する講義は、そんなお米の素晴らしさを教えてくれる『和食の中心〜米と魚』です。この講義は、2015年に開催された『農学部公開セミナー 第48回「食卓を彩る農学研究」』にて、潮秀樹(うしおひでき)先生が担当したパートです。
途中、日常で聞き慣れない薬品や化学物質の名前が登場しますが、分かりやすい図や、先生のゆったりした口調とユーモアたっぷりの説明で、楽しくご覧いただけると思います。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
まず和食とは?
和食と言えば、こんなちゃぶ台で食べるイメージがあるでしょうか。アニメの『サザエさん』でお馴染みの、昭和の食卓です。実際にこのような食卓を大人数の全員で囲んでお食事をしているお宅は、現在、とても減っていると思われます。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
このような食卓に並ぶ典型的な和食といえば、次のようなメニューが挙げられるでしょう。「なんだ、毎日のように食べているものじゃないか」という感想を持つ人もいれば、「近頃はこんなにきちんと用意して食べていないなぁ」と感じる人もいるでしょう。(筆者は、一番に民宿や旅館の朝ごはんを思い出しました。)
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
和食は、なんと、平成25年(2013年)にユネスコの無形文化遺産に登録されました。それまで、既にフランス・地中海・メキシコ・トルコの食事が登録されており、そこに新たに加わることができました。(本講義の後には、韓国のキムチ、トルココーヒー、ジョージアのクヴェヴリなどが登録されており、2024年に新たにタイのトムヤムクンや日本酒が加わることが決定しました!)和食については、その食材の多様さや、自然や年中行事を重んじるバックグラウンドといった特色が評価されました。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
登録されたこと自体はたいへん喜ばしいことですが、決して日本中の誰もが日常的に盛んに「和食」を作って食べているわけではないのが現状です。ちなみに、筆者は2024年度の『学術フロンティア講義「30年後の世界へ」』の収録に携わっていましたが、農学の高橋伸一郎先生の回でも、「文化遺産に指定されるということは、失われつつあるということだから、喜んでばかりもいられない」という主旨のことが述べられていて、とても記憶に残っていました。(よろしければ、そちらの動画も「食」について詳しく説明しているので、あわせてご覧ください!)
主役「お米」の強みを知ろう
さて、和食の中でも、最も中心をなしてきた食材は、お米です。ただし、現代人の我々が食べているような白米については、庶民がなかなか口にできなかった時代もあり、ヒエやアワなど他の穀類がそのパートを担うこともあります。お米は、その貴重さから、税として納められていた時代もあります。
しかしながら、日本人の食生活が徐々に変化していることが影響して、お米の摂取量は減ってきています。伴って、生活習慣病は増加傾向にあります。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
講義では、ここからインスリン感受性とお米との関係——すなわち糖尿病とお米を食べることの関係、またそれらを研究する実験の結果などを詳しく説明していますが、ここでは省略します。ぜひ、講義をご覧ください。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
とはいえ、お米と健康の関係、皆さんとても気になると思うので、簡単な情報だけご紹介しましょう。
まず、お米の本当の本当に栄養価が高い部分は、精米で落としてしまう部分なのだそうです。精米では、籾殻(もみがら)や胚芽の部分を落としますから、私たちは胚乳の部分だけを食べることになります。お米を生物としてとらえると、本来、より「生きていた」のは外側にあったものたちなので、より多くの栄養素がそちらに含まれているということになります。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
私たちの食卓に届く際には取り除かれていることが多い米糠(こめぬか)ですが、これを摂取するには、いくつかの方法があります。まずは、糠漬けです。先生は、「昔の人というのは、当然データなどは持っていないが、経験に基づいて、分かってこういうものを食べている」と語ります。次に、玄米。玄米は、籾殻だけを取り除いて、糠や胚芽が残された状態です。二日酔いになりやすい人には、玄米が良いとのことでした。(下の写真は、「二日酔いになりやすくて困っている」と挙手してくれた人を、笑顔で歓迎しているところです。)
明日から取り入れられそうな情報のご紹介でした!
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
酒の肴? 「お魚」も忘れずに
その昔、日本では魚類のことを「いを」と呼んでおり、やがて「うお」に変化したといいます。お酒を飲む際、おつまみ——つまり「酒菜(肴)」として魚を食べることが多かったため、「さかな」という発音がそのまま呼び名になったという説もあるようです。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
日本やアイスランドなど、魚の消費量が多い国では、平均寿命が長いそうです。講義では、魚に含まれる栄養素について語られますが、ここでは省略いたします。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
魚には栄養があるので、中国・ヨーロッパ・アメリカなどの国々では「たくさん魚を作って食べよう」という考え方が強くなりましたが、日本では逆行して(洋食が増加して肉を食べる機会が増えたことを受けて)魚の摂取量が減ってきているようです。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
皆さん、ぜひ魚をたくさん食べましょう。
塩分にご注意
和食を食べる際には、気を付けるべきことがあります。それは、塩分の摂りすぎ。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
冒頭で挙げたような典型的な日本食を3食しっかり食べると、1日あたり13gほど摂取することになるそうです。ところが、WHOが2014年に発表した理想的な塩分の推奨量は、成人で「1日あたり5g未満」とのこと。日本では、成人男性が平均11.4g、成人女性が平均9.6gほどの塩分を摂っているそうで、北方ではやや料理の味付けが濃くなるため、13gを超える人もいるようです。これはWHOが示した推奨量よりもかなり多いですね。
先生がご自身で塩分を減らすことを試みたところ、限界は8〜9gだったそうです。つまり、それよりも少ないと、やはり味気なく感じてしまうようです。
では、どうしたら健康的に和食をたくさん食べられるのか。秘密は、「だし」にありました。だしをしっかり取って風味を増すことによって、塩分の方を控えても味気なさを解消できるというわけですね。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
塩分摂取量や栄養については、他にもUTokyo OCWに詳しい講義があるので、よろしければご覧ください。
紹介記事(だいふくちゃん通信):栄養ってどれくらい採れば良い?~観察と実践の疫学~
講義動画:2018年度開講「ワンヘルスの概念で捉える健全な社会(学術俯瞰講義)」より「第5回 栄養疫学の視点から」佐々木 敏 先生
みんなで和食を盛り上げていこう
現代社会では、みんな忙しく、家族揃ってごはんを食べる機会や、しっかりと何品も作って食べる機会が減っていっています。しかし、先生は「食育は子どもだけの問題ではない、大人も自分のごはんを考える必要がある」と言います。ときどきは、しっかりおだしを取って、お米やお魚の料理を食べる機会を増やし、おいしく楽しく文化遺産を守っていきましょう!
ちなみに、下の画像は、先生の前日のお夕飯のメニューで、「やっぱり塩分は少し多め」という、お茶目なお話でした。
UTokyo Online Education 農学部公開セミナー 2015 潮 秀樹
今回のコラムでは、具体的な栄養素や糖尿病予防など化学的な説明を、(説明が長く複雑になってしまうので)省略してしまいました。ぜひ、講義動画で詳しくご覧になって、和食に詳しくなってください。とても分かりやすく解説されているので、心配ご無用です。
https://youtu.be/LUYuhiZghzs?si=ozTyTovuOp0b14-S
今回紹介した講義:農学部公開セミナー 第48回「食卓を彩る農学研究」 和食の中心~米と魚 潮 秀樹先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文・加藤なほ>
2024/11/28
サスティナビリティについて
“サスティナビリティ”という言葉は皆さんにとっても馴染みのある言葉であり、日本のみならず世界中で広く使われています。それでは、今一度この言葉の意味、使われるようになった背景について考えてみましょう。
言葉の意味と使用背景
サスティナブルな世の中を目指すとは、
・自然環境が維持されながら社会の経済活動も持続される世の中を目指す
ということです。
この目標自体はもちろん素晴らしいものであり、我々がこの先目指すべき姿です。しかしながら、この“サスティナブル”が目指されるようになった背景には、今までの我々の生き方では、自然を壊さずに経済発展を維持するということが難しくなってきたという事実があります。
そのため、どうやらサスティナビリティの追求は、我々の生き方に大きな変更を迫るという認識をする必要がありそうです。
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
今回は東京大学公開講座(2023年春季)「サスティナビリティと人口減少-反出生主義へと向かわせるもの」から、サスティナビリティについて改めて考えてみましょう。講師は、東京大学人文社会系研究科の堀江宗正(ほりえのりちか)先生です。
サスティナビリティと人口抑制
今回の講義でも取り上げられているように、実は“サスティナビリティ”という観点で“人口抑制”というトピックが度々取り上げられてきました。一体どのような点でサスティナビリティと人口抑制が結びついているのか疑問に感じた人も多いのではないでしょうか。この糸口を掴むには、世界の人口の推移に目を向けるとわかりやすいかもしれません。
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
日本の人口減少から学ぶこと
UTokyo Online Education  東京大学公開講座「少子化」Copyright 2023, 堀江 宗正
世界的に見れば人口は増加の一途を辿っています。しかしながら、出生率が高いアフリカ諸国や、人口が多い国として知られる中国やインドでさえ、出生率の低下や、将来的な人口減少が予測されています。
これらの世界的な傾向から、日本における人口減少・少子高齢化は日本に極端な欠陥があることを意味するものではないと先生は語っています。
むしろ、世界中が目を向けるべき普遍的な問題を孕んでいると言うのです。その普遍的な問題とは一体何なのでしょうか。気になる方は講義動画をご覧になって確かめてみてください。
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
https://www.youtube.com/watch?v=zy3apkkEcmU
今回紹介した講義:第136回(2023年春季)東京大学公開講座「少子化」 サスティナビリティと人口減少-反出生主義へと向かわせるもの 堀江 宗正
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/11/06
高校生と大学生のための金曜特別講座「カーストとは何か:インドの歴史人類学から再考する」です。講師は、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の田辺明生(たなべあきお)先生です。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 田辺明生
カーストに対する先入観
私たちが“カースト”というワードを聞いたときにまず思いつくのは、それがインドにおける階級制度だということだと思われます。では、インドについてはどのようなイメージを持っているでしょうか?おそらく、非常に広大で、多様な、歴史のある国という想像をするでしょう。そのような国におけるカーストに対して私たちは一般に共通したある先入観を持っている、と田辺先生はおっしゃっています。今回の講義では、カーストを人類学の観点から見つめることで、私たちが持っている先入観を大きく揺さぶることになると先生は語っています。
文化人類学とは
田辺先生のご専門は文化人類学、特に歴史人類学です。歴史人類学では、歴史的な観点と人類学的観点から事象を見つめ、それにフィールドワークを交えて研究を行います。文化人類学を一言で表すと、フィールドワークによる現場の経験を通じ、人間の生活の全体を総合的な視点から理解しようという学問です。つまり、自分の身体をもって、その場、その時の経験をし、その経験を通じて考えていくということです。
カーストから考える人間の平等性・多様性
本講義におけるメインテーマは”カーストから考える人間の平等性・多様性”です。インド世界の魅力の一端はその圧倒的な多様性にあると先生はおっしゃっています。カーストには差別や排除の側面はもちろんあります。しかし、それだけでインド社会を理解しようとすると狭い視点でインドを見つめることとなり、圧倒的な魅力を受容することができないと先生は考えているのです。事実、カーストは多様性を保つための親族・社会制度として機能しており、現代インド社会を構成する重要な役割を果たしているのです。ただ、そこに存在する差別の問題は、人々の平等性と多様性を共に重んじることが大切とされる現代社会においては解決しなければならない課題として我々の前に立ちはだかります。現代社会の課題の一つとして、職場、大学などの社会的環境においてジェンダー、民族、宗教といった人々の多様性をどのように尊重するべきかという問題があります。インドの歴史に見られるように、多様性の重視が人々の平等性を妥協するようなことはあってはなりません。本講義では”多種多様な人間がお互いを尊重して共存するということは如何にして可能なのか?”、“多様性を尊重しつつ、平等であるということはどういうことなのか?”ということを、インドの歴史と社会を見つめることで、解決の糸口を探っていきます。
現代インドをどう捉えるか
インドに対するかつてのイメージ
1970-80年ごろまでのインド研究においては、「なぜ民主化と経済発展が進展しないのか」という問いが課題とされ、「ヒンドゥー教やカーストによる差別的な社会構成」があるからということが、その答えとされてきました。インドの停滞を説明するためのものとして「ヒンドゥー教」や「カースト」という枠組みが引用されていたのです。社会学者のマックス・ヴェーバーは著書『「永遠の差別秩序」としてのインド世界』において、”インド社会においては“人権“なんて存在し得ない”と論じていました。また、文学博士の ルイ・デュモンは著書『「ホモ・ヒエラルキクス(階層的人間)」としてのインド人』において、“インドの人間はホモ・ヒエラルキクス(階層的人間)であり、それに対してヨーロッパの人間は水平的人間である”と語っています。これらヨーロッパの知識人の間で行われたインド研究においては、”インドには階層・差別が存在し、我々ヨーロッパがより平等であり、より人権を重視した、より優れた社会である”という前提が存在していました。しかしながら、本当にそうなのでしょうか?
変容を遂げる現代インド
現在、インドは大きく変わっています。かつての“貧困と差別のインド”というイメージから“成長力のある多様性社会のインド”へと変化しています。“貧困と差別にあえぐ閉じられたヒエラルキー社会”という枠組みを大きく越え、“成長力を持つ開放的な多様性社会”という顔を有するに至っているのです。ただしこれは、現実が急速に格差と不平等の解消に向かっているということではありません。もちろんいまだにカースト差別、あるいはジェンダー差別なども厳しいものがあります。しかしながら、だからこそ人々はそういった差別に対して、批判をし、不平等の克服という試みが非常に活発に行われているのだそうです。執拗に続く格差と不平等の克服への試みとして、多様な民衆の公共的な参加が実現しつつあり、それが政治的にも経済的にも変化を促す大きな活力となりつつあるということなのです。“多様性と平等性を同時に実現することはいかに可能か?”という問いはインドにとって切実な問いであり、地球社会にとっても重要な問いです。インド世界においては、誰も同じようになりたいと思っておらず、人々はそれぞれ“私は私のように生きたいと”思っています。“それぞれが自分の生き方を探求しながら、しかし、自分の生き方によって差別されないような社会はどういうものなのか”という問いをすることは非常に重要なのです。
多様性と平等性の同時の実現
では、日本における多様性と平等性はどのようなものでしょうか。日本では、みんなが同じようであらなければならないという同調主義が存在し、この構造を非常に苦しい社会だと先生は考えています。そのため、“日本は「平等性」という観点においては、ある程度インド社会と比べると優れているかもしれないが、「多様性」については非常に大きく劣る”と先生は述べています。だからこそ今、日本、あるいは欧米においても、多様性の尊重が声を上げて言われるトピックであり、多様性と平等性の同時の実現は、地球社会全体にとって極めて重要な、切実な問いなのです。
多様性と平等性をめぐるインド世界の可能性と失敗
ー『悲しき熱帯』から学ぶー
文化人類学者のレヴィ=ストロースは、著書『悲しき熱帯』にて、インドについて多様性と平等性の同時の実現ができなかった失敗例として述べていおり、彼は、カースト制度における平等性と多様性の実現の理想的な形を以下のようにまとめています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 田辺明生
今の欧米における人種差別の問題が大きく出ているということは、かなり昔にインドが経験した失敗を、今、ヨーロッパ、欧米が経験していることを意味するのです。そのため、インドは我々の遅れた過去と見るべきではないのです。むしろ、多様な人々がいかに一緒に暮らせるのか歴史的にずっと早い時期から実験をし、なんとかみんなが違いながら平等であり続ける世界を実現しようとした地域として捉えるべきなのです。そして完全には成功しなかった世界としてインドを見ることで、私たちの未来を考えることに大きく役立つことになると先生は考えています。
インドの思想と価値観
―“存在の平等性“にもとづく多様性の肯定―
従来のインド社会研究は「地位のヒエラルキーと権力による支配構造」に注目が集められていました。しかしながら、より根源的な価値は“存在の平等性“であり、これによって多様性社会は維持されてきたと先生はおっしゃっています。
存在の平等性とは?
“存在の平等性”とは、“この世界の万物は、一なる本質を分有しており、絶対の位相において全ては平等である”ということです。つまり人々は一つの真理を共有しており、その真理のもとではみんな平等であるという考えです。インドの歴史の中で、この思想は、仏教・バクティ(信愛運動)・ヨーガなどさまざまな形で現れてきました。
“カースト“と“存在の平等性”
ここで改めてカーストについて考えてみましょう。冒頭でも述べた通り、カーストと言われると“差別”のイメージを強く持つことでしょう。しかしながら本来、カーストとは内婚集団を意味する言葉です。内婚集団とは、その集団の中でのみ結婚をするというグループです。カーストは、特定の集団の中でのみ結婚をするために、特定の技術、知識が継承されていくという性質を持ち、固有性が保たれるという特徴があります。このように、カースト自体は決して悪い制度ではないのです。ただ、異なるカースト間での差別が問題であり、それをどう解消するかが現代インド社会の課題となっているのです。インドの考える存在の平等性は、一つの真理があり、それは私たちから隔絶した、超越した向こうにあるのではなく、いまここの世界の万物に置いて存在するという理論です。インドの思想の中では、まさにこの“世界の多様性、社会の多様性と平等性の関係はどう言うものなのかをものすごく真剣に考えていた地域だったのです。
多様性の豊かさと差別
多様性の豊かさを探究するという意味で、インドの社会構造は非常に大きな可能性があります。しかしながらそこには、一部の人に対して“同じ人間として扱わない”、いわば“差別”の横行という側面がありました。この負の側面をどう解決していくかを考えることが私たちにとって非常に重要であると先生は語っています。 “あるかたちで振る舞うことが要求される社会がある中で、自分は自分として振る舞えるのがインド社会である”と、多様性を活かしていく、多様性を増やしていく豊かさの考えの魅力を先生はおっしゃっています。この“多様性を肯定する”という考え方の背後には、最終的にはみんな同じ人間なのだ、同じ存在なのだということを認めることにあります。実は、“存在の平等性”は人間だけではなく他のすべての存在者、動植物、岩、山にまで適応される考え方なのです。それぞれは違って、全ては平等であるということを考えるため、この思想は人間社会のみならず、環境問題などにおいても大きな意味をもつ思想なのです。インドの非常に煌びやかで、さまざまな多様性の組み合わせの妙をたのしむような、多様性のアサンブラージュがインド文化の魅力であると先生は述べています。
ーまとめー
多様性と私たちのこれから
その地理的な特性から、インドは多様性の出会う場であり、多様なるものの接触と交流が常に起こっていました。そうした多様なる集団の多様性を維持したまま、共住するためにカースト集団、制度を作っていったのです。その多様性を維持する上で非常に重要な考え方が“存在の平等”という考え方でした。しかしながら、全体をマネージするためにはどうしても、ヒエラルキーや差別が発生してしまうという問題点もありました。注目すべき点は、この問題は、実は現代の日本や欧米も抱えている問題であるということです。
多様性をもたらすことは、これからの私たちの課題であり、その中でどのように差別を克服するのかというのは、私たち自身の問題であると認識する必要があると先生はおっしゃっており、差別の克服方法のヒントとして存在の平等性に基づく多様性の肯定が挙げられるのではないだろうかと語っています。何が私たちは本当に平等なのかを、より根本的・本質的に考えていくことが、これから私たちが多様であり平等である社会のビジョンを作っていくのに重要なのではないかと先生は考えているのです。本記事はここで終わりになりますが、動画では、これらの話題の後に約1時間の質疑応答タイムが設けられており、多くの人からいただいた質問に先生が丁寧に回答しています。皆さんのカーストに対する先入観を覆す動画となっておりますので、続きが気になる方は講義動画をチェックしてみて下さい。
https://youtu.be/ASTHNV_FAdY?si=H0_3-SDBqkpjBiZ1
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:高校生と大学生のための金曜特別講座 カーストとは何か:インドの歴史人類学から再考する 田辺 明生先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
2024/10/18
皆さんは、学生時代に「世界史」を勉強しましたか?「世界史」を学んだ方は、例えばこんな印象を抱いたことはないでしょうか?「◯世でしか区別できない、同じ名前の王が大量に出てくるヨーロッパ史」、「漢字だらけの中国史」、「とにかく情報量が多すぎる近代史」などなど……。特に私たちが高校までに勉強してきたような「世界史」というと、幅広い地域に関する多くの知識をとりあえず覚えるという、暗記科目というイメージが強く残っているかもしれません。ともすれば大国ばかり注目されがちな世界史。ここで、例えばヨーロッパ、中国といった枠組みを取り払って、全く新しい見方で世界史を理解できるとしたら、世界史に対するイメージが大きく変わるかもしれません。今回は、歴史学者である杉山 清彦(すぎやま きよひこ)先生の講義「世界史を中央ユーラシアから見る」から、世界史を捉える新しい枠組みを見ていきましょう。
「中央ユーラシア」という枠組み
「中央ユーラシア」という概念を理解するに当たり、一つ具体例を考えてみましょう。例えば、2021年にアメリカ軍が撤退し、タリバン政権が復権したことで話題となったアフガニスタンという国があります。このアフガニスタン、一体「何アジア」に分類されるのでしょうか。西アジア、南アジア、中央アジア、いくつか考え方がありますが、分類する際の指標・基準は何でしょうか?当事者であるアフガニスタンの人々は一体どのように考えているのでしょうか?
アフガニスタンの地理的特徴についてもう少し見ていきましょう。アフガニスタンの真ん中にはヒンドゥークシュ山脈の延長が横たわっており、人々はそれを取り巻くように居住しています。南側にかけては、国境を跨ってパシュテューン人という民族の世界が広がっていますが、西はイランと繋がっており、北はウズベキスタン、タジキスタンと民族的にも繋がっています。加えて、ヒンドゥークシュ山脈より南側はそのままパキスタンやインドに繋がっており、南アジア的なところとも言えるかもしれません。
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
便宜上、アフガニスタンは現在西アジアに分類されていますが、排他的に「西アジア」と分類してしまうことでこうした側面が抜け落ちてしまいます。そしてユーラシア大陸には、こうした複雑な背景を持つ地域が至る所にあるのです。
ところで、西アジア、南アジア、中央アジアという分類は、(当たり前に思われるかもしれませんが)少なくともヨーロッパではない、ということを意味します。しかし、果たしてそれも本当なのでしょうか。一般的には、ダーダネルス・ボスパラス海峡とウラル山脈の間がヨーロッパとの境目であるとよく言われます。しかし、そこを越えたからといって、ガラッと人の生活習慣が変わるわけではありません。また、アジア内における分類も便宜的なものです。重なっていたり、時期によって変化したりすることもあります。例えば、エジプトはどう考えてもアラブの大国なのに、アジアという分類には入りませんね。これは現在の政治経済の分野においては当然のことかもしれませんが、人文学の分野においては、この整理をそのまま過去に当てはめてもいいのか?という問題が出てきます。杉山先生は、こうした理解を「各国史」的理解とあえて批判的に呼んでいます。
世界史の「各国史」的理解
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「各国史」的理解とは、世界史を個別の歴史の総和として捉える、世界史は各国史に分解できるという整理の方法です。さらにその各国史は、国民国家の枠組みで把握することになります。したがって、杉山先生が例を挙げているように、ベトナム史という概念は存在しますが、チャンパー史というものは想定されていませんし、チベット史というものを真っ先に考える人は残念ながらいないでしょう。しかし、ここまでお読みいただいた方は、そうした歴史的理解は本当に人類の営みの歴史をカバーできるのか?という問題があることにお気づきになるかもしれません。 また、「各国史」的理解にさらに時間の経過が組み込まれると、歴史を中国やヨーロッパなど主だった国や地域の動きの足し算で捉えようとする「試験管型」の世界史となります。こうした考え方は、まさにそれぞれの試験管の中で反応が進んでいるのを見ているようなイメージで、お互いの影響はあまり重視しません。
こうした「各国史」的理解の問題点について、杉山先生は主に3つの観点から整理されています。まず、それぞれの歴史の捉え方が孤立的・単線的なものになってしまいます。また、こうした理解において前提とされる「国境」の概念が前近代では存在しなかったり、現在とは違うものであったり、はたまた国境が頻繁に変わっていたり、という状態が常でした。そして、こうした理解においては、国家同士のお互いの影響が低く見積もられる傾向にあります。
2つ目に、現代における「国家」という枠組みで過去を分断・選択してしまうことで、その枠組みに当てはまらない地域を無視してしまうことになります(杉山先生はこれを反歴史性・超歴史性という言葉で表しています)。
3つ目に、ある地理空間においては、必ずしも住民の話す言葉や文化、信仰、習慣が揃っているわけではなく、その中に別の小集団があったり、その地理空間自体が隣国と重なっていたりすることもあります。「各国史」的理解は、そこを無視することにつながるのです。
一方、ここ最近は、「地域」という言葉を柔軟に使って世界を切り取るというのが共通の理解になってきています。これはある地域について、横の時間軸から可変的・重層的に捉え、地域や社会の住民たちの固有性や自律性を歴史の中に見出していこう、という考え方です。
前近代においては、西のヨーロッパ文明と東の中国文明を軸にした東西交渉史観と呼ばれる歴史観が主流でした。それに対して、近代以前の人類史の大部分を占めてきたユーラシア大陸の人類の活動に焦点を当て、ユーラシア大陸の端の方にヨーロッパや中国といった地域が存在している、という最も広い地域設定をしたのが、中央ユーラシアという考え方です。
UTokyo Online Education 世界史を中央ユーラシアから見る Copyright 2021, 杉山清彦
つまり、中央ユーラシアというのは、ユーラシア大陸の真ん中の部分をピンポイントで抜き取ったものではなく、周りの地域を剥ぎ取った後の残りの地域全部という、広大な概念なのですね。これは、日本では内陸アジア、内奥アジアと言われてきた概念とも近いものですが、ユーラシアEuro+Asiaという名の通り、ヨーロッパとアジアを分けない概念であるということを強調するために用いられています。
北の遊牧民族と南のオアシス民
杉山先生の作成した図を見ると、ユーラシア大陸の地理的構造がわかります。例えば北の方を見ると、東欧は東方から続く草原地帯の延長です。ここはもちろんキリスト教圏であり、ラテン文字やキリル文字が使われていますが、エリアとしては遊牧世界の延長ですね。
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北方に住む遊牧民と南方に住むオアシス民は、基本的には互恵関係にありました。遊牧民は農産物、武器、金属器などをオアシス民との交易により手に入れる一方、砂漠の中で孤立していたオアシス民は、遊牧民たちに対してみかじめ料を払うことで用心棒になってもらっていたのです。そして、軍事力のある騎馬民族が政治的な動きの中心を成しながら、オアシス民がキャラバン貿易で交通・国際商業を担うという体制が揃った時、モンゴル帝国のような強力な遊牧国家が現れたのですね。
このように、中央ユーラシア世界は家畜を財産とする遊牧民の世界と、住めるところに集中して住む農村都市のオアシス民の世界の相互関係をコアとし、その外側の世界と重なり合う周縁部を持つ巨大な二重構造を持っています。さらに、その周縁部は東アジア西北部、南アジア西北部、西アジア東北部・東ヨーロッパ東部と重なり合っており、こうした地域は、人やモノの接触が頻繁に生じ、王朝の興亡が頻繁に起きるなど、歴史の焦点となってきたのです。
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このように、歴史の展開において非常に大きな役割を果たしてきたにも関わらず、彼らはなぜここまで影が薄くなってしまったのでしょうか?その要因として、ヨーロッパで産業革命や軍事革命が起こり、陸上交通と騎馬軍事力の時代から海上交通と火器の時代に、そして家畜から化石燃料の時代に変わったこと、加えて、前近代においては足手纏いだとされてきた人口そのものが国力となる時代が到来したことが挙げられます。こうなると、人口が多い農耕社会が、動きは遅いが国力があるということになり、それまでは少数精鋭が売りだった遊牧民は強みが弱みになってしまったことで、少数民族扱いを受けるようになっていったのです。それまでは中央ユーラシアが独自のまとまりと自律性を持ち、東ヨーロッパの外周に影響を与えていました。外部の意思や力によって左右されていくようになったのは、つい最近の話なのですね。
紀元前から現在に至るまでの歴史を「中央ユーラシア」という新たな視点で捉え直すことは、農耕に立脚してきた日本列島の常識や価値観を相対化し、遊牧民をはじめとする異なる民族の価値観で社会を理解することに繋がります。
ところで、草原の遊牧社会は、現在でも普通に営まれています。例えばモンゴルでは、人口の半分以上は首都のウランバートルに住んでいるものの、それ以外の地域では遊牧民が広く点在し、昔ながらの遊牧生活を送っています。モンゴル人にはどうも自然と「遊牧したい」という感覚があるようで、休暇の時期になると都市を出て、田舎にある実家や知り合いの家まで遊牧をしに帰ってしまいます。彼らからすれば、わざわざ狭い空間に自分たちを閉じ込めて生活している我々のような定住民の文化というのは、奇妙に思われるのかもしれません。自分の住んでいる地を飛び出して、異なる文化や価値観に触れることは、その地の歴史の理解だけでなく、自分と世界の関係を改めて問い直すことを可能にしてくれるでしょう。
https://youtu.be/3b5IJUSDviA?si=WyZfQapcJw4A-zFM
<文/R.H.(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:世界史を中央ユーラシアから見る 杉山清彦先生
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2024/10/04
みなさんは、SNSやテレビなどのメディアで、原子爆弾によって崩れた長崎の浦上天主堂や爆風で折れ曲がった十字架など、第二次世界大戦の頃の写真をカラー化したものをご覧になったことはありますか。70年以上前の戦争は、白黒の写真で見せられると「昔のこと」としてどこか縁遠く感じられる出来事ですが、色付けされることによって、私たちと同じように日常を生きていた人たちの姿、そしてその人たちが見ていた風景がありありと見え、急に身近に、且つリアリティを持って感じられるような気がします。
東京大学大学院情報学環教授の渡邉英徳先生は、AI等を利用した写真のカラー化や、多くの情報をバーチャルリアリティ上に収集・蓄積するデジタルアーカイブ化の活動を通して、戦災・自然災害など「災いの記憶」を私たちに届けてくれます。
https://twitter.com/hwtnv
UTokyo Online Education 記憶を未来につなぐデジタルアーカイブ Copyright 2021, 渡邉 英徳
今回ご紹介する講義では、渡邉先生の活動の一部を、実際のページを見ながら、詳しく解説しています。比較的短めで、中学生・高校生などを含め、専門的な知識が無くてもどなたでも簡単に理解できる内容なので、とてもおすすめです。
このコラムでは、概要をご紹介いたします。
この講義で紹介されるプロジェクト
講義内では、渡邉先生が主宰する研究・プロジェクトとして、次のようなものが紹介されます。いずれも一般公開されているウェブサイトで、皆さんも簡単にアクセスできるものなので、先生の講義を聴きながら、ご自身でもご覧になってみてください。
『ヒロシマ・アーカイブ』https://hiroshima.mapping.jp/index_jp.html
広島市の地図の上に、赤い玉が浮かんでおり、これは、1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下された爆心地の上空を表しています。地図上に浮かんでいる丸いアイコンは、当該時刻にその場所にいた人々のお写真で、クリックすると証言やエピソードを読むことができます。また、四角い風景写真は、過去に撮影された広島市内の建物や道などの写真で、現在の同じ場所の様子と比較することができます。
『沖縄戦アーカイブ〜戦世からぬ伝言』https://okinawa.mapping.jp
1945年の沖縄の地上戦の様子を、沖縄県の地図上に表したものです。白い矢印が男性、赤い矢印が女性・子ども・老人など非戦闘員とされる人たちの個々の動線を表しており、日数の経過とともに移動する様子を辿ることができます。
『忘れない 震災遺族10年の軌跡』https://iwate10years.archiving.jp
東北地方の地図上に、東日本大震災で亡くなった方の最後の行動の動線が表されています。もう一度改めて申し上げると、残念ながら、矢印は全て、亡くなった方の記録です。つまり、彼らがどういった避難行動を取ったのか、または避難行動を取らなかった(もしくは何らかの事情で取れなかった)といったことが見えてきます。その後、ご遺族の方の10年間の移動、すなわち、仮設住宅への入居や転居の繰り返しなどの軌跡も記録されます。
『東日本大震災アーカイブ』https://shinsai.mapping.jp/index_jp.html
2011年3月11日に、東日本大震災が起きて直後からしばらくの間のTwitter(現X)の投稿を地図上に表示しています。どこにいる人が、その当時、その場所でどんなことを考えたのか、その記憶を短い文章の形で焼き付けたものと言えるでしょう。
どんなことが見えてくる?
これらの記録・記憶の集合からは、どんなことが見えてくるでしょうか。
もちろん、今までも、災いを経験した人の手記を読んだり、ドキュメンタリー番組で証言を聞いたり、写真を見たりと、断片的な情報に触れる機会はたくさんあり、その体験はとても大事なものです。しかし、これらのデジタルアーカイブの新しい点・強みになる点は、今まで見えていなかった全体像や実態など、新たな側面を視覚的に認識できるところです。講義の中では、沖縄戦の当時の状況についても、東日本大震災についても、我々がニュースやドキュメンタリーで見知った情報からなんとなく思い描いてたイメージとは、また違った事実がいくつも示されていました。私たちが平和や防災について考える際、過去の被害の実態を正確に把握することが必要です。
また、膨大なデータの収集は、東京大学の研究チームだけでなく、広島女学院高等学校の学生たちや岩手日報など、地元に根差した人たちの努力、そしてもちろん、それを残したいと願う遺族の方々の思いなどがあってこそ成立しているそうです。
UTokyo Online Education 記憶を未来につなぐデジタルアーカイブ Copyright 2021, 渡邉 英徳
渡邉先生は、ロシアとウクライナの戦争が始まって以降は、ウクライナの戦況を衛星写真からデジタルアーカイブしています。先生は、どのような思いから、このように「災い」の記録の活動を続けていらっしゃるのでしょうか。ぜひ、その思いを、講義動画でお聞きください。
https://www.youtube.com/watch?v=2lna4HGQ3mM
<文/加藤なほ>
今回紹介した講義:記憶を未来につなぐデジタルアーカイブ 渡邉英徳先生
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