
2025/07/10
みなさんは、「群れ」という言葉を聞いたとき、どんなものを想像しますか?
サバンナのヌーの大群を想像した人も、空を飛んでいるカラスの群れを想像した人も、はたまた水族館のイワシの群れを想像した人もいるかと思います。
ところで、そもそもなぜ群れというのはできるのでしょうか?
というのも、生き物たちは群れ全体を見渡すことはできません。それなのに、群れはバラバラにはならず全体としてよく統率のとれた動き方をします。
この写真は、敵に遭遇して逃げ惑う鳥の群れを収めたものです。敵に襲われても、散り散りにならずに、群れとしての集団を保ちながら飛び回っています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
ということは、群れには何か秘密があるんじゃないか?群れを構成する生き物の動きには、何か法則があるのではないか?そんなふうに思えてきませんか?
実は、そうした群れの不思議を物理学を用いて解き明かそうとする試みがあります。それが、「アクティブマター物理学」と呼ばれる分野です。これはその名の通り生き物などの「動くモノの集団」を扱う物理学です。
この講義は、東京大学理学系研究科物理学専攻(当時)でアクティブマター物理学をご専門とされている西口大貴(にしぐちだいき)先生が、2021年度に「高校生と大学生のための金曜特別講座」でお話されたものです。西口先生と一緒に、群れの謎を解き明かしていきましょう。
群れを物理学で扱う?
物理学といえば、素粒子とか宇宙とか、日常とはかけ離れたものを対象とするイメージがあるかもしれません。しかし、群れを物理学で扱うのも、実は自然な発想なのです。そのことについて、まず見ていきましょう。
みなさん、蛇口をひねると水が出てきますよね?水というのは、そもそも何でできているのでしょうか?
中高の理科で習ってご存知の方も多いと思いますが、水というのは水分子が集まってできています。水分子は約0.3nmと非常に小さく、ミクロな世界を扱う量子力学に従っています。
一方コップの中の水のようなマクロな世界の運動は、マクロな世界を扱う流体力学に従っています。
このミクロな世界とマクロな世界の架け橋となるのが統計物理学と呼ばれる分野です。統計物理学は、水分子の性質から水の性質を説明できるかといった、ミクロな構成要素とマクロな性質の関連を調べることを目標にしています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
統計物理学の面白い点は、しばしばミクロな構成要素によらないマクロな性質が現れることです。
例えば水と水銀は全く異なる物質ですが、どちらも液体という観点では同じように振る舞いますよね。
なので、群れというマクロな集団にも、それを構成する生き物によらない普遍的な性質があるだろうと予想するのは自然な発想ではないでしょうか?これが、群れを物理学で扱うアクティブマター物理学のモチベーションです。
ミクロな微生物の泳ぎ方
ところで、群れについて考えるためには、群れを作っている生き物一匹一匹がどのように動くかを理解する必要がありそうです。まずは、生き物の動き方を考えてみましょう。
ここでは、あまり身近ではないかもしれませんが、大腸菌などの微生物の泳ぎ方について見ていきます。というのも、実はミクロな世界では物理法則が微生物の泳ぎ方を制限するので、物理学で生き物の運動を考えることができるよい例となるからです。
講義では、ここで面白い質問が投げかけられています。
それは、「帰り道にハチミツのプールの中に落ちたらどのように泳げば良いのか?」です。
もちろん実際に落ちてしまったら大変ですが(プーさんなら喜ぶかもしれません)、あくまで頭の中の実験として考えてみてください。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
実は、ハチミツのようなドロドロの液体では、単純な往復運動では前に進むことができないことが知られています。つまり、足を開いて閉じるような運動では前に進まず、元の位置に戻ってしまうのです。
人間はハチミツのような液体の中で泳ぐことはないのでこれが問題になることはないと思ってしまいそうですが、実は流体力学によると、泳いでいる生き物のサイズが小さいほど、液体をよりドロドロしていると感じることが知られています。
つまり、人間にはさらさらしたように見える液体も、微生物にとってはハチミツのプールの中にいるように感じられるのです。
そのため、微生物たちは、尾をしならせたり、スクリューのように回転させたりして、単純な往復運動にならないように泳いでいるのです。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
つまり、微生物は好き勝手に泳いでいるのではなく、物理学によって泳ぎ方を制限されているのです。
同じように、もしかしたら群れというのも、生き物たちがうまく作り上げているものではなく、むしろ物理学に従うことで自然とできてしまうのかもしれない、そんな予感がしてきませんか?
その答えは次の章でわかることとして、ここまで来れば、最初に投げかけた質問「ハチミツのプールの中に落ちたらどのように泳げば良いのか」に対する回答もわかってくると思います。単純な往復運動を避けるために、しなやかなドルフィンキックや平泳ぎをすれば大丈夫ということになります。
これでハチミツのプールに落ちてもみなさんは大丈夫ですね!
群れを物理学で扱う
ここまで微生物の泳ぎ方を考えてみましたが、いったんそれは忘れて、次に群れはどうしてできるのかについて考えていきましょう。
統計物理学のところで説明したように、群れがどんな生き物で構成されるかによらない普遍的な性質がわかると嬉しいですね。そのために、群れを「自分で向きを決めて動く矢印」の集団と単純化して扱います。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
このとき、動く向きを決める必要があります。ここでは一番シンプルに、一匹一匹の矢印は「近くの仲間の平均の向き」に進むとしましょう。ただし、生き物なので完璧ではなく「少しミスをしてしまう」ことを仮定します。
この設定のもとシミュレーションしてみた結果が下の写真になります。最初はバラバラに動いているように見えた集団も、次第に全体の向きが揃っていくことがわかります。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
実はこれは物理学の言葉でいうと「対称性の自発的破れ」が起こったということができます。
ここでいう対称性とは、回転対称性のことです。回転しても見た目が変わらないときに回転対称であるといいます。
最初はバラバラで回転対称性がありましたが、次第に全体の向きが揃う回転対称性がない状態に移行していきました。このことを「対称性の自発的破れ」と呼んでいるのです。
物理学でよく知られている「対称性の自発的破れ」の一般的性質から、群れについて以下のことがわかります。
群れの向きはランダムに決まる
一度群れの向きが決まると元のバラバラな状態には戻りにくい
群れの進む向きは少しずつ変化することができる
実際に鳥の群れを観察してみると、敵が来たからといってすぐに向きを変えることはできず、少しずつしか群れの向きを変えることができないことが確認できます。
「なぜ群れはできるのか」に対する回答
ここで、最初の質問に対する回答がわかります。
群れはなぜできるのか。それは、最初にばらばらに動いていた生き物たちが「対称性の自発的破れ」という過程により対称性を破り、向きが定まるようになったからなのです。
群れを物理学で扱うことの強みは、このように対称性の自発的破れを通して、どんな群れにも当てはまる普遍的な法則を見つけることができることにあります。
みなさんが水族館でイワシの群れを見つけたら、ぜひ「あ!対称性が自発的に破れている!」と思ってください。これまでとは一味違った自然の見方になるのではないでしょうか?これこそが物理学の醍醐味なのです。
今回紹介した講義:2021年夏学期 高校生と大学生のための金曜特別講座 「生き物の群れと微生物の泳ぎを物理の目線で見てみたら」 西口 大貴先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/近藤 圭悟(東京大学学生サポーター)>
サバンナのヌーの大群を想像した人も、空を飛んでいるカラスの群れを想像した人も、はたまた水族館のイワシの群れを想像した人もいるかと思います。
ところで、そもそもなぜ群れというのはできるのでしょうか?
というのも、生き物たちは群れ全体を見渡すことはできません。それなのに、群れはバラバラにはならず全体としてよく統率のとれた動き方をします。
この写真は、敵に遭遇して逃げ惑う鳥の群れを収めたものです。敵に襲われても、散り散りにならずに、群れとしての集団を保ちながら飛び回っています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
ということは、群れには何か秘密があるんじゃないか?群れを構成する生き物の動きには、何か法則があるのではないか?そんなふうに思えてきませんか?
実は、そうした群れの不思議を物理学を用いて解き明かそうとする試みがあります。それが、「アクティブマター物理学」と呼ばれる分野です。これはその名の通り生き物などの「動くモノの集団」を扱う物理学です。
この講義は、東京大学理学系研究科物理学専攻(当時)でアクティブマター物理学をご専門とされている西口大貴(にしぐちだいき)先生が、2021年度に「高校生と大学生のための金曜特別講座」でお話されたものです。西口先生と一緒に、群れの謎を解き明かしていきましょう。
群れを物理学で扱う?
物理学といえば、素粒子とか宇宙とか、日常とはかけ離れたものを対象とするイメージがあるかもしれません。しかし、群れを物理学で扱うのも、実は自然な発想なのです。そのことについて、まず見ていきましょう。
みなさん、蛇口をひねると水が出てきますよね?水というのは、そもそも何でできているのでしょうか?
中高の理科で習ってご存知の方も多いと思いますが、水というのは水分子が集まってできています。水分子は約0.3nmと非常に小さく、ミクロな世界を扱う量子力学に従っています。
一方コップの中の水のようなマクロな世界の運動は、マクロな世界を扱う流体力学に従っています。
このミクロな世界とマクロな世界の架け橋となるのが統計物理学と呼ばれる分野です。統計物理学は、水分子の性質から水の性質を説明できるかといった、ミクロな構成要素とマクロな性質の関連を調べることを目標にしています。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
統計物理学の面白い点は、しばしばミクロな構成要素によらないマクロな性質が現れることです。
例えば水と水銀は全く異なる物質ですが、どちらも液体という観点では同じように振る舞いますよね。
なので、群れというマクロな集団にも、それを構成する生き物によらない普遍的な性質があるだろうと予想するのは自然な発想ではないでしょうか?これが、群れを物理学で扱うアクティブマター物理学のモチベーションです。
ミクロな微生物の泳ぎ方
ところで、群れについて考えるためには、群れを作っている生き物一匹一匹がどのように動くかを理解する必要がありそうです。まずは、生き物の動き方を考えてみましょう。
ここでは、あまり身近ではないかもしれませんが、大腸菌などの微生物の泳ぎ方について見ていきます。というのも、実はミクロな世界では物理法則が微生物の泳ぎ方を制限するので、物理学で生き物の運動を考えることができるよい例となるからです。
講義では、ここで面白い質問が投げかけられています。
それは、「帰り道にハチミツのプールの中に落ちたらどのように泳げば良いのか?」です。
もちろん実際に落ちてしまったら大変ですが(プーさんなら喜ぶかもしれません)、あくまで頭の中の実験として考えてみてください。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
実は、ハチミツのようなドロドロの液体では、単純な往復運動では前に進むことができないことが知られています。つまり、足を開いて閉じるような運動では前に進まず、元の位置に戻ってしまうのです。
人間はハチミツのような液体の中で泳ぐことはないのでこれが問題になることはないと思ってしまいそうですが、実は流体力学によると、泳いでいる生き物のサイズが小さいほど、液体をよりドロドロしていると感じることが知られています。
つまり、人間にはさらさらしたように見える液体も、微生物にとってはハチミツのプールの中にいるように感じられるのです。
そのため、微生物たちは、尾をしならせたり、スクリューのように回転させたりして、単純な往復運動にならないように泳いでいるのです。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
つまり、微生物は好き勝手に泳いでいるのではなく、物理学によって泳ぎ方を制限されているのです。
同じように、もしかしたら群れというのも、生き物たちがうまく作り上げているものではなく、むしろ物理学に従うことで自然とできてしまうのかもしれない、そんな予感がしてきませんか?
その答えは次の章でわかることとして、ここまで来れば、最初に投げかけた質問「ハチミツのプールの中に落ちたらどのように泳げば良いのか」に対する回答もわかってくると思います。単純な往復運動を避けるために、しなやかなドルフィンキックや平泳ぎをすれば大丈夫ということになります。
これでハチミツのプールに落ちてもみなさんは大丈夫ですね!
群れを物理学で扱う
ここまで微生物の泳ぎ方を考えてみましたが、いったんそれは忘れて、次に群れはどうしてできるのかについて考えていきましょう。
統計物理学のところで説明したように、群れがどんな生き物で構成されるかによらない普遍的な性質がわかると嬉しいですね。そのために、群れを「自分で向きを決めて動く矢印」の集団と単純化して扱います。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
このとき、動く向きを決める必要があります。ここでは一番シンプルに、一匹一匹の矢印は「近くの仲間の平均の向き」に進むとしましょう。ただし、生き物なので完璧ではなく「少しミスをしてしまう」ことを仮定します。
この設定のもとシミュレーションしてみた結果が下の写真になります。最初はバラバラに動いているように見えた集団も、次第に全体の向きが揃っていくことがわかります。
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
UTokyo Online Education 高校生と大学生のための金曜特別講座 2021 西口 大貴
実はこれは物理学の言葉でいうと「対称性の自発的破れ」が起こったということができます。
ここでいう対称性とは、回転対称性のことです。回転しても見た目が変わらないときに回転対称であるといいます。
最初はバラバラで回転対称性がありましたが、次第に全体の向きが揃う回転対称性がない状態に移行していきました。このことを「対称性の自発的破れ」と呼んでいるのです。
物理学でよく知られている「対称性の自発的破れ」の一般的性質から、群れについて以下のことがわかります。
群れの向きはランダムに決まる
一度群れの向きが決まると元のバラバラな状態には戻りにくい
群れの進む向きは少しずつ変化することができる
実際に鳥の群れを観察してみると、敵が来たからといってすぐに向きを変えることはできず、少しずつしか群れの向きを変えることができないことが確認できます。
「なぜ群れはできるのか」に対する回答
ここで、最初の質問に対する回答がわかります。
群れはなぜできるのか。それは、最初にばらばらに動いていた生き物たちが「対称性の自発的破れ」という過程により対称性を破り、向きが定まるようになったからなのです。
群れを物理学で扱うことの強みは、このように対称性の自発的破れを通して、どんな群れにも当てはまる普遍的な法則を見つけることができることにあります。
みなさんが水族館でイワシの群れを見つけたら、ぜひ「あ!対称性が自発的に破れている!」と思ってください。これまでとは一味違った自然の見方になるのではないでしょうか?これこそが物理学の醍醐味なのです。
今回紹介した講義:2021年夏学期 高校生と大学生のための金曜特別講座 「生き物の群れと微生物の泳ぎを物理の目線で見てみたら」 西口 大貴先生
●他の講義紹介記事はこちらから読むことができます。
<文/近藤 圭悟(東京大学学生サポーター)>