コロナ禍を経て、私たちの生活は大きくオンラインへとシフトしました。
オフィスに出社せず自宅で仕事をするテレワークだけでなく、大学の講義においてもオンラインとオフラインを組み合わせたハイブリッド開催が一般化。情報通信技術によって時間や場所に縛られない柔軟な参加が可能になっています。
では、そんな現代において、大学やオフィスに行くことにはどのような価値があるのでしょうか?
一般的には、「オンライン」か「対面」かを対置させ、人と人との繋がりという面からその差異を議論することが多くあります。一方で、建築の歴史や理論を専門とする加藤耕一先生は、ポストコロナ時代には情報通信技術をどう活用していくか、物理空間の価値は何か、両面を考える必要があると言います。
本講義では「情報空間(オンライン)」か「物理空間(オンサイト)」か、という対比で19世紀・20世紀の建築史を比較しながら、人と場所、人と建築、人と都市とのつながりをテーマに、現代における建築・都市空間の役割を考えていきます。
東京大学安田講堂の魅力
本講義も、安田講堂とオンラインのハイブリッド形式で開催されました。
加藤先生は、話者にとって安田講堂は緊張感・高揚感のある場所だと話しますが、それは何に起因するのでしょうか?
まず第一に、安田講堂が東大の象徴で非常に有名であるため、その場で話すことを名誉に感じる点が挙げられます。これは言葉や情報として伝達可能な安田講堂の素晴らしさであり、意味論的・情報的な観点です。
第二に、実際にこの空間を訪れたときに感じるアカデミックな雰囲気により、気分が高揚する点が挙げられます。これは、言葉にできない物質的・体験的な観点です。
前者は、オンライン空間でもバーチャル安田講堂というような形で伝えることができる要素である一方で、後者は実際に空間を訪れて手で触れたり椅子に座ったりすることでしか伝えられない要素だと言えます。
例えば、実際に安田講堂を訪れる自分を想像してみてください。
東京大学の正門を通り、左右に歴史的な法文校舎を臨みながら銀杏並木を抜けると、突き当りに安田講堂が立ち現れます。そして安田講堂の大空間に包まれながら重厚なベロアの椅子に座ります。
そしてそのような一連の体験が、人と場の関係性をつくるのです。
加藤先生は、建築空間や都市空間を考えるとき、このような物質的・体験的価値が今後ますます重要になると話します。
19世紀の都市型公共建築の魅力
安田講堂は1921~1925年に建設された20世紀初頭の建築ではありますが、19世紀的な要素を多分に含んでいます。
パリの19世紀の都市型建築と比較しながら、その魅力について考えてみましょう。
劇場建築
まず例に挙げるのは、パリのオペラ座です。安田講堂と同じように、直線道路と突き当りのモニュメントという形で建っており、この道を進めばたどり着くという高揚感を生んでいます。
そして入場してすぐの場所、エントランスには大階段があります。観客はそれを上ることでオペラという非日常的な体験に向かう特別な気持ちを楽しむことができるのです。
百貨店建築
続いて例に挙げるのは、世界で最初の百貨店と言われているパリの「ボン・マルシェ」。
オペラ座同様、大きな吹き抜け空間があり、エントランスから大階段を上っていく構造です。
現在は改修され、大階段はなくなりエスカレーターに変わっていますが、パリのサマリテーヌ百貨店では現在も吹き抜けと大階段が残っています。
図書館建築
最後に例に挙げるのは、19世紀半ばに開館した歴史上最初の公共図書館といわれる「サント・ジュヌヴィエーヴ図書館」。歴史的な意匠を備えた建築で初めて鉄が大々的に用いられているという点でも重要です。
これらは、王侯貴族から市民の時代へ向かう新しい時代に市民のために作られた公共建築です。
しかし現代において、劇場はテレビ・ネット配信、百貨店は通信販売・Eコマース、図書館はネット書店・電子書籍に代替されようとしています。つまり、ある意味滅びに瀕している建築群であるとも言えるのです。
苦境に立たされているこれらの建築が再び人を惹きつけるにはどうすればよいでしょうか?
加藤先生は、情報通信技術と方向性がバッティングしてしまう、コンテンツやサービスで勝負をしようとするのではなく、物質の軸で考える必要があると言います。
その際に、これらの建築が持つ場所の雰囲気、居心地、高揚感を創り出すものを見つめることで、建築空間としての魅力や人と場所のつながりが見えてくると言うのです。
続いては、それを考えるうえで障壁になる20世紀の建築観について見ていきましょう。
20世紀モダニズムの建築観
20世紀の建築観は、モダニズムと呼ばれる建築運動の中で作られてきた価値観です。モダニズムでは、機能性・合理性・効率性を重視し、建築においてはさまざまな機能を持つこと、どんな用途にも対応すること(ユニバーサルスペース)、経済的合理性、メンテナンスフリーなどが推進されました。
その中で、装飾の否定や規格化・標準化、最小限・低コスト・シンプルを目指す美学が生まれます。
その結果、19世紀の建築が持つ技術性、産業性、機械性は称賛される一方で、過大で高コスト、ラグジュアリーな19世紀の建築空間はモダニズムと対立するものとして否定されていきます。
19世紀の建築観
ここからは19世紀と20世紀の分水嶺となる時期に活躍した建築家アドルフロースの理論を参照しながら、19世紀の建築観について掘り下げていきます。
ロースはたくさんの文章を残していますが、中でも重要なのは19世紀的建築理論の集大成である「被覆の原則について」と20世紀的建築理論の創始ともいえる「装飾と犯罪」です。
ロースは「被覆の原則について」において、19世紀的価値観では布地に囲われた居心地のよい空間が最も重要であること、インテリアデザインありきで建築構造は後から考えるものであることを説明しています。
これは、まず箱としての建築構造があり、その後にインテリアデザインが起こると考える20世紀以降の価値観とは対照的です。
実際に19世紀のインテリアを描いた絵画作品を見ると、ロースが主張する通り、絨毯、カーテンやテーブルクロスなど布地のマテリアリティが強く感じられます。
では、なぜ19世紀には「布地に囲われた居心地のよい空間」が求められていたのでしょうか?
その理由は、産業革命と深く結びついています。
建築史上、産業革命の発明と言えば鉄と蒸気機関です。鉄は建築の構造とデザインを革新的に変化させ、鉄道(鉄+蒸気機関)は都市空間や都市間の関係性を変貌させた、というテーマは繰り返し論じられてきました。
しかし、これまで建築史の分野で見落とされてきた重要な発明がもう一つあります。
それは、紡績と織物工業の発達です。産業革命によって生み出されたファブリック、布地の氾濫によって建築の内部空間が大きく変化したのです。
ロースの他にも、19世紀の室内空間におけるマテリアルの問題を論じた思想家としてベンヤミンのエッセイを紹介します。
ベンヤミンは著作『パサージュ論』で、いかに19世紀のパリが近代的であったかを論じました。その中で、人々は都市空間に出ると群衆の1人となる一方で、室内空間は「私人の宇宙」であり「大都市での私的な生活の形跡の不在を取り戻したいという傾向が見られる」と主張しています。
生活の形跡とは、布地の椅子に座った際に生まれる跡や、懐中時計を持って出かけた際に残るケースのようなもの。だからこそ「あらゆる接触の跡を残すビロードやフラシ天の布」が好まれたという訳です。
21世紀の建築空間
「いかに居心地の良い空間を作るか」を重視する19世紀的建築観は、オンライン化で住宅で過ごす時間が増えている現代の私たちに通じるものがあります。
例えば、21世紀の建築家ペーター・ツムトアも、ベンヤミンが論じた観点に注目しています。
ツムトアは、映画のワンシーンを例に挙げながら舞台であるダンスホールについて考察し、そこに残る人間が生きた痕跡と、床や壁のようなマテリアルが持つ時間性が重要だと述べています。
彼によれば、「すぐれた建築は人間の生の痕跡を吸収し、それによって独特の豊かさを帯びることができる」のです。
この主張は至って当たり前に感じられますが、マテリアリティの本質的な側面「ヒトがモノに痕跡を残し、今度はその痕跡によって、モノがヒトに語り掛ける」ということを言い表しています。
まとめ
本講義では、私たちが常識として考えがちな20世紀的価値観(機能性・合理性・効率性)を疑って相対化すること、人と場所(物質)のつながりを考えることを試みています。
機能性・合理性・効率性を情報通信技術が担うようになった現代では、建築空間が考えるべきはいかに居心地が良い空間を創るかであり、そこで19世紀的価値観が鍵になるということを説明しました。
講義動画ではここでは詳しく説明できなかった理論について、加藤先生がよりわかりやすく解説されています。興味を持った方はぜひ動画をご覧ください!
<文/RF(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:第133回(2021年秋季)東京大学公開講座「繋がる」 ポストコロナ時代の建築・都市空間の役割 加藤 耕一 先生
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