多様化の進む現代社会において、あらゆる人を包容する共生社会の創出は必要不可欠です。例えば日本の教育の場では、そのようなインクルーシブ(=包容的)な社会の実現にむけた教育の推進として、障害を持つ子どもたちに対する特別支援教育に力が入れられています。
ところが、子どもたちの抱えるそうした障害は、まさにその学校自身が生み出しているのではないか、という言説があります。これは一体、どういうことでしょうか?
今回は、教育学者である小国 喜弘(こくに よしひろ)先生の講義「子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望」をご紹介します。
インクルーシブ教育とは?
文部科学省によれば、インクルーシブ教育システムとは「人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」とされています。
日本におけるインクルーシブ教育の背景にあるのは、2006年に国連総会で採択された障害者権利条約です。この24条は教育に関する条文ですが、この中には「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと」を確保することが定められています。
障害者権利条約の考え方の根底にあるのは、障害の「社会モデル」という考え方です。
これは、障害は社会における多数派(マジョリティ)の特性と異なるために不利益を被っているものであるとみなす考え方です。つまり、障害は社会構造によって作り出されるものであり、障害を克服するためには、社会側の制度や文化、慣習を変えていくことが重要となります。
これは、従来支配的であった、障害という欠損・不足を個人のトレーニングや医療サービスによって補完するべきだ、とする医学モデルとは全く異なる考え方です。
なぜ、社会モデルが採用されるのでしょうか?
私たちが暮らす地域社会には、様々な人々が存在しています。こうした社会の中ですべての人が共に生活していくためには、その障壁となっているものを取り除き、地域社会へ包摂していくことが必要です。こうした社会モデルの価値観に基づき、障害者権利条約においては、平等の実現、差別の禁止、合理的配慮をすること、さらには意思決定への当事者の関与などの重要な考え方が含まれています。
日本における特別支援教育の現状
日本においては、インクルーシブ教育の理念のもと、特別支援教育が特に推進されてきました。その現状はどうなっているのか、見てみましょう。
こちらは特別支援学校の生徒数に関する統計ですが、ここ10年で約11万人から14万人に在籍人数が増えています。
一方、特別支援学級の生徒数について見てみると、
10年で約12万から26万人、大体2倍に増えています。
この増え方を、一体どう解釈すればいいでしょうか。
これはある意味、これまで教育を受けられなかった子どもたちが、特別支援教育を通して教育へアクセスできるようになった結果の表れだ、と前向きに捉えることができるかもしれません。
しかし、それは裏を返せば、学校教育の中心となっているシステムから周縁化されたり、排除されたりする子どもたちが増えている、とも言えないでしょうか。
また、ここ10年では不登校になる子どもや、いじめや暴力行為の対象となる子どもも増えています。さらに、子どもの自殺者の数は、2020年に過去最多となっています。
コロナウイルス感染症の流行下、あらゆる学校が休校となり、子どもたちは自宅待機を余儀なくされました。この時期には、「家庭における児童虐待が増え、亡くなる子どもたちが増えてしまうのではないか」ということが懸念されていました。
しかし、いざ蓋を開けてみると、自殺する子どもが増えたのは、何と休校期間が明けた時期だったのです。
これまで私たちは、「子どもたちは学校に来れば安全が確保される。家庭で過ごす時間など、学校にいない時間に子供たちの危機がある」と思っていたのに、
学校は、子どもにとって家庭よりもはるかに危険な場!?
となってしまっている可能性が出てきたのです。
子どもたちの自殺の要因を見ても、学校絡みの要因が多く見られます。一体、学校現場に何が起こっているのでしょうか?
小国先生は、ここでは2つの背景を挙げています。
1つの背景は、子どもへの規制管理の強化が行われたことです。2000年代前半に、少年犯罪や学級崩壊が増えたという背景から、学校において「必要な規律を重んずる」ことが求められるようになりました。
これは、授業前に関する規則です。ダメ出しによってルールを遵守させるという、まさに監獄のような状態が、普通の学校空間に存在しているという恐ろしさ……。
学校には、虐待を受けていたり、プレッシャーのかかる家庭環境で生きる希望を失っていたりする子どもたちも来ています。こうした子どもたちを迎える場所として、このような状況は適切なのでしょうか?
こうした息苦しい環境が、もしかすると、子どもたちの抱える困難を生み出す要因になっているのかもしれません。
もう1つの背景は、全国学力・学習状況調査の存在です。
県ごとに子どもたちの学力の順位が出る中、現場の教師たちは「子どもたちの成績を上げなくてはならない」という、政治や行政からのプレッシャーに日々さらされています。
一方、子どもの学力は親の経済力に強い関連があるということ、地域性の問題が非常に大きいことは、教育社会学の中ではよく知られています。ですが、この事実を学校現場で大っぴらには言うことはできません。そのような板挟みの状態の中で、教師たちはとにかく「テストの点数」で物事を判断するようになり、子どもたちを連日テスト漬けにしたり、テストの点数が低い子に対し「特別支援学級の方が合っているのでは」と、単純に善意から考えたりするようになってしまうのではないでしょうか。
インクルーシブ教育の展望
このような現状の中で、インクルーシブ教育を推し進めていくことは果たして可能なのでしょうか?
そのヒントとして、特別学級から普通学級に移った子どもと、ともに学ぶことになった生徒たち、彼らの教師の実践の事例が紹介されています(残念ながら一部映像が削除されています)。初めは全員が戸惑いを覚えつつも、いろいろなことを障害の有無で決めつけず、みんなで話し合って考える。こうしたクラスにおいては助け合いの精神が当たり前となり、分からないことを聞き合うことのできる環境が作られた結果、意図せずして学力テストの平均点もトップになったという事例です。
インクルーシブ教育の実践には、学校制度の大改革も、多額の予算も必要ありません。様々な長所や短所、特性を持つ子どもたちが同じ「一人の人間」として尊重しあい、ともに生きていくための環境調整をしていくことが、学級や学校という場をインクルーシブな場として構成し、ひいては、地域社会のインクルージョンを促進していくのです。
現在の日本のインクルーシブ教育は、「障害のある子どもたち」に焦点化されています。ですが、本来インクルーシブな社会には、性差、民族差、貧困、能力差など、あらゆる差異が包容されなければなりません。
真の共生社会を創っていくためのインクルーシブ教育の未来はどのようなものでしょうか。そして、共生社会の実現に向けて、私たち一人ひとりにできることは何でしょうか。この講義を見ながら、一緒に考えてみませんか。
<文/R.H.(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:子どもたちは繋がれるか:インクルーシブ教育の課題と展望 小国喜弘 先生
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