高校生と大学生のための金曜特別講座「カーストとは何か:インドの歴史人類学から再考する」です。講師は、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻の田辺明生(たなべあきお)先生です。
カーストに対する先入観
私たちが“カースト”というワードを聞いたときにまず思いつくのは、それがインドにおける階級制度だということだと思われます。では、インドについてはどのようなイメージを持っているでしょうか?おそらく、非常に広大で、多様な、歴史のある国という想像をするでしょう。そのような国におけるカーストに対して私たちは一般に共通したある先入観を持っている、と田辺先生はおっしゃっています。今回の講義では、カーストを人類学の観点から見つめることで、私たちが持っている先入観を大きく揺さぶることになると先生は語っています。
文化人類学とは
田辺先生のご専門は文化人類学、特に歴史人類学です。歴史人類学では、歴史的な観点と人類学的観点から事象を見つめ、それにフィールドワークを交えて研究を行います。文化人類学を一言で表すと、フィールドワークによる現場の経験を通じ、人間の生活の全体を総合的な視点から理解しようという学問です。つまり、自分の身体をもって、その場、その時の経験をし、その経験を通じて考えていくということです。
カーストから考える人間の平等性・多様性
本講義におけるメインテーマは”カーストから考える人間の平等性・多様性”です。インド世界の魅力の一端はその圧倒的な多様性にあると先生はおっしゃっています。カーストには差別や排除の側面はもちろんあります。しかし、それだけでインド社会を理解しようとすると狭い視点でインドを見つめることとなり、圧倒的な魅力を受容することができないと先生は考えているのです。事実、カーストは多様性を保つための親族・社会制度として機能しており、現代インド社会を構成する重要な役割を果たしているのです。ただ、そこに存在する差別の問題は、人々の平等性と多様性を共に重んじることが大切とされる現代社会においては解決しなければならない課題として我々の前に立ちはだかります。現代社会の課題の一つとして、職場、大学などの社会的環境においてジェンダー、民族、宗教といった人々の多様性をどのように尊重するべきかという問題があります。インドの歴史に見られるように、多様性の重視が人々の平等性を妥協するようなことはあってはなりません。本講義では”多種多様な人間がお互いを尊重して共存するということは如何にして可能なのか?”、“多様性を尊重しつつ、平等であるということはどういうことなのか?”ということを、インドの歴史と社会を見つめることで、解決の糸口を探っていきます。
現代インドをどう捉えるか
インドに対するかつてのイメージ
1970-80年ごろまでのインド研究においては、「なぜ民主化と経済発展が進展しないのか」という問いが課題とされ、「ヒンドゥー教やカーストによる差別的な社会構成」があるからということが、その答えとされてきました。インドの停滞を説明するためのものとして「ヒンドゥー教」や「カースト」という枠組みが引用されていたのです。社会学者のマックス・ヴェーバーは著書『「永遠の差別秩序」としてのインド世界』において、”インド社会においては“人権“なんて存在し得ない”と論じていました。また、文学博士の ルイ・デュモンは著書『「ホモ・ヒエラルキクス(階層的人間)」としてのインド人』において、“インドの人間はホモ・ヒエラルキクス(階層的人間)であり、それに対してヨーロッパの人間は水平的人間である”と語っています。これらヨーロッパの知識人の間で行われたインド研究においては、”インドには階層・差別が存在し、我々ヨーロッパがより平等であり、より人権を重視した、より優れた社会である”という前提が存在していました。しかしながら、本当にそうなのでしょうか?
変容を遂げる現代インド
現在、インドは大きく変わっています。かつての“貧困と差別のインド”というイメージから“成長力のある多様性社会のインド”へと変化しています。“貧困と差別にあえぐ閉じられたヒエラルキー社会”という枠組みを大きく越え、“成長力を持つ開放的な多様性社会”という顔を有するに至っているのです。ただしこれは、現実が急速に格差と不平等の解消に向かっているということではありません。もちろんいまだにカースト差別、あるいはジェンダー差別なども厳しいものがあります。しかしながら、だからこそ人々はそういった差別に対して、批判をし、不平等の克服という試みが非常に活発に行われているのだそうです。執拗に続く格差と不平等の克服への試みとして、多様な民衆の公共的な参加が実現しつつあり、それが政治的にも経済的にも変化を促す大きな活力となりつつあるということなのです。
“多様性と平等性を同時に実現することはいかに可能か?”という問いはインドにとって切実な問いであり、地球社会にとっても重要な問いです。インド世界においては、誰も同じようになりたいと思っておらず、人々はそれぞれ“私は私のように生きたいと”思っています。“それぞれが自分の生き方を探求しながら、しかし、自分の生き方によって差別されないような社会はどういうものなのか”という問いをすることは非常に重要なのです。
多様性と平等性の同時の実現
では、日本における多様性と平等性はどのようなものでしょうか。日本では、みんなが同じようであらなければならないという同調主義が存在し、この構造を非常に苦しい社会だと先生は考えています。そのため、“日本は「平等性」という観点においては、ある程度インド社会と比べると優れているかもしれないが、「多様性」については非常に大きく劣る”と先生は述べています。だからこそ今、日本、あるいは欧米においても、多様性の尊重が声を上げて言われるトピックであり、多様性と平等性の同時の実現は、地球社会全体にとって極めて重要な、切実な問いなのです。
多様性と平等性をめぐるインド世界の可能性と失敗
ー『悲しき熱帯』から学ぶー
文化人類学者のレヴィ=ストロースは、著書『悲しき熱帯』にて、インドについて多様性と平等性の同時の実現ができなかった失敗例として述べていおり、彼は、カースト制度における平等性と多様性の実現の理想的な形を以下のようにまとめています。
今の欧米における人種差別の問題が大きく出ているということは、かなり昔にインドが経験した失敗を、今、ヨーロッパ、欧米が経験していることを意味するのです。そのため、インドは我々の遅れた過去と見るべきではないのです。
むしろ、多様な人々がいかに一緒に暮らせるのか歴史的にずっと早い時期から実験をし、なんとかみんなが違いながら平等であり続ける世界を実現しようとした地域として捉えるべきなのです。そして完全には成功しなかった世界としてインドを見ることで、私たちの未来を考えることに大きく役立つことになると先生は考えています。
インドの思想と価値観
―“存在の平等性“にもとづく多様性の肯定―
従来のインド社会研究は「地位のヒエラルキーと権力による支配構造」に注目が集められていました。しかしながら、より根源的な価値は“存在の平等性“であり、これによって多様性社会は維持されてきたと先生はおっしゃっています。
存在の平等性とは?
“存在の平等性”とは、“この世界の万物は、一なる本質を分有しており、絶対の位相において全ては平等である”ということです。つまり人々は一つの真理を共有しており、その真理のもとではみんな平等であるという考えです。インドの歴史の中で、この思想は、仏教・バクティ(信愛運動)・ヨーガなどさまざまな形で現れてきました。
“カースト“と“存在の平等性”
ここで改めてカーストについて考えてみましょう。冒頭でも述べた通り、カーストと言われると“差別”のイメージを強く持つことでしょう。しかしながら本来、カーストとは内婚集団を意味する言葉です。内婚集団とは、その集団の中でのみ結婚をするというグループです。カーストは、特定の集団の中でのみ結婚をするために、特定の技術、知識が継承されていくという性質を持ち、固有性が保たれるという特徴があります。このように、カースト自体は決して悪い制度ではないのです。ただ、異なるカースト間での差別が問題であり、それをどう解消するかが現代インド社会の課題となっているのです。インドの考える存在の平等性は、一つの真理があり、それは私たちから隔絶した、超越した向こうにあるのではなく、いまここの世界の万物に置いて存在するという理論です。インドの思想の中では、まさにこの“世界の多様性、社会の多様性と平等性の関係はどう言うものなのかをものすごく真剣に考えていた地域だったのです。
多様性の豊かさと差別
多様性の豊かさを探究するという意味で、インドの社会構造は非常に大きな可能性があります。しかしながらそこには、一部の人に対して“同じ人間として扱わない”、いわば“差別”の横行という側面がありました。この負の側面をどう解決していくかを考えることが私たちにとって非常に重要であると先生は語っています。 “あるかたちで振る舞うことが要求される社会がある中で、自分は自分として振る舞えるのがインド社会である”と、多様性を活かしていく、多様性を増やしていく豊かさの考えの魅力を先生はおっしゃっています。この“多様性を肯定する”という考え方の背後には、最終的にはみんな同じ人間なのだ、同じ存在なのだということを認めることにあります。実は、“存在の平等性”は人間だけではなく他のすべての存在者、動植物、岩、山にまで適応される考え方なのです。それぞれは違って、全ては平等であるということを考えるため、この思想は人間社会のみならず、環境問題などにおいても大きな意味をもつ思想なのです。インドの非常に煌びやかで、さまざまな多様性の組み合わせの妙をたのしむような、多様性のアサンブラージュがインド文化の魅力であると先生は述べています。
ーまとめー
多様性と私たちのこれから
その地理的な特性から、インドは多様性の出会う場であり、多様なるものの接触と交流が常に起こっていました。そうした多様なる集団の多様性を維持したまま、共住するためにカースト集団、制度を作っていったのです。その多様性を維持する上で非常に重要な考え方が“存在の平等”という考え方でした。しかしながら、全体をマネージするためにはどうしても、ヒエラルキーや差別が発生してしまうという問題点もありました。注目すべき点は、この問題は、実は現代の日本や欧米も抱えている問題であるということです。
多様性をもたらすことは、これからの私たちの課題であり、その中でどのように差別を克服するのかというのは、私たち自身の問題であると認識する必要があると先生はおっしゃっており、差別の克服方法のヒントとして存在の平等性に基づく多様性の肯定が挙げられるのではないだろうかと語っています。何が私たちは本当に平等なのかを、より根本的・本質的に考えていくことが、これから私たちが多様であり平等である社会のビジョンを作っていくのに重要なのではないかと先生は考えているのです。本記事はここで終わりになりますが、動画では、これらの話題の後に約1時間の質疑応答タイムが設けられており、多くの人からいただいた質問に先生が丁寧に回答しています。皆さんのカーストに対する先入観を覆す動画となっておりますので、続きが気になる方は講義動画をチェックしてみて下さい。
<文/悪七一朗(東京大学学生サポーター)>
今回紹介した講義:高校生と大学生のための金曜特別講座 カーストとは何か:インドの歴史人類学から再考する 田辺 明生先生
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