「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」
川端康成の小説『雪国』は、この有名な一文から始まります。
それでは、この文章を英語に訳すとどのようになるでしょうか?
翻訳家のエドワード・ジョージ・サイデンステッカーは、文章を次のように英訳しています。
“The train came out of the long tunnel into the snow country.”
英文は、日本語にはなかった「train」が出てきたりと、元の文章とまったく違ったものになっています。
もはや「意訳」とさえ言えないような翻訳ですが、どうしてこのような大幅な文章の変更がなされたのでしょうか?
そこには、日本語と英語の「認知モード」の違いがかかわってきます。
「認知モード」とは、事態を言い表すときに好まれる視点の取り方のことです。
どのような視点で出来事を認知しているかは、言語によって異なっているのです。
翻訳をしていると、素直に訳しているのに不自然な文章になり、かえって伝わりにくくなることがあると思います。
「認知モード」の違いは、それを引き起こす重要な原因のひとつです。
このポイントをおさえることで、外国語を学習する際にも、言語間の違いを効果的に意識することができるようになるかもしれません。
IモードとDモード
今回紹介するのは、言語学が専門の渡邊淳也先生による講義です。
さて、講義では、まず言語ごとの認知モードの違いについて説明されます。
認知モードには、「Iモード」と「Dモード」というふたつの区別が提唱されているといいます。
Iモードは、認知主体が対象や環境とのインタラクションを通じて認知像を形成する認知モード、
Dモードは、認知主体としての私たちが、何らかの対象とインタラクトしながら対象を捉えていること(認知像を形成していること)を忘れて、認知の場の外に出て(displaced)、認知像を客観的事実として眺めているという認知モードのことです。
この説明だけでは、少し分かりにくいかもしれません。
講義では、それぞれの認知モードが図で示されています。
図のように、Iモードは、事態の認知の場に、認知主体が入っています。
認知の主体が、対象とのインタラクションのプロセスに組み込まれた視点のままで、事態を描写するのが、この認知モードです。
Iモードはある意味で、認知主体の本来の視点のまま、事態を描写しているといえます。
Dモードは、事態の認知の場から、認知主体が離れています。
認知の主体は本来、対象とのインタラクションを行う認知の場の内部にいますが、ここでは疑似的に主体がその場の外側に立っています。
主体が実際に立っている場からではなく、その外側から事態を観察しているような認知の仕方が、このDモードです。
授業では、日本語はIモードを、英語はDモードを反映する言語の典型として紹介されます。
認知モードの違いは、実際の文章にどのようにあらわれるのでしょうか?
授業では、以下の例文を使って説明されます。
日本語文:
扉を開けると、見知らぬ女性が窓ぎわに立っていた。
この文章を英語に直訳すると、たとえば次のようになります。
英訳例:
When I opened the door, a strange woman was standing by the window.
この文章は「間違い」ではありませんが、英文として不自然なものになっています。
より自然な文章は、たとえば次のようなものです。
自然な英訳例①:
When I opened the door, I saw a strange woman was standing by the window.
自然な英訳例②:
When I opened the door to find a strange woman was standing by the window.
元の英文が不自然になるのは、前後の文章がうまくつながっていないからです。
見知らぬ女性が窓ぎわに立っていたのは、扉を開けたそのタイミングにかぎりません。女性は扉を開ける前から、たしかにそこにいたはずです。
「扉を開けたとき」に起きたことは、正確に述べられるなら、「見知らぬ女性が立っていた」ことではなく、「見知らぬ女性が立っているのを私が見た」ことになります。
英語の場合、扉を開けたときに起きている事態を、客観的に述べる必要があります。そのためには “I saw” や ”to find” といったつなぎの文章が必要です。
逆に日本語で「扉を開けると、見知らぬ女性が窓ぎわに立っているのを私は見た」というような文章にするのは不自然です。日本語は認知主体が知覚したことをそのまま描写することが多いため、本来自ら見ることのできない「私」が文章に登場することはあまりないのだといえます。
注意が必要なのは、これは「論理的」、「非論理的」というような違いではないということです。日本語と英語で違うのは、あくまで事態をえがく際の視点の取り方です。
講義では、Iモード寄りの日本語と、Dモード寄りの英語の中間の認知モードを取る言語として、フランス語が挙げられています。
講義では、日本語と英語、フランス語それぞれの言語の文章における認知モードのあらわれ方について紹介されます。(その比較は、次の章で紹介します。)
このように数ある言語は、完全なIモードと完全なDモードの間のどこかに位置するかたちで、事態を描写しているのです。
IモードとDモードを区別する特徴
それでは、Iモードの言語とDモードの言語では、それぞれどのような文法的な違いがあらわれるのでしょうか?
講義では、両者の違いを区別する特徴が、計23個、3つのグループに分けて示されています。
①:身体的インタラクションにかかわる諸特徴
「人称代名詞」「主観述語」「オノマノペ」「移動表現」「間接受身」「与格か間接目的語か」「難易中動態構文」「過去時物語中の現在時」
②:R/T型認知か、tr/lm型認知か
「主題か主語か」「かきまぜ(scrambling)」「代名詞省略」「語順」「R/Tかtr/lmか」「be言語かhave言語か」「『する』と『なる』」「非人称構文」「虚辞」
③:メタ認知性と有界性
「終わり志向性」「アスペクト」「動詞vs衛星枠づけ」「冠詞の有無」「話法」「従位性の度合い」
講義では、①の「身体的インタラクションにかかわる諸特徴」を中心に、これらの特徴における日本語と英語とフランス語の違いがどのようなものであるかが語られます。
この記事でこれらの全てを示すのは難しいため、以降の章では、一部を抜粋して紹介します。
諸特徴についてより詳しく知りたい人は、ぜひ講義動画を視聴してみてください。
人称代名詞
日本語と英語の違いとして比較的簡単に思い付くのは、人称代名詞の違いではないでしょうか?
英語では、主体を指す人称が(主語においては)“I”の1種類しかないのに対して、日本語では「わたし、ぼく、おれ」のように、無数のバリエーションがあります。
この人称は主体の性質に依存しているだけでなく、対話の相手や状況によっても使い分けられることがあります。
主体の置かれた状況に左右されているという点で、日本語の人称の変化はきわめてIモード的であると考えられることができます。
一方、ひとつの決まった人称を使う英語は、発話者と主体に距離があることを示しており、Dモード的です。
フランス語は、英語と同じく人称が一定ですが、一般的な人称代名詞のほかに、Iモード的な性格をもつ人称代名詞 “on” があります。
この “on” は、文意に応じてあらゆる人を指すことができる人称です。講義で紹介された例文を紹介します。
仏文:
En Tunisie, on parle arabe et français.
↓
日本語訳:
チュニジアでは(みんなが)アラビア語とフランス語を話す。
仏文:
On a rendez-vous devant la gare de Montparnasse à 17h.
↓
日本語訳:
(わたしたちは)17時にモンパルナス駅前で待ち合わせよう。
仏文:
Qu’est-ce qu’on a appris aujourd’hui?
↓
日本語訳:
(きみは)今日は何を習ったの?
“on” は、発話状況や発話内容に関与的な人を自在に指しています。
状況に依存しているという点で、この “on” の使われ方はIモード的であると考えられます。
さらに、上の日本語訳を確認すると、(括弧で示したように)それぞれ “on” にあたる部分を省略するほうが自然な日本語になることが分かるはずです。
日本語では意識されない主語が、主語を省略できないフランス語では “on” によって形式的にあらわされていると考えることもできます。
主語か主題か
言語には「主語」と「主題」というものがあり、そのどちらが頻出するかによって、Iモード的であるかDモード的であるか区別することができます。
英語を学ぶ際に必ず意識することになる主語に対して、主題はあまりなじみのない概念かもしれません。
主題とは、その文が何について述べているか示すもので、情報の出発点となります。
主題は発話者にとって身近なもの、多くは既知のもの(旧情報)がおかれます。
日本語においては、「…は」で示されるものが、主題をあらわしていると解釈できます。
「…は」と「…が」を併用した文章では、(基本的に)「…は」が主題であり、「…が」が主語です。
日本語文:
象は鼻が長い。
上記の文章では「象」が主題であり、「鼻」が主語です。
「よく知られた『象』という対象において、その『鼻』は長い」のだと説明する文章になっています。
主題と主語という観点で日本語と英語を比べると、日本語は主題優先、英語は主語優先の言語です。
日本語の主題優先の傾向があらわれた例として、「うなぎ文」という有名な文章があります。
日本語文:
(昼食に何を食べるかというと)ぼくはうなぎだ。
これを英文に訳す際には、“I am an eel.” とすることはもちろんできず、“I’ll take an eel.” のように、“take” (食べる)を入れた文章にしないといけません。
同様に、日本語においても「ぼくがうなぎだ。」というような文章は不自然です。それは、「…が」という助詞が自然と主語であることを示してしまうからです。
IモードとDモードの中間にあるフランス語は、基本的に主語優先の言語ですが、話し言葉では主題優先になります。
仏文①主語卓越型:
Je prends une anguille.
仏文②主題卓越型:
Moi, c’est une anguille.
①の文章は、英文と同じように、“Je”(わたし)を主語として、“prends”(食べる)を使って事態を描写しています。
一方、②の文章は、まず “Moi”(ぼく)を主題として文頭に置き、そのあと “c’est une anguille”(うなぎだ)と続けています。
話し言葉のフランス語には、うなぎ文の類例ともみられる事例があり、それはステレオタイプ的な分類(「猫派、犬派」、「コーヒー党、紅茶党」)を示しています。
仏文:
Avec Pierre, on ne va jamais au restaurant italien. Parce que Pierre n’est pas du tout pizza, il est plutôt couscous. Alors on va au restaurant marocain.
日本語訳:
ピエールといっしょには、イタリア料理店には絶対行かない。ピエールはぜんぜんピッツァ派ではなく、むしろクスクス派だからだ。だからモロッコ料理店に行く。
これもまた別種の主題卓越型の文であるといえます。
「高校生と大学生のための金曜特別講座」で学ぶ
今回紹介したのは、「高校生と大学生のための金曜特別講座」で開講された「認知モードの言語間比較」という講義でした。
「高校生と大学生のための金曜特別講座」とは、東京大学が高校生と大学生を対象に2002年より公開している講座のことです。
(サイトはこちら)
ここでは、東京大学のさまざまな分野の先生方が、学問研究の魅力を分かりやすく伝えています。
納富信留先生による、古代ギリシア哲学の講義
高校生と大学生のための金曜特別講座「古代ギリシア哲学を学ぶ意義」納富信留
市橋伯一先生による、合成生物学の講義
2021年度夏学期:高校生と大学生のための金曜特別講座 分子から声明をつくる合成生物学
宇野重規先生による、民主主義についての講義
宇野重規「民主主義とは何か:歴史から考える」ー高校生と大学生のための金曜特別講座
など、分野も文理問わずさまざまです。
東大TVでは、過去に開催された金曜講座の動画を数多く公開しています。
対象となっている高校生や大学生はもちろん、大人の方にも視聴いただける、分かりやすい講義になっています。
ぜひ今回の講義の動画を視聴するのにあわせて、ほかの動画もチェックしてみてください。
<文/竹村直也(東京大学学生サポーター)>
今回紹介したイベント:高校生と大学生のための金曜特別講座 認知モードの言語間比較 渡邊淳也先生
●他のイベント紹介記事はこちらから読むことができます。